第一章 新しい使用人  第三話

文字数 2,970文字

 手を止めて振り返ると、現れたのはこの屋敷の料理人セルトルだった。

 料理人というのは、この国では特別な存在だ。サハネ国第三代王キジョンは、「健やかな国とは即ち民が健やかな国、民の健やかさは日々の食によって保たれる。ならば食こそが国の根幹と言える」との言葉を残し、料理に従事する者を専門的な技術を持つ者と定め、食材や調理法について研究させ、食文化を大いに発展させた。

 それから二百年ほどたち、何かにつけて料理を重視する文化が完成し、国の隅々まで浸透している。

 裕福な者は屋敷に腕のいい料理人を抱え、祝い事があれば豪勢な食事を作って客に振舞うし、貧しい者も平素は金を溜めておき、新年や祖先祭祀の時は、一家総出で料理屋に行き食事をしたり、高価な食材を調理したりする。外国からも美食の国と讃えられるほど、サハネの料理は有名だ。

 ヒョオルたちと同じく屋敷で働いているというのに、料理人は皆より一つ上の職民(マクノル)に位置づけられている。だからといって偉ぶっているわけではないが、部屋も専用の個室を与えられているし、衣服も上等だった。

 旦那様の誕生日の今日は、セルトルも大忙しのはずだ。実際、祝い膳を作るため、男たちが朝から食材の買出しに出ていた。セルトルも着いてゆくべきなのだが、この屋敷には料理人は一人なので、下ごしらえやら何やらが忙しく、とても出かけられなかった。

「悪いが、今から山へ行ってギダの葉を取ってきてくれないか」

 ギダとは山や野原に自生する(つる)植物で、子供の掌ほどの葉をつける。汁物や、魚料理、肉料理によく使われる。この屋敷の裏には山があり、使用人やセルトルが、しょっちゅう山菜採り出かけていた。

「この忙しいのに」

「それはわかっているが、私は昼食も作らなければならないし、祝い膳の準備もしなくてはならん。すまないが、行って来てくれ」

 不満があるのはパオだけではない。飾り花も沢山作らなくてはいけないし、それが終わったらまた別の仕事を言いつけられるだろう。余計な仕事を押し付けられたらたまらない。しかし、大切な料理のためとあれば、断るわけにもいかない。

「ヒョオル、お前行ってこいよ」

「なんで俺が?」

「俺たちの倍の早さで作ったんだから、もう十分仕事したじゃないか。これが終わりとなると、ちょうど手が空いてるのはお前だから、お前が行くべきだ」

 パオはヒョオルの作業が早いのを理由に山菜採りを押し付けてきた。飾り花はあらかじめ一人いくつ作ると決めていたわけではない。むしろ作業が早いヒョオルが残ったほうがいいはずである。だがゴンリョルやジヤ、女の子たちも無言のうちにパオに賛成しているようだ。誰も皆、行きたくないからである。

 セルトルは背負子を置いて厨房へ引っ込んでしまった。こうなったら行かざるを得ない。ヒョオルは渋々折っている最中だった花を仕上げると、籠を背負って裏口から出て行った。

 山の斜面を登り、ギダを探す。以前他の使用人と山菜を採ったことがあるので、大体の山菜は覚えたし、山の中の道も覚えていた。この前と同じように、いくつかの場所を回って、周辺の草木を注意深く見る。

 程なくして、盛り上がった木の根の上を這うギダの葉を見つけた。しゃがみこんで急いで摘んでゆく。沢山の客人が来るのだから、大量に必要なはずだ。それにのんびりしてから帰ったのでは、パオにまた余計な仕事を押し付けられかねない。

