第十章 王子の誕生  第十一話

文字数 2,914文字

 王女は目の前の料理人を睨みつけた。

 キョンセとテギョが推したとしても、簡単に受け入れることなどできない。なんであれ作戦を潰されたのだ。許すことなどできないのだ。

 おまけに、策を弄して自分を高く売りつけようという狡猾さも気に食わない。王妃の懐に潜り込むと言っているが、彼が王女の側の情報を流さないとも限らず、信用に値しない。

「お心を決めかねますか。すぐにお答えいただかずとも結構ですが、あまり長い時間待ちますと、王妃様の方から先にお呼びが掛かるかもしれませんから……」

 王妃はすでに王女の企みの全てを知ってしまった。もしヒョオルを受け入れなければ、彼は王妃を動かして、王女を追い詰めるだろう。

「生意気にも私を脅すのか」

 机の端を掴む王女の手に力がこもった。本当はすぐにでも追い返してやりたいが、ここで彼を受け入れなければ全ては終わる。王妃を陥れようとしたとなれば、いかに王女の身といえど、許されない。

 王女の頭に、ふと弟のことがよぎった。幼いマショク王子は、自分というう後ろ盾をなくしたら、世継ぎとして立つこともできず、宮中で心細く一生を過ごすことになる。弟にそんな惨めな思いをさせたくない。弟を守り立派な王にしてみせると、先の王妃である母と誓ったではないか。

「仕方がない。癪だがお前の申し出を受けてやる」

 王女はついに言った。

「ありがとうございます」

「勘違いするな。私はお前を認めていない。

 まずは、この件で王妃に私を告発させぬようにしろ。私の下につくのなら、私を守るのだ。当然その手立てがあるのだろう」

 ヒョオルには王妃を説き伏せる自信があった。必ず王女の意のままにすると答える。

「今日はこれでしまいだ。お前たち、さがってよいぞ」

 王女は不機嫌そうに皆を部屋から追い出した。王女の住まいの外で、五人は改めて互いの顔を見合った。

「王女様の策を利用して自分を売り込むなんて、思い上がりも甚だしい。王女様の下につきたいのなら、宴の前に申し出ればよかったでしょうに」

 カルマは王女と同じようにヒョオルに良い感情を抱いていないようだ。ヒョオルが手出しさえしなければ、作戦は成功し、王女から叱られることもなかったのだから当然だ。

「こうでもしなければ、王女様は私を受け入れなかっただろう。実際料理長が推薦してくださっていたのに、王女様は興味を示さなかったようだしな」

 ヒョオルはカルマの怒りなどどこ吹く風だった。

「カルマ、それ以上言うな。もうヒョオルはこちら側の人間だ」

 キョンセはカルマを宥めた。

「テギョ様とこうして再会するとは願ってもない幸運でした。今後ともよろしくおつきあいください」

 ヒョオルが改めて挨拶すると、テギョは少し口の端を上げた。

「料亭にいる時からの付き合いだからな。お前が役に立つであろうことはわかる。だがお前はタナクをはじめとする曹衛派(ジュインネ)とも懇意にしているではないか。むしろ私などより彼らの方がなじみ深いのではないか。

 いや、そうであるからこそ、王妃と王女様、両方に取り入り、その間でたちまわることができるというものだな。しかし、いざという時に、本当にタナクたちを捨てられるのか」

 王女のために、拓強派(クバネ)のために働けるのかというのである。ヒョオルはテギョと同じような笑みを浮かべて返した。

「その時がきたら、最善の選択をいたします」

「ほほう。あくまでどちらの味方になるは断言せぬのだな」

「その時に私が最善だと思う選択が、タナク様たち曹衛派(ジュインネ)を裏切ることであれば、何の問題もございますまい」

 つまり、王女と拓強派(クバネ)に味方するのが良いと思わせてみよと、そう言っているのである。テギョは予想以上に骨のある男だと、からから笑った。ソッチョルとカルマは、その不遜な物言いに眉間の皺を深くした。

「よかろう。ではその時までわしも励まねばならん。お前に選ばれるようにな」

 テギョはそれだけ言って、愉快そうに立ち去った。

 後に残された料理人たちはしばらく沈黙の中に佇んでいた。カルマとソッチョルはヒョオルに冷たい視線をくれていた。ヒョオルはといえば、そんなものは痛くもないと言わんばかりにうっすら笑みを浮かべて佇んでいる。

「さて、予想通りお前は宮中の争いに自ら飛び込んできたな」

 キョンセだけは、この状況を楽しむように、またヒョオルの行動に満足しているかのような顔をしていた。

「遅かれ早かれ、お前が宮中の陰謀に関わってくるだろうと予想はしていた。もし敵方につかれれば厄介だと思うからこそ、王女様にお前を配下に加えるよう進言していたのだ。王女様はなにもお前を気に入らなかったのではない。今回の計画は既に動いていて、途中から誰かを入れるのはためらわれたのだ。それに王女様はあのご気性だから、今回の一件で王妃を排除すれば、我が世の春を迎えられると思って、これ以上手足となって働く者は必要ないとお考えだった」

「わかっております。私のような民間の出の料理人など、尋常な方法では王女様にお味方に加えてはいただけなかったでしょう」

 キョンセは少し体を動かして、ヒョオルの真正面に立った。

「目下やらねばならぬのは、王女様おっしゃった通り、王妃様に王女様を弾劾させないことだ。自信ありげな様子だったが、どうするつもりだ」

「それは簡単です」

 ヒョオルはにこりと笑った。


 王妃は翌日、兄ヨジュンとタナクを呼び出して、昨晩ヒョオルが語ったことをそっくり話し、兄にこれまでに調べた薬草店をもう一度調べてくれと頼んだ。また、そこでタナクからヒョオルという人物について聞いた。

(なるほど。なかなかに使えそうな人間だ)

 ただ、王妃自身もタナク自身も気にしていたのは、ヒョオルが王女の後ろ盾であるテギョとも親しいということだった。よもや王女の回し者で、こちらを嵌めようと考えているのではないか。

 再び疑心暗鬼になったところで、ヨジュンが戻ってきた。王女の女官の行き先を調べている最中訊ねた薬屋に、数日前ヨジュンが所属する宮衛署(インケク)の武官を名乗る者が訪ねてきて、ジョギを買い求めたそうだ。もちろん、ヨジュンの部下には全く身に覚えのないことだった。

「そなたの言葉が真実だと分かった」

 王妃は先の約束通りヒョオルを呼び出した。今度はヨジュンとタナクも同席している。

「王妃様、連中が私の配下をかたり毒物を入手した証拠は掴みました。連中が手に入れた毒物もこちらの手にある。王女を告発しましょう」

「それはいけません」

 思わず言葉に熱が入るヨジュンを止めたのはヒョオルだった。

「今回の件は王女様が王妃様に毒を飲ませようとしたわけではありません。毒殺の濡れ衣を着せようとして未遂に終わった。そして宴では誰も傷ついていない。これで訴えたとしても、王女様はせいぜい王宮を追われ、どこか適当な場所に一生幽閉される程度でしょう。

 宮廷には拓強派(クバネ)が残りますし、王宮を離れたから諦めるような王女様ではありません。真の勝利を得るためには、こたびの勝利は捨てるべきです」

 王女の命を奪う機会を待てと言うのだ。確実に仕留め、後に憂いを残すべきではないとの考えはは心に適っていたため、王妃は今回の事は不問に付すとした。
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