第十九章 裏切りの始まり  第七話

文字数 2,992文字

 そしてリトクは医学や料理の食材についての学びに熱中し、サユ達と共に、ファマの体質に合わない食材を突き止めることに躍起になっていた。

「王子様は本当に良く学ばれますね。若い料理人たちに爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです」

 ヒョオルとの学びの時間もある。リトクは王室の書庫から持ち出している書物とにらめっこして、あれこれ書きつけをしながら考えを巡らせていた。

「新しいことを知るのは面白い。医学についても、学べば学ぶほどいろいろなことがわかってくる。例えば自分が過去に病になった時、どうしてそうなったのか、それにどんな処方がされるのか。今まで医官に言われるがまま、薬を飲み、針治療を受けていたが、こうして知識が付くとその意味がわかるというものだ。

 しかし、ファマの体に何が害となるかは、さっぱりわからぬ。あちらの医官と料理人も、長いこと探っているのだが、まったく見当がつかないというし」

「もしかしたら、食材の問題ではないのでは?」

 ヒョオルは今リトクが見ている医学書を閉じた。

「体に害のある食材を突き止めようとして、少し視野が狭くなってはおりませぬか。少し視点を変えてみるのもいいかもしれません。もしかしたらファマ様のお体に異常をもたらしているのは、食材ではないかもしれません。我々の周りには危険なものが沢山あるのです。例えばこの柱を塗っている塗料も、口に入れば毒になります。もしかしたらファマ様のお住まい、あるいは身の回りの物に、何か赤子にとって悪いものがあり、それが時々発疹を引き起こしている可能性もあります。王子様、毒物について調べてみるのはいかがでしょうか?」

 これだけ調べても突き止められないのなら、そういう可能性もあり得る。リトクはヒョオルの助言に従って、毒物についての書物を読み始めた。

「この医学書は私が戻しておきます。もう何べんもお読みですから、覚えてしまわれたでしょう」

 ヒョオルはいくつかの書物を手に退出した。外はすっかり暗くなっていた。

 暗闇の中、リトクの住まいを遠く離れ、人気のない場所で立ち止まると、ヒョオルはおもむろに医学書を開いて、その一枚を破り取ってしまった。


 翌日、リトクは時間を見てサユ達と合流した。そこであれこれ意見を出し、医学書をあたり検討してみたが、やはり原因となる食材を突き止められなかった。

「もうすぐファマの誕生祝の宴が開かれるというのに、心配だ」

 医官が下がった後、ふとリトクがそうこぼした。

「それにしても、ここまで調べても突き止められないのは、もしや食材ではない何かが原因なのではないか?」

 リトクは昨日ヒョオルから視点を変えるのも手だと進言されたと話した。

「ヒョオルさんがそうおっしゃるなら、考えてみる価値はありますね。それにこの前見た施療院の症例の中にあったのですが、卵が食べられない者が、卵を使っていない料理を食べて症状が出たことがあり、原因はその料理を作る前にその鍋で卵を焼いていたからだったと。きちんと鍋を洗わなかったせいだとされていましたから、宮中でそのようなことは起きようはずがありません。でも、そうやって、器にわずかにその食材の名残があったり、近くで調理しているだけでも、影響が出るのかもしれませんね。

 私は、ファマ様に症状が出た時、他の方たちが何を食べていらっしゃったか、記録を調べてみます。共通する食材があれば、それが原因かもしれません」

 サユはいい思い付きだと、明るい顔色でさっそうと『建穏院(ケヨンウォン)』の書庫へ向かった。

「その食材が料理に入っていなくても症状を引き起こすことがあるのか」

 それもまた新たな視点であった。これで調べが進めばいいと、リトクは少し気持ちが明るくなった。


 冬の寒さはどんどん薄れてゆき、ファマが生まれた春の気配が強くなってきた。『建穏院(ケヨンウォン)』では明日の宴の献立も決まった。もちろんキョンセがさりげなく、自分たちの計画に都合のよい料理に決めたのは言うまでもない。

 自分が王妃になって初めての息子の誕生祝いだ。新王妃も気持ちの入れようはひとしおで、ファマの好物が出る飯膳(はんぜん)の調理を特に料理長に頼むほどだ。

「でも、王子様は何かの食材に弱い体質で、それが何の食材なのかわかっていないのに、宴でごちそうを食べるのは、少し危険なんじゃないか」

 今回は手伝いに駆り出されていないトックだったが、ファマのことについては『建穏院(ケヨンウォン)』中に知れ渡っているので、そんな心配をした。

 マァヤは慌ててトックの口をふさいだ。

「新王妃様に知られたら、どんなお仕置きを受けるかわかりませんよ。なにせ新王妃様はファマ様こそをお世継ぎにしようとお考えなんですから、盛大な祝いをしようと張り切ってるんですから」

「お世継ぎって、兄君が二人もいるのに?」

「兄君二人はお二人とも今はもういない王妃様のお子でしょう。しかも前の王妃様は二人とも罪を犯しているんですよ。だから新王妃様は、ファマ様こそがお世継ぎに相応しいと自負しているんです。実際、ファマ様を支持する重臣もいますから、そういう人たちの意見を後ろ盾にして、ちょっと強引でもファマ様の存在感を高めようとしてます。ほら、お住まいの一悶着なんて、まさにそうじゃありませんか」

 ファマの住まいの格が長男であるリトクと同等だったというのは、宮中では少々の驚きをもって受け入れられていた。

「だが、王様はまだ誰ともお心を決めていねぇんだろう。その証拠に、東宮殿には誰も住んでねぇからな」

 ホンガルが言う通り、王はファマに世継ぎの住まいである東宮殿を与えなかったし、リトクにもマショクにも、そこに住むことを許していない。

「それにしても、王様はお子に恵まれて喜ばしいことですね。王室も安泰というものだ」

 きわめて能天気なトックの感想に、マァヤもホンガルも呆れかえった。

「なに呑気なこと言ってんだ。三人も王子様がいるからめんどくさいことになってんだろうが。お住まいの一件ではマショク様のお付きの者たちが相当怒ってたって話だぜ。それで仕返しに、贈り物は甘膳(かんぜん)だけだったとか。それで今度は新王妃様とファマ様側の人間が腹を立ててるって話だ。その時の甘膳(かんぜん)で何かの食材がお体に合わないってわかったんだが、最初は新王妃様が、息子の命が狙われたって騒いだらしいしな。

 リトク様とマショク様の間も、決して穏やかじゃねぇ。この前ヒョオルがリトク様の担当になったから、マショク様の周囲は、優秀な料理人を横取りされたって恨んでるそうだ。ほら、だからソッチョル殿に不満のマショク様のお使いで、よく女官やら宦官やらが『建穏院(ケヨンウォン)』に来てヒョオルを探してるだろう」

「リトク様とマショク様は、仲の良い兄弟だと聞いていますけど」

「ご本人たちはね。でもお付きの者たちはいがみ合っていますよ。そもそもリトク様の母上である先の王妃様と、マショク様の母であるその前の王妃様、そして姉上が恐ろしい争いを繰り広げていたんですから。お世継ぎが決まらない限り、きっとまた事件が起きるに決まっていますよ」

 世継ぎを巡る争いなど、芝居の中だけの事だと思っていたが、現実に起こりうるものらしい。

「だとしても、そう残酷な事が何回も起きるわけはないよ」

 トックはあくまで楽観的だった。もうすでに新王妃の手によって、陰謀の準備が着々と進んでいることを知らないから無理もないことである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み