第十章 王子の誕生  第九話

文字数 2,936文字

 王妃は硬直を解いて、傍らの宝飾品の入った箱から、小さな丸い翡翠が埋め込まれただけの質素な簪を取り出し、ヒョオルに差し出した。ヒョオルは礼を守り顔を伏せたまま、膝を滑らせて手の届く場所まで近寄り、それを押しいだだき、ザルの中から二つに切り分けたものを取り上げ、その断面に簪の先端をあてた。

 少しすると、銀色に輝いていた簪の先が黒ずんだ。

「ご覧のとおり、毒のある食べ物です」

 手元に戻された簪を見て、王妃も確かに納得した。

「確かに毒があるようだ。しかし、なぜそなたはそれを私に見せるのだ」

「これは本日の宴で、王女様の汁膳(じゅうぜん)に入れられる予定でした」

「王女の?」

 王妃は困惑した。今日の宴では王女が四ノ賜室(よんのししつ)を狙っていたはずだ。そしてその罪を王妃に被せるつもりでいたはずなのだ。なのにどうして王女の膳に毒物が混ざるのだろう。

 何より不可解なのは、宴は無事に終わったことだ。四ノ賜室(よんのししつ)を狙う王女の陰謀は王妃自らが阻んだ。そして今目の前の料理人の言う通りなら、何者の差し金かは知らないが、王女の命を狙った計画も阻止されたことになる。

「宴の献立でユックの根を使うのは王女様の汁膳(じゅうぜん)のみでした」

「何者かが王女の命を狙ったということか」

「ええ。その何者かは、私は見当がついております。このジョギを用意したのはカルマという料理女官です。彼女は王女様の担当者で、王女様への忠誠心が人一倍強いのだとか。彼女を動かせるのは、王女様のみでしょう」

「王女が自分の膳に毒を盛ったというのか」

 目の前の料理人のいうことは荒唐無稽で、王妃は少々呆れた。しかし、王女が四ノ賜室(よんのししつ)を狙っていなかったのだとしたら、今日の宴で彼女が無事であったことは辻褄が合う。

「カルマが食材をより分ける時に、ユックの根とジョギをすり替えました。それを私が再度すり替えたのです。ですから王女様はご無事で、宴はつつがなく終わりました」

 王妃は目の前の料理人へ警戒と猜疑の視線を向けた。自分と面識がなく、王女と繋がっているとも思えない。だというのに二人の争いにかかわり、自身もわかっていない真相をも知っているようだ。そしてそれを教えるために、無礼を犯して訪ねてきた。何を考えているのか、敵か味方か、まるで見当がつかない。

 ヒョオルは王妃の心情を察し、種明かしするように語り始めた。

「ここしばらく、宮中に王妃様がリトク王子様の地位を守るべく、新しい王子様と四ノ賜室≪よんのししつ≫様の命を狙っているというけしからぬ噂が流れていました。もちろん、みな信じてはいませんでしたが。

 私は『奥秘(ヨピル)厨房』におりますので、宴の献立の話し合いの様子は見ています。最初カルマは魚膳(ぎょぜん)の担当でしたが、途中で王妃様がトソの肉を王子様方にお与えになったため、肉膳(にくぜん)に移ることになりました。その時、カルマは妙に反発していたのです。それに、王妃様がトソの肉をお与えになったと言うのも、それこそ各膳の担当者が決まってからのことで、急すぎると思いました。もし前から考えていらしたなら、もっと早くに手配しているはずですからね。

 そこで私は、王妃様が何か思うところがあって、カルマを意図的に魚膳(ぎょぜん)から外したのではないかと考えました。そしてカルマはどうしても魚膳(ぎょぜん)を担当したかった様子。妙な噂を踏まえて私は当初、こう考えました。王妃様は四ノ賜室(よんのししつ)様の魚膳に毒を盛るつもりで、王女様側の人間であるカルマが邪魔だったので、無理やりどかした。カルマの方でも薄々勘付いていたから、魚膳(ぎょぜん)を担当したがった、と。