 両手を使い、夢中で葉を摘み取っていたが、ヒョオルはふと、あることに気がついた。同じ蔓から伸びているのに、それぞれの葉には違いがあるようなのだ。

 今、両手に握っている葉のうち、右手にあるほうが、やや厚いように思える。二枚の葉を顔の前に持ち上げ、まじまじと見てみるが、見た目は変わりない。だが、それぞれ人差し指と親指の間に挟んでみると、やはり右手のほうが厚い。折り曲げてみても、右手のほうが硬く、手を離したときに元に戻る力が強いようだった。

(もしかして、別の種類なのかもしれない)

 以前来た時、大人の使用人は何気なく摘み取っていたから、特別気にする事はないのだと思っていたが、実は彼らはきちんと違いがわかっていて、本物のギダだけを摘み取っていたのかもしれない。

(もし別の種類を採っていったら一大事だ)

 偽物が食事に混じったら、味も変わってしまう。旦那様の誕生祝の食事を台無しにしたら、鍋を持って立たされるだけではすまないだろう。もしかしたら実家へ送り返されるかもしれない。しかも、山に勝手に生えている植物なら、毒があるかもしれない。食事を口にした人が皆倒れたら、罰を受けるどころか、役所に突き出されてしまう。

 こうなったら、一度屋敷に戻り、セルトルにどちらが本物のギダか訊ねたほうが良い。ヒョオルは立ち上がってもと来た道を戻りかけた。だが、思いとどまった。

(他の使用人たちができて、俺ができないとなったら、馬鹿にされる)

 既に他の者と山菜採りに来てしまっているから、その時教えられていると咎められるだろう。教えられてなどないが、他の使用人たちは叱責されるのが嫌だから、嘘をつくはずだ。そうなれば、新入りで子供のヒョオルが何を言っても、教えられた事を覚えられなかったのだと決め付けられる。つまり、屋敷中の人から役立たずだと思われるということだ。

 パオだろうと、他の使用人たちにだろうと、(あるじ)一家だろうと、誰かに馬鹿にされるなど嫌だった。罰せられるより、役所に突き出されるより、そのほうがよほど恐ろしい。何故かはわからないが、ヒョオルはそう考えていた。

 しかし、このまま本物と偽物を両方持って帰れば罰を受ける。

(本物を見分けるしかない)

 幸い、二つの差異はわかったのだ。後はどちらが本物か見極めればいい。

 だが、見た目は全く同じに見えて、僅かな厚みしか違いがないのに、どうやって見極めるのか。ヒョオルは(しばら)く思案していたが、はっとして顔を上げると、矢庭(やにわ)に右手に握っていた葉を(かじ)った。

 舌の上で葉を転がしながら、頭の中に、屋敷へ来たその日に食べた肉の味を思い浮かべる。あの肉と一緒に使われていたのがギダであった。ならば、あの肉の味の中に、ギダの味も含まれているはずだ。

 ヒョオルは記憶の向こうの味の中に、この葉の味が混ざっていないか探した。だが、見つけることはできなかった。

 葉を吐き出すと、今度は左手に持ったほうを(かじ)った。よく噛み、舌の上で転がす。すると、不思議と思い浮かべた肉の味と調和するような、そんな感覚があった。

(薄い方が本物だ)

 ヒョオルは厚い方の葉を捨てた。己の記憶と舌に頼っていいのか。確信など持てなかったが、こうなっては自分を信じるしかない。

 背負子の中を確かめると、薄いのと厚いのが半々ずつ入っていた。厚い方を全て捨てたら、半分しか残らない。ヒョオルはギダ摘みを再開した。今度は注意しながら、薄い方だけを摘み取る。そのうちこの付近には厚い葉しかなくなってしまい、別の場所へ移動して摘んだ。そうして十分な量が取れた頃には、正午を大分(だいぶ)過ぎていた。ヒョオルは山を転がり落ちるように下ると、裏口へ急いだ。

 屋敷が見えると、(かまど)から煙が上がっていた。裏口をくぐり厨房に入ると、長机の上は食材に溢れ、それに埋もれるように、セルトルが包丁を動かして根菜を切っていた。
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