第二十七章 大膳師君  第八話

文字数 3,021文字

 すると一人の料理人が、実はヒョオルが徹夜で手伝ってくれたのだと打ち明けた。それから他の料理人も、実は予算が足りず鮑が買えないところを、ヒョオルが懐から補填してくれたとも言った。

 宴であれほど素晴らしい飯膳(はんぜん)を作ったのに、その前に夜を徹して民の為の(ユハン)作りを手伝っていた。その上身銭を切って鮑を買っていたと知って、王はいたく感激していた。

「いいえ。王様の民を思うお気持ちを考えましたら、よりよい料理を届けるために尽力するのは当然のことです。民は鮑など口にしないでしょうから、予定の数より少なくなることは避けたかったですし、飾り切りも民を喜ばせるために、より工夫をこらそうと思ったのです。

 それに、私が手を出したのはそれだけです。他はこのジャビが取り仕切ってくれました。この者は菜園で食材の研究をしておりますが、提案の素晴らしさから、もう少しその腕を発揮できる機会があればと思いまして、任せたのです」

「そうか。下の者が力を発揮できるように計らったのだな。料理長と言う立場にありながら、労を惜しまず仕事に取組み、こまごまとしたところまで配慮するとは。まことに得難い人だ。神官が占いでそなたはたぐいまれな相を持っていると言っていたのも頷ける」

 王はこれ以上無いような賞賛をヒョオルに与えた。聞いている料理人たちはまるで我が事のように誇らしく思い、顔を輝かせていた。

(なるほど。こういうふうに私を使うのだな。この顔でも腕があればこうして機会を与えると。貴人の食事係はどだい無理な料理人にも、日の目を見る機会を与えたと。公平さと慈悲深さを王様にみせたというわけだ)

 ヒョオルが(ユハン)を手伝ったことや鮑を買ったことを話した料理人たちも、ヒョオルの命令で打ち明けたわけではない。こうなるように上手く仕向けられたのだ。この男にはこういう奸智に長けたところもあったのだった。

 この顔を焼いたのは復讐のためだった。なのにまんまとその仇をよく見せるための道具にされてしまった。ジャビは全身が燃えてゆくような悔しさと虚しさ、そして怒りを覚えた。

 王はジャビたちの功績をたたえて、今月の給金を増額すると言った。皆王に感謝の言葉を述べた。

 王が行ってしまうと、ジャビは逃げるように菜園へ戻った。いつも書き物をしている場所に腰掛けるとようやく落ち着いた。

 何にせよ、ヒョオルが自分を疑っているわけではないとわかった。それでいいように使われた悔しさもいくらか紛れる。

 それとは別に、はっきりと顔の分かる距離で王と対峙したのも、彼にとってはとてつもない出来事であった。死んだはずの息子だと露見してはならないと、父の視線を真正面から受けることができなかった。

 結果、王は気が付くことなく去っていた。ほっとしたと同時に、寂しさも覚えた。生きていたと知られたくないと思っているのに、もしかしたら容貌が変わっても気が付くのではないかと、どこかで期待もしていたのだ。

(馬鹿なことを。仮に王が私に気が付いたとして、どんな顔をすればいいのだ。子として何を話せばいいのか)

 トックから全ての真相を知らされてから、父への尊敬はめっきり減ってしまっていた。それなのに、親ならば目の前にいるのが息子だと気が付いて欲しいと望んでいた。自分の愚かしさに嫌気がさした。

 しばらくすると、そういう濁流のような感情も落ち着いてきた。ヒョオルはただ自らを良く見せるためにジャビを利用したのだから、今後はこれまで通り菜園でひっそりと仕事をしていれば手を出されることは無いだろう。

 ジャビの予想の通り、その後ヒョオルがジャビに注目することは無かった。新年の部署移動でも、菜園を動かされずに済んだ。

 しばらくしてから、新王妃の翡翠の冠が出来上がり、トンジュがこっそり宮中へ持ち込んだ。新王妃は助かったとトンジュに感謝したが、依然として借金は残っていたので、トンジュは返済をしっかり頼むと釘を刺した。

