第5-6話 行き場を失った想い

文字数 1,168文字

 エルの胸に期待が拡がる。英雄ヴァン・サメル--。八竜の一体を倒し、ジェロの親友にして、『撃竜八傑伝』の著者。何故千年間生きているかは不明だが、その人ならば、とエルは(すが)るように言葉を漏らした。

「なら…。お願いがあります。あの戦闘をやめさせてくれませんか?!」

 ヴァンはエルを見下し、「そういうところだ」と吐き捨てる。

「気に食わないね。下手(したて)に出て相手の善意を促せば、常識に従い相手がやってくれると思っている。惨めで甘ったれの考えだ」

 エルはリュゼにいた頃は怒ったことがなかったように思う。しかし、今そのときからは想像出来なかったほどの怒りが、急に込み上げきた。湧き上がった感情をそのまま口にする。

「じゃあ、どうしろっていうんです!?自分じゃあそこに行っても死ぬだけだと止められて、代わりに凄い人に一生懸命頼んでみれば甘ったれと否定され!どうすればいいんですか!早くしないと、人が、人が死んじゃうんですよ!ここだけじゃ無い、兄の思惑に踊らされ、竜に喰われて…。何も悪い事なんてしてないのに、みんな死んでいくんですよ!なんとかしないとって思うじゃないですか!死んでいく人々には、待っている人だっているんだ!それなのに、それなのに、ただ無意味に…」

「お前が"意味"を決めるな」

 瞬間、空気が氷原の様に冷えた。空間が氷の青に染まり、ヴァンの口から白い息が出ていると幻視するほどに。

「そんなに軽いもんじゃ無い、生命は」

 目も合わせてくれぬまま、宙を見て呟いた無表情のヴァンに、エルは威圧され、そして何も言えなくなった。

「何かを成し遂げようと思う者なら、決して地位や名声に縋りつく事なんてない。そう見せる事はあってもな。君は僕の力を見た事があるか?感じているか?そうじゃない。今は君がしたのは、ただ『偉人と言われる人間に縋った』だけだ。頼みでも、頼るでもなく、ただ縋ったんだ。そんな奴、世の中に五万といて、そいつらが何かを成し遂げる事なんてない。凡庸。実につまらないよ」

 図星を突かれたエルにもう返す言葉も、熱も残っていなかった。ヴァンは、エルに背を向けて、最後の言葉を残す。

「僕は君の力にはなれない。他を当たるんだな」

 エルは何も言わずにただ俯いていた。深い絶望感。それに浸りきっていた。ヴァンはそんなエルを少し名残惜しそうに見た後で去った。そして、一言だけひとりごちた。

「あそこで、手を掴むようならまだ見込みはあったのに…」

 エルがリュゼで見せた朦朧とした意識でも立ち向かう意志を見せられれば、顛末は変わっていたのだろう。しかし、それをするにしては、エルは疲れ過ぎていた。最早、立ち上がる気力もなく、ナナイから聞いたジェロの遺言も果たせずに喧嘩別れとなった絶望に抗う事など出来ずに、ただ木の上で座り尽くした。戦場を、人が死んでいくのを感じながら。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み