第2-12話 まつりの初日

文字数 2,175文字

エルは、どかりとソファに身を預けた。

「ユーハァ、もう疲れたよお」
「まだ、夕食の準備が出来ましたら、各国の皆様との会食がございます」

いつもの口うるさいユーハなら、もう一言二言ありそうなものだが、流石に疲れたのか、ユーハの回答は手短かだった。


遂に"撃竜祭"と呼ばれる祭りの日を迎えたスタータ王国では、それは大変な騒ぎとなっていた。今もエルたちの滞在する控え室の窓からは祭囃子や花火の音が聞こえており、喧騒が鳴り止む気配はない。撃竜祭は三日に亘り開催され、その間静かな夜が来ることはないのだ。

世界の国々の始祖たるスタータ王国には、昔からの伝統で、各国の代表が訪れて、スタータ王国の繁栄を祝福することになっていた。レツカ帝国等の新興勢力を除けば、スタータ王国より国力に優れる国々もこの日ばかりはスタータ王国に見参する。

スタータ王と王妃はもちろんのこと、王子であるエルたちも各国から来訪した代表の親族をもてなす必要があり、朝から晩まで気を張りっぱなしであった。

特にエルは、各国代表の親族である少年少女のお茶会を主宰せねばならず、慣れない役割にエルは緊張しっぱなしだった。家臣たちが司会進行をしてくれるものの、会話を回すのはエルの役割となる。

加えて、このお茶会の裏目的はエルの花嫁候補の選抜であるため、家臣たちは逐次参加者のマナーや気性を注意深く観察しており、各国もそれを察しているためか、スタータ王国との親交を深めたい国や内部侵略を進めたい国の娘などは、特に自己主張が強くて、気弱なエルはたじろぐ場面が多く見られた。

それらの気苦労が七歳のエルには強い負担となり、今に至るのだった。

「もう動きたくないよお」
「この間にしっかり休憩しましょう」

そう言ってユーハは、普段と違いぬる目のお湯で紅茶を淹れて、たっぷりの砂糖を溶かし込み、それをエルの前に置いた。エルはそれで一息を吐く。甘くて美味しいと微笑むエルを見て、ユーハも微笑んだ。


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オルナは血に塗れたまま立ち尽くしていた。

「オ、オルナ?」

壁に寄りかかり震える王妃がオルナに問いかける。オルナは右手に握った氷剣を一振りして、血を払い、王妃を不敵な笑みで見遣った。その足元には、父である国王が血を零しながら倒れていた。

「あなた、自分が何したか分かっているの」
「愚問だな。母上はもっと賢いかと思ったが」

母の質問を一刀したオルナは、母に(やいば)をむけ、エルの上腕の辺りを出発点に--その胸を貫いた。母は抵抗することもできず、「エル、逃げて」と願いながらその命の()を吹き消された。辺りには、王妃の親衛隊の亡骸も転がり、その一帯は生臭い血の海が広がっていた。

(まつり)の始まりだ」

オルナは無表情にひとりごちた。その顔に実父たちを殺した罪悪感など微塵もなかった。

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王妃の導力が消えたことを感知したゴーマンは、市街地巡回警備の任にあるにもかかわらず、脇目も振らずに走り出した。後ろで怒鳴り追いかけてくる上司を置き去りにし、冷や汗を垂らしながら城を目指した。


恐ろしい女性だとゴーマンは思う。
王妃は小国の一領主の家に生まれたが、その美貌と聡明さが買われ各国から縁談が殺到し、いっとき"(とき)の人"となった。その数多ある縁談からスタータ王国の現国王ファサ・スタテンドを相手に選び婚姻した。来歴だけで見れば、それは当時としては破格の玉の輿ストーリーであったが、王妃の噂話を知る者は誰もがお似合いだと見做すことが多かった。
そんな彼女は、スタータ王国で親衛隊という名で自己の一つの政治組織を結成し、王を介さず諜報活動や軍事行動を起こせるようになっており、通常の王妃の役割を超えた実権をもちえた。この現況から鑑みれば、並居る強国を抑えてスタータ王国を選んだのも、ある程度の国力があるうえで、他人を慮る能力が低く、あまり深慮しない男を夫にしたのではないかと勘繰らざるを得ない。

一つ一つの行動に理由がある。それがゴーマンの王妃評であった。彼女には先見の明がある。現に自分の死すら予見していたのだ。

ゴーマンは、祭りに酔狂する人の無秩序な往来を無視して目的地に猛進しながら想起する。

彼女の聡明さはオルナに受け継がれ、そしてオルナは彼女から倫理観というブレーキを受け継がなかった。だから、今回の事件に至った。逆に言えば、彼女自身も内心には、"その気"はあったのかもしれない。

「私に何かあったら、エルをあなたの街に連れて行ってほしいの」

それが王妃の依頼だった。その条件を飲んでやる義務はなかったが、王妃はその感知能力で"雲に浮かぶ村"としてリュゼの存在に気づいており、ゴーマンの調査役としての諜報活動を見逃すことを報酬として提示したため、ゴーマンは一度持ち帰った上で依頼を受けることにした。

正直、それほど近い話としての認識はなく、頭の片隅にに留めておくか程度に思っていたのだが。


ゴーマンは、急遽リュゼへの脱出経路を算定しながら、エルの元へと向かう。警備図は頭に入っているが、不安を煽るのは王妃が自分に頼んだということだった。少なくとも、メルマとかいう強そうな彼女の親衛隊隊長では敵わない敵なのか。そして、この地上の"世界"には以降、エルの安全な地はないということか。何通りものシミュレーションをしながら、ゴーマンは脱出時に起こりうるあらゆる可能性を炙り出そうとした。
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