第十章 王子の誕生  第七話

文字数 2,882文字

 皮をどの程度剥くか。そういう食の好みに関しても、担当している料理人は良く理解していた。だが宴となると、それぞれ六品の膳ごとに担当者を決めてしまうため、普段と同じように行き届かないこともある。だからこそ、誰は何が嫌いだとか、こういう味は好みではないとか、こまごまとしたことを打ち合わせるのだ。

(皮の剥き加減なんて人によるから、心配になったのね)

 サユはそう考えてカルマの不可解な態度に納得した。

「自分の膳以外の食材まで気にして。担当者も気がついていないのに探してやるとは、ずいぶん親切なことだ」

「王女様のこととなると、他の何も目に入らなくなるんですよ」

 サユは少し困ったような笑顔を浮かべた。

「カルマはなぜそうまでするのだ。王女様もなぜにカルマを担当にしている。もし『建穏院(ケヨンウォン)』が選んだのなら、お立場からして、若い料理女官ではなく、他に相応しい担当者があてがわれるはずだが」

「幼いころに王女様に目をかけていただいたので、その縁なのです」

 それはまだサユとカルマが見習い女官として修業していたころの話だ。『建穏院(ケヨンウォン)』の女官は幼い頃から色々な料理の技を学び、幾度も腕を試す試験を受ける。見習いとしての修行期間が終わる頃に、それまでの実力試験で好成績を修めた者だけが、料理人たちに交じって調理をする料理技能女官になれるのだ。

 ある時、飾り切りの試験で好成績を修めた達数人の見習いに、更に課題が課された。それは『建穏院(ケヨンウォン)』に常備してある酢を王女に飲ませることだった。

 当時同じく幼かった王女は酢が嫌いで、少しでも酢が入った食事を口にしようとしなかった。健康を心配した前王妃は、自らの食事を担当していた『建穏院(ケヨンウォン)』の司女官(しにょかん)にそうだんし、司女官(しにょかん)がこれを課題としたのだった。

「カルマは王女様がツンとする匂いを嫌って食わず嫌いなさっていると考え、においを消す効果があるキタタルを入れて酢を煮込み、さらにすりおろした果物や蜂蜜を混ぜたものをお出ししたのです」

 すると、王女はそれを口にしたのだった。

 王女はカルマよりいくらか年上だったのだが、自分より小さい子が工夫して苦手を克服させてくれたことにひどく感心したようで、王妃に言ってわざわざ住まいにカルマを呼び寄せ、感謝を伝え褒美を取らせたのだった。

 カルマはその頃から負けん気が強く、優秀な技能料理女官候補たちの中で抜きん出た存在にならんと、しゃかりきになっていた。そんな中で成功をおさめ、しかも王族から直々に褒められたというのは、彼女には望外の喜びだった

 王女はカルマに、優秀な料理技能女官になって、いつかは自分の膳を作ってくれと言った。その言葉を拠り所とするように、カルマはいっそう修行に打ち込み、料理技能女官として『教味院(キョニウォン)』で技術を身につけ今に至る。

「私たち女官は小さな頃宮中に入ったら、自由に外へ出ることはできません。生活のすべてが料理と礼儀作法の勉強、それにこまごまとした雑用。カルマにとっては、王女様のお褒めの言葉と期待が、ここで前向きに生きる理由になったのでしょう」

「そうなのか。お前は?」

「はい?」

 ヒョオルの興味がカルマから己に変わり、サユは戸惑った。

「ああ、その時の酢のことですよね。私は酸味をまろやかにすればいいのではと、色々試してた挙句、牛乳に蜂蜜を入れ、それに酢を混ぜたものをお出ししました。不味くはなかったですが、特別おいしくもなく、また王女様が嫌っていた匂いは消えていなかったので、口にしていただけませんでした」

 子供の頃の己の馬鹿な失敗を笑って、いい加減おしゃべりが過たと、サユは仕事に戻った。

 カルマは厨房の柱の陰で、ざるの中のユックの根を見つめた。

 正しくは、ユックの根ではない。王女の指示通り、調理が始まる前にこのユックの根を、皮をむいた毒薬ジョギとこっそり取り換えておいた。ジョギを王女が口にして倒れ、そしてそれを王妃の兄が入手していた証拠が出れば、王女殺害を企てたとして王妃を追放できる。これが王女の計画だった。

 しかし、調理が始まったころにそれとなく確認してみたら、そのユックの根と取り換えたジョギがざるごと消えていた。

(食材を取り分ける時に入れ替えたのだから、女官が配り間違えたというのはありえない。誰かがわざと女官の食事を作る所へ持って行ったのよ。でも誰が)

 カルマの脳裏にヒョオルの顔が浮かんだ。彼が持って行ったのだろうか。もしそうなら、まさか彼は王女の計画を知っているのだろうか。そしてそれを阻止するつもりだったのだろうか。

(あの料理人が王妃の手先なはずはない。今年宮中に上がったばかりなのよ。
 第一、王妃の命令で動くような人間は厨房にいない。だとしたら誰が持って行ったのかしら)

 こんなことをする人間が思い当たらない。しかし、それよりも重大な事があった。

(これは、ジョギなのかしら、それともただのユックの根なのかしら?)

 ジョギは皮をむいてしまうとユックの根そっくりで判別がつかない。刻んで煮詰めると毒がしみだすので、銀製の食器に入れれば確かめられるが、既に菜膳(さいぜん)が盛り付けられて運ばれた今、そんなことをする時間はない。

 もし偶然がかさなり、何か勘違いした女官が別の場所に移動させただけなら、ざるの中のものはジョギであるから、計画は成功だ。だが、仮に王女の計画を阻止しようと企む誰かがユックの根に取り換えていたのなら、王女の計画は失敗する。

(王女様が御身を危険にさらしてまで王妃を倒そうとしていらっしゃるのに、もしこれがジョギでないのだとしたら、全てが台無しだわ。

 この計画をやり遂げるのが私の使命だったのに、失敗するなんてありえない。でももう時間が無い)

 カルマが迷っているうちに、汁膳(じゅうぜん)の担当者がキョロキョロと調理台を見回し始めた。きっとユックの根が無いことに気が付いたのであろう。

 猶予はない。カルマはこれがジョギであることに賭けて、汁膳の料理人に駆け寄った。

「ユックの根です。なぜか肉膳(にくぜん)の所にありました」

「そうか? 先ほどまでここにあった気がするんだが。まぁいい。間に合って良かった」

 王女の恐ろしい計画のことなど知る由もない料理人は何の気なしにざるを受け取り、コロコロした球体を軽く炙って汁物の上に浮かべた。これだと汁に毒が染みださず、毒見では露見しない。

(どうかジョギでありますように)

 トソの肉を切り分けながらカルマは祈っていた。汁膳(じゅうぜん)は完成し、女官たちが捧げ持って会場へと向かってゆく。


 最初の菜膳(さいぜん)を食べ終えて、王女は和やかな祝いの宴に相応しくない緊張感を持っていた。いよいよ運命の汁膳(じゅうぜん)がやってくる。カルマが上手くやって、中に毒が仕込んであるはずだ。あらかじめ解毒剤を服用してきたから、たとえ毒の入った料理を食べても大事には至らないだろうが、それでもやはり恐ろしさはある。

(怖気づくとは情けない。あの女を亡き者にするのだ。やり遂げて見せる)

 王女は自らを奮い立たせて、運ばれてきた汁物を匙で掬い口にした。もちろん浮かんでいる丸い球体も口に含み、しっかりと噛み砕いて飲み込んだ。
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