 その翡翠の冠は、側室が生んだ王女の誕生祝いの宴で初めて人目に触れた。儀礼を統括する部署の権女官(けんにょかん)が王妃の装いに間違いがないか確認しに来たときに、新しい冠を見て首をかしげていた。

「な、なんだ。何を見ておる。王女の誕生祝の宴だ、この冠で正しいであろう」

「ええ、間違っているわけではございませんが。ただ、なんというか、ちょっと見慣れたものとは違う気がして……」

 売り払った翡翠の冠とそっくりに作ってある。だが、新王妃も冠の意匠をつぶさに覚えていたわけではないので、細かい部分が異なっている。権女官(けんにょかん)は妃の儀礼の衣服を整える役割であり、いつも儀礼の前に着付けが間違っていないか、格の間違ったものを身につけていないか確かめていた。当然、翡翠の冠の違和感に気が付いたのだ。

「年を取って目が悪くなっただけであろう。それともなにか、前の王妃と比べて似合わないとでも言いたいのか」

 怒りを見せると権女官(けんにょかん)は首を縮めて非礼を詫びた。それきり、そのことはうやむやになった。

「あの者とて冠の形や模様を完璧に覚えているわけではありませんから、知らぬ存ぜぬで誤魔化せばよいのです」

 宴会場へ行く途中でお付きの者に励まされ、新王妃はより一層胸を張って歩いた。

 そういうわけで、王妃の冠について、偽物だと指摘する人間はその後一人も現れなかった。


 その年の前半は占いの通り、まったく平穏に過ぎた。ヒョオルも珍しく陰謀を巡らすことなく『初茶節(ジュラムハ)』を迎えた。

 しかし、夏を前にして不穏な影がやってきた。梅雨に入ってから雨が少なく、日照りが起きる可能性があると、天文官から報告が上がったのだ。

「もし日照りが起きたとあれば、また飢饉が起きるやもしれぬ。なんとしてもこれを食い止めねば」

 王はすぐに食料の備蓄の数を数えたり、飢饉の影響が出やすそうなのはどの地域か重臣たちと話し合ったりして、対策を取ろうとした。

 その一方で、占いが外れたのかと、溜息をついてもいた。

「占いなど、当たる時もあれば外れる時もあります。新たな年をどう生きるかの指針になったり、気を引き締めるためのものに過ぎませんから。それに王様が迅速に対処していらっしゃるので、もしかしたら大きな被害が出ずに終わるかもしれません。そうなればやはり平穏だったと、そういうことになるでしょう」

 ヒョオルはそう励ました。

 その時側には親衛隊長のカンビもいた。

 彼は親衛隊長になった後、あまりヒョオルと親密ではなかった。ヒョオルの方がある程度の距離を取っているからにほかならないが、彼自身は高い地位について、かつ料理長とも懇意にしていると、親戚などに言いふらしていた。

 ある時、遠縁の夫婦がやってきて、是非娘を王太子妃にと頼み込んできた。

 ファマの年齢であれば、今から妃を決めておくのもおかしくない。ただ、王太子妃は将来の王妃であるから、名家の娘の中から、教養や礼儀作法を審査したうえで決定される。田舎から来た娘がやすやすと就ける地位ではない。

 だが夫婦は親衛隊長であり時の権力者と懇意にしているカンビに頼めば、それも夢ではないと信じ切っているようだった。カンビも、出来ないなど言えず、とりあえず自宅に逗留させていた。

(我が一門から王妃が出るのであれば、それは喜ばしいことではないか。上手くいけば、私は将来の王の後ろ盾になれるのだしな)

 と、簡単に野望を膨らませたカンビはどうにかして娘を王太子妃にねじ込もうと画策していた。
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