第五章 料理勝負  第十話

文字数 2,974文字

 彼らは自分たちの話す内容が勝負をしている二人に聞こえないよう注意はしていた。それでも微かに聞こえてくる客のその声が気になってしまうルミヤとヒョオルだった。ジハンもちらっと廊下の方を見ることがあるので、やはり気にしているのだろう。その中でサグだけが、雑音など少しも耳に入っていないというふうで、黙々と調理にいそしんでいた。

「次は汁膳(じゅうぜん)だろう? これはルミヤ殿の勝ちだろうな。素の汁物(スクタン)なんて、地味すぎる」

 料理人たちはそう予想した。

 素の汁物(スクタン)とは、要するに魚や牛、鶏、豚など、動物から出汁を取らず、具材や香辛料だけで味を調えた、非常に淡泊な汁物である。

 サグは(かぶ)を薄く扇形に切り、網目のような模様を切り抜きいた。そこに花の部分のついた菜の花や、薄く細く切った牛蒡(ごぼう)を、中心から放射線状に、模様にくぐらせるようにして刺して、さらにえんどう豆も模様にはめ込んでいく。これは飾り切りで孔雀が羽を広げた様を表しているのだ。

 人数分の孔雀の羽根ができると、それをジハンに渡して、形が崩れないように湯がかせる。その間、サグはタナクたちが来る前から煮込んでいる土鍋を見に行った。

 土鍋には香草や食材にも使う生薬が煮られていた。生薬の中には、胃の調子を整えるものや、体を温めるものが入っていた。食事による胃もたれを防ぎ消化を促進させるためだ。また、冬と夏の間に位置する春は、暖かさが安定するまで、気温の変化に晒されて体の不調を訴える者も多い。薬膳に等しいものを食することで、体調を整える狙いもある。

 うっすらと茶色く色づいた汁を味わうと、食材の味は十分に出ている。あとは塩や胡椒で味を調えるだけだ。サグはあらかじめ用意しておいていた調味料を一匙ずつ慎重に入れては味を見ていた。

 出来上がると、緑や赤、黄色と色鮮やかな彩色が施された陶器の蓋つき椀に注ぐ。そこへジハンが湯がいてくれた孔雀を模った野菜を浮かべれば完成だ。


 給仕たちがサグの汁物と、白く幅の広い大きな椀に入ったルミヤの汁物を運んでゆく。ルミヤの汁物はホロの出汁に豆腐とわかめが浮いている、一見するとごく普通だったが、椀の隣の小皿には、巾着のように丸めて楊枝でとめた昆布が添えてあった。いったい何に使うのだろうか。

 二つの椀を目の前にしたタナクたちも、奇妙な昆布の塊に目を止めた。

「これは何だ?」

「そちらは、先にそのまま汁物を召し上がった後、途中で汁の中に入れて楊枝を取ってお召し上がりくださいと、料理人が申しておりました」

 給仕はルミヤに言われた通りに伝えた。それではと、タナクは汁物を啜ってみる。

「うむ。まろやかな味である」

 他の家族も概ね同じ感想を抱いた。美味いことには美味い。だが菜膳(さいぜん)を食べて膨らんだ期待の割には、ずいぶんと平凡である。

 タナクは椀の中身が少し減ったところで、わかめを椀の中滋入れて、楊枝を取ってみた。すると、わかめが開いて、中から細かく刻まれた赤、薄緑、白の鶏冠菜(とさかのり)がふわりと舞った。

 地味だった料理に色どりが加わり、タナクの家族の心も不思議と明るくなったようだった。

「どうやら、変わったのは見た目だけではないな」

 タナクの言葉に促されて、家族たちが口をつけてみると、先ほどより強く、はっきりとした旨みが感じられた。

 実はこの鶏冠菜(とさかのり)は、刻んで塩辛と醤油に浸しておいたのだ。これが入ることで、汁物の味が変わったのである。

 当初の予定では、最初からこの味付けで、さらに汁物によく入れられる貝をや小海老を入れるつもりだった。だが、それらの食材のいくつかを買えなくなり、料理としての格を保てなくなってしまった。そのため、ヒョオルが途中で味に変化をつけるという方法を考え付いたのだ。

