第5-5話 ヴァン・サメル来たる

文字数 1,690文字

 エルは時間が無いと焦りながらも、兎に角戦闘を辞めさせるため、戦場に介入することだけを決めた。もう人に死んで欲しくない。敵は…、取り敢えずスタータ王国正規軍。魔導石は『黒点』で対応し、導術で敵を牽制するが、決して殺しはしない。そして、スタータ王国と戦う人たちに事情を聞こう。もし、それで悪人だと分かれば、彼等をあの三兄弟と同じく縛り付ける。ただそれだけだ。今は情報が欠落しているのだから、この案以上のものは出せない。そうなら、もう行くだけだ。
 エルは決意を固めて、木の上から戦場へ向かおうと足に力を込めた。

「良く無いね、それは」

 その一言で初めてエルは自分の肩に置かれた手に気付いた。置かれた手を辿り、その手の主を見ると、そこには栗毛の肌の白い男がいた。エルは直感的に「死んだ」と思った。それ程、気配を感じる事も出来ずに接近を許していた。唖然としながら冷や汗を垂らして、その栗毛の男の次の言葉を待つ。その瞬間は永遠にも感じられた。心臓は今までに無いほど早く、自覚出来るほど強く脈打った。
 栗毛の男は冷えた目でエルを見下し、告げる。

「僕は失望している。ジェロ・スタテンドが君に教えたのはそんな事か?」

 ジェロ。そう言った。この人はジェロを知っている。エルは恐る恐る尋ねた。

「あなたは?」
「そんな事はどうでもいい。今、君がやろうとしていた事を話してみな」

 栗毛の男の手の冷たさを感じながら、エルは生唾を飲んで指示に従う。

「人がこれ以上死なないように、戦闘に介入して、スタータ王国と戦おうとしました」
「何故スタータ王国を選んだ?」
「あ--」

 兄の国だから。そう言おうとして一瞬エルは口を噤んだ。まだこの人は誰か分からない。矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。その空白の瞬間は、零点何秒にも満たない時間だった。

「オルナ・スタテンドの国だからです」
「ふむ、今誤魔化したね。本当に言おうとしたのは?」

 この人は全てを見抜いている。エルは分かった。そして、今自分の命がこの男に握られているのだということも。この男からはオルナの様な愛情の欠落した冷たさは感じない。今、この身体に伝わるのは、本当に失望したという、彼を温めていた熱が冷えた後の冷たさに思えた。エルは自分の感覚を信じて話す事にした。

「すみません。知らない人であるので、素性を隠そうとしました」
「ああ、そうだね」
「本当に言おうとしたのは、『兄の国だから』。兄の国だからきっと悪い事をしようとしていると思って」
「では、あそこにいるのは君の兄か?」

 エルは言葉を返さず、目を見開いた。彼の言葉にハッとして、何も返せなくなった。栗毛の男は、ため息を吐いてから言葉を続けた。

「では、君がスタータ国軍と戦うとして、あそこの何百といる敵を前にして生きて帰れると思うか?」

 エルは無言のまま、何も返せない。どちらの問いも、言われてみれば当たり前の事だった。それ故に、彼の質問の意図する事を素直に受け入れるしか無かった。反論など出来る訳が無かった。

「君は全く以って、つまらない。型に嵌り、型に囚われ、型通りであろうとする。スタテンドの様な意外性や人をワクワクさせるような魅力が皆無だ」

 栗毛の男は、もうエルが戦場に行かないと判り、エルの肩にかけた手を下げた。

「人を死なせたくないと思うのは結構。だが、君はあそこに行けば死んでいた。だから、止めた。正直、もっと観察しているつもりだったんだが。旅は人を成長させるからね。だが、ここが幕引きになりかけた。だから、止めざるを得なかったんだ、残念ながら。同時に僕は失望したよ。スタテンドからの折角の頼みだったから、久しぶりにワクワクしていたんだがね。それが君みたいな奴だとは。実につまらない」

 エルは失望をありのまま言葉にされて胸に痛みを感じながらも、その言葉の行間から滲み出るジェロへの思いを汲み取り、胸の内に期待が拡がる昂揚感を自覚した。栗毛の男は一呼吸を置いてから、エルを見下し告げる。そのとき、一陣の風が吹き抜けた。

「僕はヴァン・サメル。スタテンドから君を導く様に頼まれている」

 エルは、胸に希望が差した気持ちがした。
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