第五章 料理勝負  第二話

文字数 3,026文字

 高級料亭において、何かしら料理人を選別する試験に、常連客が料理の審査で参加するのが常である。

 例えば、腕が上がった見習いを料理人へ昇格させる、俗に言う料理人試験の時は、日時が決定すると、料亭の方から常連客へ招待状を届け、審査員兼見届け役として試験に参加してもらうのだ。常連客にとって、招待を受けるのは非常に名誉なことである。

 つまりタナクは、今回料理長と新しい店の料理長を選ぶ試験を行い、その審査をすると申し出たのだ。

「それは願ってもないことですが、今は初茶節(ジュラムハ)の真っ最中ですからな。料理長選びは初茶節(ジュラムハ)が落ち着いてからになりますが、タナク様はいつまでこちらに滞在されますか?」

「ふむ、朝廷の方はしばらく留守にしても良いように取り計らってあるし、王様からも、ゆっくり羽を休めろと言われておるから、少々長居しても問題ない。初茶節(ジュラムハ)は来週をすぎれば落ち着くだろう。その後、試験が終わってから帰ればよい」

 タナクは鷹揚に言った。都の大|貴民≪シャノル≫が料理長選びに加わるとは、『月香(リウォソン)』にとっても光栄なことである。一座の者は皆これは良いと笑った。トンジュも断る理由はなかった。前は延期したが、いずれは都に店を出そうと考えていたので、これを良い機会として、料理長選びを開くことにした。

 このことは、食事会の後料理長に知らされた。あの騒動の後は気力を取り戻していた料理長だったが、その後は妙な事件が起こることもなく、また引退の時期を考え始めていたところなので、これはちょうど良いと、二つの店の料理長選びを快く承諾した。

 翌日の朝礼で、このことは料亭の皆に告知された。

 給仕長は料理長と相談し、新しい料理長選びの日取りを決め、その日は店を休むことを常連客に伝える手紙を書いた。

 本来なら、他の常連客も料理人選びに招待するのだが、今回はタナクの家族も審査に加わるというから、他の客は呼ばない。

「なに、朝廷の重臣たるタナク様がお決めになったことだ、文句を言える奴があるか」

 招待しなければ、常連客が気を悪くするのではないかと気を揉んでいる給仕長に、トンジュは鼻を鳴らしてそう言った。

 タナクは試験の内容にも注文をつけてきた。その一つに、料理人全員に試験を受けさせるというもものだった。

「ですが、この店では料理人は二十三名もおりますから、全員の料理を見るというのは、現実的ではありません」

 当然、トンジュは反論した。

「だが、真に優秀な者を選ぶとなれば、皆に機会を与えるべきではないか。自分にも可能性があると思えば、下の者たちも一層励むようになろうし、上の者もうかうかしてはいられないと、より気を引き締めるようになる。厨房にとって良い刺激になるではないか」

 タナクはあくまで全員での試験を求めた。

「だが、時間がかかるというそなたの言い分もわかる。私とて何も全員の作った料理を食べようというわけではない。先に全員に一つの課題を与えて、そこで優秀な成績を残した者のみ、試験に参加させるのだ」

 先にふるいにかけるというのだ。

 それなら、料理長とトンジュで試験に参加する者を選んでも同じだ。だがトンジュはそんなことはおくびにも出さず、にこにこ笑ってトンジュの望むとおりにした。

「都の重臣が料理長選びに参加したとなれば、この料亭の評判も上がるし、新たな都の店も勢いが付くからな。少々面倒でも我慢できるぞ」

 料理人たちは色めき立った。『月香(リウォソン)』の料理長も、新しい店の料理長も、ルミヤとサグがそれぞれどちらかに収まるだろうと決めつけていたのが、タナクの一言により、自分たちにも機会が回ってきたからだ。

 普段はルミヤに尻尾を振っている彼らも、いっぱしの野心はある。ルミヤの顔色を窺いつつも、心の中では我こそはと身構えていた。

「いいなぁ、私も料理人だったら、競い合いに出られたのに」

 日頃から将来は料理長になると豪語しているチョウナは残念がっていた。出世を望むのは見習いとて同じだ。今回は参加できないが、いずれ課される料理人試験や、またいつか訪れるであろう出世のための試練に備えるため、彼らもこの料理勝負を興味津々で見守っていた。

「皆やる気十分だな。もし料理人だったとして、サグ殿やルミヤ殿、それに他の役職付きの人たちには、はなから敵う気がしないけどな」

 二つの店の料理長選びが告知されてから、厨房は常に妙な緊張感と熱気をはらんでいた。それに当てられたのか、ジハンは諦め切ったような心情を吐露した。まがいなりにも高級料亭の料理人の卵だというのに、ずいぶん覇気がないが、これは彼の生来の性質によるところなのだろう。彼もまた料理人として大成したいとは願っているが、それは出世したり都へ行くことではなく、一人前になり故郷の店を繁盛させることなのだ。

「お前は欲がないな」

 (かまど)の火加減を調節しながら、ヒョオルは思ったままを口にした。

「お前は他の皆と違って、どうも冷めてる感じがするけど、今回の料理長選びに興味が無いのか?」

 ジハンも鍋の中の汁物を掻きまわしながら、思ったままを口にした。ヒョオルに欲が無いなど思っていない。ただこの厨房において、ヒョオルだけが冬の水瓶の中のように、冷たく静かだった。まるで料理長選びなど関係ないと言わんばかりに。

「興味はあるさ。俺も競い合うつようなつもりでいる」

 うっすら笑みを湛えてヒョオルは答えた。意味深な言葉にジハンは首をかしげたが、これ以上掘り下げるのは良くないと察し、お喋りをやめて作業に専念した。

 この発言の真意がわかるのはルミヤだけだった。彼はヒョオルの言葉にわずかに眉を寄せ、仕事の合間を見て、ヒョオルに夜厨房に来るよう言った。

「あんな事を言って、どういうつもりだ。誰かに聞きとがめられたら台無しになる」

 夜、燭台のわずかな灯りが照らす中で、ルミヤはヒョオルを叱責した。

 去年の秋、ヒョオルが自分の手駒となった時、来る時必ず自分を押し上げると約束したことを、ルミヤが忘れるはずはなかった。自ら競い合うつもりだというのは、影から助けることを意味している。まだ課題もだされていないのに、それを匂わせる言動をされては、誰かに動きを知られるかもしれない。

「そんなにびくびくしなくても、誰も疑いやしませんよ。疑われても潔白でいられる手を考えますから」

 焦るルミヤに対して、ヒョオルはどこか冷めたような口調で答える。

「ですが、まさか最初の課題でも、私の助けが必要なんて、言わないですよね」

「当然だ。最初の課題は、タナク様のご所望通りにしたと建前を作るためにある。私が後れを取るわけがない」

 ルミヤは憮然として答えた。

「おっしゃる通り、タナク様のご家族による審査が本当の競い合いです。その課題が出るまで具体的な手は打てませんが、私は必ずあなたを都の料理長にしてみせます。ですから、私も連れて行ってくださいね」

 釘を刺すような言い方も気に食わない。

「私は約束は守る。だがお前は大丈夫なのか?そんな冷めたような態度では、不安だな」

 言われっぱなしで終わりたくない。もっとやる気を見せろとつついてやった。

「冷めている? 誰よりも興奮し期待していますよ。でもそれを表に出したら、何かの拍子に疑われかねませんから。それに陰で動くには、冷静さが必要です」

 淡々とそう言ってのけるヒョオルに、ルミヤは少し寒気がした。だが、これほど肝が据わっているなら、むしろ頼もしいと考えるようにした。
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