「途中で味が変わるとは、面白い仕掛けだこと。一度に二つの味が楽しめるのですから」

 タナクの妻はこの趣向をいたく気に入ったようだ。

「もう一つは素の汁物(スクタン)でございます」

 給仕の説明を聞いて、タナクの家族たちは少々顔色を損じた。淡白で贅を凝らし汁物とは程遠い料理など、この場にふさわしくないし、軽んじられている気もする。

「まぁ、食べてみようではないか。この重要な勝負にあえて素の汁物(スクタン)で挑むのだから、自信があるのだろう」

 タナクは真っ先に椀の蓋を取った。すると、飾り切りの孔雀が目に入る。

「おお、見事な細工だな。菜膳(さいぜん)ではルミヤという者の技術が光っていたが、この者もなかなかではないか」

 そう言って、汁を匙で口に入れてみると、柔らかな中に辛味や苦味、酸味が絶妙な塩梅で感じられ、薄くはあっても奥の深い味わいがあった。

「こちらは薬草や、体に良いと言われる食材を煮込んだ汁に香辛料などで味をつけています。春は暖かくなると同時に、季節の変化に体調を崩す人もいますので、体調を整え、この食事で胃をもたれさせないよう考慮しての品だそうです」

 説明を聞き、タナクは感心しきって、食べる人間を気遣うその心意気を褒めた。

「私が見たところ、薬草などは最高級のものをつかっておりますし、なにより孔雀の飾り切りを添えるのは、最上級の品格を表しています。昔、王族(ソンバル)に薬膳として素の汁物(スクタン)をお出しするときに、かならず孔雀の飾り切りを入れていたと聞いておりますから、それに倣ったのでしょう。今は飾り切りの文化が発達し、逐一その方にとって縁起の良い意匠をほどこすようになって、消えた文化ですが」

「おお、この場にふさわしいということか」

 料理長の説明を聞き、タナクの息子は安心したように自らも汁物を口に運んだ。

「少し体が温かくなったような心地がする。薬草、つまり医学の知識を持ち、さらに優れた味覚がなければ、これほどのものは作れまい。そして料理文化への造詣も深い。いやはや、サグという者は素晴らしい料理人だな」

 大方の予想に反して、タナクはサグの汁膳(じゅうぜん)を絶賛していた。


「汁物では負けたかもしれない」

 ルミヤは弱音を吐いた。やはり食材を満足に揃えられなかったことが、ルミヤの料理に影を落としているのだ。

「高級な薬材と言ったって、カルッタだのといった高級食材とはわけがちがいます。胃の薬なんて、そこらへんの労民(ロムノル)でも買えますよ。

 サグ殿の料理が評価されたことで、金をかけなくても、丁寧に工夫を凝らして調理すれば、勝利をつかめると証明されたではありませんか。なぜ自信を失うのです?」

 それは嘘をついているからにほかならない。カルッタをヒシャビと偽るという後ろめたさがルミヤにはあったが、ヒョオルは微塵も感じていないようだった。

「カルッタを買う羽目になったのも、あなたが強情を張った結果です。いまさら弱気になっていたら、都へなんか行けませんよ。

 私はサグ殿も揚げ物を作ると進言しましたし、先んじてカルッタの手配もした。徹夜であなたと安価な食材でごまかす方法を考えました。全てはあなたが都へ連れて行ってくれると約束したからです。それが反故になるなら、もうあなたに尽くす義務はないですからね」

 ルミヤの耳元に冷たい響きを残して、ヒョオルは問題の肉膳(にくぜん)の準備のため、(かまど)を離れていった。

 もし負ければ、ヒョオルは容赦なくルミヤを見捨て、過去にサグを陥れようとしたことも全て暴露してしまうだろう。そうなれば、何もかもが終わる。ルミヤは気持ちを奮い立たせて、ホロの煮込み(ホロッタグ)の仕上げにかかった。
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