 ですが、献立を見ていて私は気が付きました。暗殺を謀る場合、このジョギのように、普通の食材と似ている劇薬を用いるか、食い合わせで毒となる食材同士を食べさせるか、本人が食べつけないものを食べさせるかですが、魚膳(ぎょぜん)については、そのどの方法も実行できないと。むしろ王女様の汁膳(じゅうぜん)にのみ使われるユックの根が、どうも怪しい気がしてなりませんでした」

「それでユックの根がすり替えられるのではと、見張っていたというのか」

「はい。私も宮中の料理人ですから、食材に関する知識には自信があります。

 結果として私の予想通り、王女様の手の者であるカルマによって、ユックの根がジョギにすり替えられたのです。これが意味するところは何でしょう。

 王女様は自ら毒を口にして、毒殺未遂事件をねつ造するつもりだったのではないでしょうか。そしてその罪を王妃様に着せてしまおうと思っていた。妙な噂は王妃様の目をくらますため、王女様が流したものではないかと。王妃様はお優しいと言っている女官たちが、王妃様の恐ろしい噂をながすとは思えません。でも、普段から敵対している王女様ならば考え付くでしょう。

 王妃様は王女様が四ノ賜室(よんのししつ)を害して、その罪をなすりつけられると警戒し、トソの肉を使って宴の直前にカルマを魚膳(ぎょぜん)から外させた。いかに巧妙な手口を講じていても、膳を変えられてしまえば台無しになりますから」

 王妃はいつしか上がっていたヒョオルの顔をまっすぐに見つめた。彼の言葉は全て彼の想像に過ぎないが、半分は自らが予想した王女の陰謀と同じだった。そしてもう半分は、本当だとしたら、この一件についての全ての疑問に対する答えになりえた。

「……なるほど。想像をたくましくすれば、私と王女の陰謀合戦だと言えるな」

 しかし王妃は慎重だった。あくまでヒョオルの話した全ては絵空事であり、自分も、王女すらも、そのような醜い策謀を巡らせていないという態度を崩さなかった。

「怖れながら、ここにジョギはあります。誰かが故意に持ち込まねば『建穏院(ケヨンウォン)』の食糧庫に毒物がありましょうか。それに、私が王妃様の敵であるなら、ジョギをユックの根に取り換えて王女様の計画を潰したりしません。まして全ての真相を王妃様に明かすこともないでしょう」

 ヒョオルの双眸は輝いていた。夜空に禍々しく光る星の如く。王妃はその瞳に宿るくらい輝きを見て、彼を疑うのをやめた。

「わかった。少なくとも王女側の人間ではないな。だが、まだ私の側の人間ではない。そなたの語る事件の顛末については、私の方で真実であるか調べる。それが真実であれば良いが、そうでなければ罰して宮中から追い出す。夜中にいきなり訪ねてきたとか、王室の人間が権謀術数に明け暮れ陥れ合っていると妄言を吐いたとか、王妃たる私がそなたを罪に問うのは容易いぞ」

 ヒョオルは脅しに微笑みで答えた。

「どうぞ、私の語ったことが真実かどうか存分にお確かめください。それからタナク・シラナタ様に私の素性をお尋ねください。私がお話しするより、あの方の方がお詳しいですから」

 ヒョオルは風呂敷を包み直して、それをそっと前に押した。

「これは置いてゆきます。私の語ったことが真実であるとわかったら、その時は王妃様のほうからお呼び出し下さい。私から尋ねるのは無礼に当たりますから」

 ヒョオルは立ち上がって頭を下げると退出した。

 王妃はしばらく一人で思案にふけっていた。思案が終わると、ジョギを包んである風呂敷と、毒で変色した銀の簪を机の引き出しの中にしまった。

 それから。おもむろに女官を呼びつけると、明日の朝、兄とタナクを呼ぶように命じ、就寝の準備をするよう言いつけた。
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