第2-5話 エルと国王

文字数 2,641文字

廊下を少し歩けば、砂糖と旬の果物を煮詰めているような甘い匂いが漂ってきた。朗らかな陽が舞い込む宮殿で、エルの樫の靴底が小気味良い音を立てながら、大理石で出来た廊下を進んでいく。

「撃竜祭の迎賓のための試作でしょうな。」

エルが聞くより前に、エルの気心を良く知るユーハが呟く。ユーハは長年の宮殿勤務で身に付けた足音の出ない歩き方をしながら、エルの数歩後ろを歩いている。

エルは、ふーんと言ったあと、興味深そうに水場の部屋の入り口を見ている。あわよくば、味見でもしてみたいものだけれど、ユーハに言えば「はしたない」と怒られるだけだろう。そう思い、名残惜しさを感じながらも諦めて歩を進める。

廊下は普段と違い、祭りの準備なのか、蓋のされた水瓶や木箱などが至る所に山積し、右へ左へと蛇行する必要があって歩きづらかった。しかし、見慣れないそれらは、エルにとって一つ一つが宝箱のように見えていた。

「どこに行くの?」
「まずは幼少期のことを知りに。」

これから一体どこへ向かうのだろうと、エルは少し緊張する。先日の授業のあと、兄を知ることが自分を好きになってもらう第一歩ということで、オルナの不在を見計らって、オルナの指導役をしていたこともあるユーハが、兄の思い出の品などを見せてくれるということになった。
緊張し始めたエルに対して、ユーハは悠々と前を見据えて歩いており、エルに昔話を聞かせてやる。

「オルナ様は今日でこそ、スタテンド王国の総合政策取締役などを任され、千年に一人の天才、金色の獅子王などと持て囃されておりますが、赤子の頃から天才だった訳ではないのです。」

そう語り出したユーハの話によれば、オルナが歩けるようになったのは生後11ヶ月の頃と一般的で、乳離れしたのも一歳になってからだという。

「喋るようになったのは生後6ヶ月の頃で、絵をを書き始めたのが一歳。兵法を覚えたのが三歳です。」
「つまり、それって天才じゃん!」
「そういう捉え方もありますね」
「もう、ユーハ!からかわないでよ!」

たどり着いたのは、王宮の外側に設けられた倉庫として使われている建物であった。壁面は少しカビっぽくなっており、扉のところどころが王宮内と違い錆びついていた。

「こんな建物あったんだ。初めて見たよ。」
「ここは物置ですから、普段は王族の方が来ることはありません。昔、エル様の祖父が勉強が嫌になり隠れに来たことを除けば。」
「お祖父様がここに?」
「ええ。エル様も勉強から逃げたいときはここに来たらどうです。」
「ユーハが知ってたら意味ないよ!」

そんな他愛もない話をしながらユーハは扉を開ける。埃っぽい空気がもわっと中から出てきて、扉から入る光に埃が照らされて煌めいている。

ユーハが中から取り出したのは、剣術鍛錬用の石人形だった。その石人形は至る所が欠けており、歴代使い古してきたものに見えた。

「相当古くから使っているんだ?」
「いえ。これはオルナ様だけが使ったものです。」
「ええっ!?」

エルは思わず唾を飲む。石人形をエルは使ったことがないが、使われている石はオズフマント石と云われる非常に硬い石だと聞いたことがあった。それがこれだけ欠けているということは、それだけ沢山の打ち込みをしてきたということに他ならない。

「これだけでは有りませんぞ。」

そう言うとユーハは悪戯っぽく笑い、石人形を倉庫に片した後で、次の目的地へと歩き出した。


また来た時のように、木箱や水瓶を時々避けながら歩いていると、奥から靴音が響いてきた。廊下の先に人影が見える。

国王と王妃だ。そして、お付の者数名。
エルとユーハは、すかさず廊下の端にひざまずき、頭を垂れる。国王はその様子を見て、片手を挙げて呼びかけてくる。

「エルではないか。こっちへ来い。」
「はい!」

答えるよりも早くエルは王の元へと駆け出していた。そして、王は駆け付けたエルの頭を荒っぽく撫でてやった。エルは首をグラグラさせながらも、王を上目遣いに見て、嬉しそうに口角を上げている。

この王族は家族といえど何時でも会えるわけではない。王は普段、公務のために王宮の前を守護するお城にいて、王宮にいるエルと会うことはほとんどない。

「勉強は捗っているか?」
「はい!」

元気よく答える。ユーハは、威勢の良い嘘に地面を見ながら目を見開いた。日頃ユーハから報告を受けている王妃は、口元を服の袖で隠しながらこっそり笑っていた。国王は満足そうにしている。

「うむ、そうか。では、早くオルナの様に立派になるのだぞ。お前も早く数千年に一人と評されるような人間になるのだ。」
「はい。」

エルは少し身体の力が抜けるのを感じ、肩を落とした。王は言い終わると、辺りを見回し、少し顔をしかめた。

「少し見苦しいな。ユーハ、整理するよう伝えおけ。」
「はっ!」

ユーハは、下を向いたまま、腹に力を込めて短く答えた。王はその返事を聞く間もなく、出入り口に向かう廊下へ向かい身体を翻し、歩き始める。大きく、規則的な靴音が廊下に響く。

お付きの者共も一斉に歩き始める。エルは少し寂しそうに顔だけ父の元に向けて見つめる。そんなエルの元に、母がドレスの裾を少し持ち上げながら、小さな歩幅で小刻みに足を動かして近づいてくる。優しい手でエルの頬を包み込み、微笑む。

「エル。無理せず、ね。勉強だけが全てじゃないわ。アナタにはアナタの良さがあるの。」

それだけ言うと、素早く国王の行列に戻って行った。母はユーハとすれ違う時、小さくユーハに言付けた。

「オルナを少し観てて。」

ユーハはその意図を咀嚼しながら素早く頷いた。エルは母が包んだ頬に指を当てながら、頬に感じたその優しさを噛みしめて、母と父の後ろ姿に手を振った。

王の行列が見えなくなったのを確認して、ユーハがエルの元へゆっくりやってくる。父と母の去った方をまだ見続けているエルの肩に、ユーハはその手をそっと置く。

「大丈夫だよ。ユーハ、行こう。」
「分かりました。」

辿り着いたのは、王宮内のある部屋の入り口だった。その部屋には窓がないのか明かりは入っておらず薄暗い。

「ここは…?」
「オルナ様のお部屋です。」
「えっ!?」

ユーハを見ながら、思わず仰け反るように驚く。そんなエルを無視して、ユーハはポケットから橙色の鉱石を取り出す。

「今日は、魔導石協会の学術研究会でレツカ帝国に行ってらっしゃいますので、バレますまい。」

人差し指と親指で鉱石をつまむと、橙色の鉱石からロウソクの火のようなほのかな灯りが溢れだした。

エルは思わず息を飲んだ。
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