第2-15話 脊梁での決別

文字数 2,514文字

ゴーマンはエルを小脇に抱きかかえて、屋根の上で息を潜めた。石積みの城壁はそのままであれば登れはしないが、導術が使えるゴーマンは、壁に氷柱を生やして、そこを駆け登った。窓から乗り出した兵士たちは、流石に屋根の上に行ったとは想像出来ず、「壁からは無理だ。まだこの部屋のどこかに隠れてているはずだ」と叫ぶ。

ゴーマンは、泣きじゃくるエルの口を手で押さえながらも屋根に座らせて、ふぅーと一息ついた。目を閉じて辺りの気配に神経を尖らせつつ、エルが落ち着くのを待つ。そして、少し落ち着いたエルに「黙ってここにいろ」と残して、屋根の脊梁を越えて城の反対側の様子を見に行った。

反対側の城壁には窓から乗り出す兵士の姿はなく、登ってきた城壁---城の正面玄関側のように街の明かりを受けて城壁の表面が露わになるほど照らされているわけでもなかった。これなら十分降りられる。そう思い、エルを回収しに行く。

「さあ、降りるぞ」

エルを連れて反対側に行く途中、屋根の脊梁に差し掛かったあたりで、不意に屋根を貫く櫓の扉が開く音がした。ゴーマンは素早く戦闘態勢に移り、戸を注視する。

暗い戸口から屋根へと出てくると、徐々に月光を受けてその身が露わになった。ゴーマンは予期していたその人物の登場を鼻で笑いながらも、冷や汗を垂らしてひとりごちた。

「まったく、恐ろしい親子だな」

王妃たちを殺し、暗部に連絡し、ここに辿り着く。息を切らしておらず、落ち着いたその様子とここに至る速さからして、逃亡者がここに来ることは織り込み済みか?ゴーマンは自分に言い聞かせるように、「そんなわけない」と心中で否定した。

エルは、オルナの、唯一肉親の姿を見て叫ぶ。

「お兄様!ユーハが…」
「オレの計画を乱しやがって、ゴミめ」

吐き捨てたオルナに、エルは呆気に取られて沈黙した。ゴードンが腰の剣を抜き、エルを庇いながら補足してやった。

「お前の兄が、国王も王妃も殺し、あのジジイも家来に殺させた。お前をクーデターの主犯にしてな」

エルは言葉の意味が理解出来ずに固まった。エルの中の何かが瓦解していく。尊敬する、強くて賢く、誇るべき兄への信頼。仲睦まじく過ごしてきた父と母との日々。そして、自分を誰よりも可愛がってくれたユーハの愛。全てがエルの手の中から砂のようにこぼれ落ちていく。不意に今いる屋根すらも瓦解するかのように感じて、エルは片膝をついた。

オルナはドス黒い目は一切笑わぬままで口角を上げた。

「これで馬鹿どもは一掃できた」

オルナの目にはもう、エルは屍の一つとしてしか見えていなかった。その事実を突きつけられ、苦虫を噛み潰したような顔をしたゴーマンの後ろで、エルは最後通告を受け取ったと感じて、何故出てくるかも分からない涙を流した。オルナは、父と母を殺した時の"エルの剣に似せた"氷剣は出現させず、帯刀した愛剣を抜き構える。

「お前も『竜術』を使えるのだろう?いや、お前らがなんとそれを呼んでいるのかは知らんが。一体どこの出身だ?」

やはり、オルナは"導術"が使えるのか。ゴーマンはその事実に苦い顔をする。オルナは一人で導術を開発したというのか、この導術が失われた世界で。王妃が死ぬ時に感知した"導力の揺らぎ"は、自分の誤認識と判断していたが、オルナが導術を使った時のものかと合点する。導術が使えるのなら、初撃で仕合を決するのは難しい。心中穏やかでないものの、余裕のある顔で不敵に笑って見せた。

「てめえみてえな奴に言う義理はねえよ」
「そうか。なら、吐き出させる」

そう言うとオルナは、足裏程度の幅しかない脊梁を器用に走り出した。ゴーマンも脊梁を駆け出して、弓月を背景に二人は切り結んだ。剣術に長けるオルナにゴーマンは押され、体勢を崩されかけたが、傾斜のかかった屋根に足をつければそのまま滑降するため、導術により作った脊梁と同じ高さの氷台を作って、踏ん張った。同時に、オルナが発動しようとした"導術"の気配を察して後ろに跳んだ。

剣術は相当なレベルだが、"導術"は未熟で発動が遅い。剣術差がある以上、切り結ぶほどオルナは導術に成熟し、恐らくオレが劣勢になる。ゴーマンはそう判断し、調査役としてこちらに来てからの無敗記録の更新を諦めた。

この頃の戦闘は、剣術と魔導石を使った奇術が主流であって、導術を知らない者との対峙であればゴーマンは負けることはなかった。 

それは、いくつかの理由があった。一つは、魔導石と導術の発動までのタイムラグがある。まず魔導石による術の場合、石を手に保持しながら、"導力"を込めて、初めて術が発動する。その三工程必要となるのに対して、導術は導術を使うイメージをしたら術が発動するため、二工程で済む。それは戦闘においては致命的な差を生んだ。

二つ目は、術の発動の予見性にある。魔導石は手に持っている石を発動させるしかないため、手に持っている石の種類を見れば、使える術が分かる。故に、その術を使われる前提で警戒して戦闘ができるが、導術の場合は次に使う術の特定は"感知"するより他にない。あらかじめ対策を練ることは難しく、その場の判断で的確に行動を変えるしかなかった。

三つ目は、下界の人々は導術を知らないことにある。要は『剣術しか使わない相手』として判断している相手の意表を突けた。


ゴーマンは潔く諦めて、スタータ王国の制服を脱ぎ捨てた上でエルを背負い、屋根から飛び降りた。スタータ王国の制服の下に着込んでいた、リュゼでの"釣り"用の、ムササビのようにヒレの付いた衣装を広げて、空を滑り落ちていく。

この特殊な衣装を晒せば、リュゼの情報の一部を晒すことになるため使いたくない、とゴーマンは思っていた。しかし、オルナ相手に、城壁に氷柱を生やして降りるほどの余裕はないと判断し、奥の手を使用することにした。それが後顧を残すとも知らず。

手と足を繋ぐようなヒレの下に、導術で風を起こして滑空するゴーマンは、ほとんど降下することなく、夜の闇に消えていった。オルナは脊梁に立ったまま、追撃することなく、その様子を見ていた。

エルが振り返った時、涙で揺らぐ視界の中で、オルナは小さく微笑み、何かを呟いていらように見えた。
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