第1-6話 長い夜の始まり

文字数 1,122文字

ジェロは、脇目も振らずに一目散に駆け出した。すれ違う浮かれた村民が話しかけるのにも応じず、走りながら大声で叫んだ。敵襲、と。ジェロが目指してたのは、ナーラの元だった。

ナーラは普段上手に気配を隠していて、いくら感知能力に優れた者でも、ナーラのような熟練の導術使いがいることを認識できない。代々その秘伝を導師長の家系は受け継いできた。それ故に、これまでもリュゼは、世界でも上位に入るであろう斯様な導術使いがいても知られることなく、前人未踏を貫くことができ、平穏に過ごせて来た。そのナーラの気配が、今の一瞬で一気に膨張し--それも敵意を伴って--、一瞬で跡形もなく消えた。つまり、ナーラは何者かに殺された。敵は相当な実力者である。そんな敵に、この村で対処出来るとすれば---。

自分しかいない、そう断定付けたジェロは、敵を迎え撃つ為に走った。村民は、いくら普段訓練しているといえ、やはり平和ボケしていて、この事態を認識している者もおらず、なめくじのように愚鈍に思えた。ジェロは、これから起こり得る悲劇が頭をよぎり、逃げろと言葉を改めた。見込みの甘さに後悔を抱きながら、自分一人でどれだけ時間稼ぎが出来るか、とジェロは考えながら走った。

「エル、せめてお前だけでも…」


フランガナダル山脈を前方に添えた小さな城下町で門番をするフーとルハナは暇そうに前方の暮れゆく空を見ていた。

「ほれ、みろ。フンザナハ山の向こうにでけえ雲があるだろ?」
「へっ?ああ。」

ルハナは興味なさげに適当に相槌を打った。暮れゆく空の中に茜色に体を染めた雲の塊が一つ、他の雲よりも穏やかに、フンザナハ山の近くを通り過ぎて行く。

「オレの地元じゃ、あれは『竜の巣』って呼ぶんだわ。あれは竜の住処らしいんだが、お宝が眠ってるだとか、色んな話があるんだわ。」
「へえ。でも、竜なんてもういないんだろ?八英傑が竜を倒したって。」
「バカ。知ってるよ、そんなもん。そもそも、竜なんて本当にいたのかも怪しいもんだぜ。骨の一つも見たことねえや!」

そう言って首をすくめたフーとルハナが一笑する。その最中、ルハナが笑いながらまた『竜の巣』を横目に見た。すると、みるみる口角が下がり、眠そうな目が開かれる。「どうした?」と聞くフーに、ルハナは無言で『竜の巣』を指さしてみせた。フーがそちらを見遣ると、先ほどの雲塊が少しずつ風に流され霧散していた。そして、徐々にその雲の中に潜む、巨峰の山頂を切り取ったかのような、巨大な岩塊にも思える"黒い何か"が露わになってゆく。フーは生唾を飲んでからひとりごちた。

「竜じゃないか…」

燃えるような夕暮れを背景に、黒いシルエットを浮き立たせたそれは、見た者に世界の終わりを予感させた。

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