第5-2話 失われた日常を目の当たりにして

文字数 1,045文字

泣き叫ぶカンタに、エルはかける言葉も見つけられず、ただ背後に立ち尽くした。


昨日、朧な意識の中で消えていった人々の気配は、夢ではなかった。星空を隠す雨雲は確かにあって、ここで、このグリーンモールで、日々輝きを放っていた人々は、その鈍雲に飲み込まれて消えた。もう誰の元にもその光が届くことは無くなった。彼らはきっと明日が来ないなんて露にも思わなかったろうに。この毎日が続くと思って、将来のことなんかを考えていきていたのだ、僕と同じく。

恋人を待つ人がいて、娘の色恋に心配をする父親がいて、父と娘の(わだかま)りにヤキモキする母親が居たのだろう。そして、恋人の元に帰りたい人がいた。

毎日のみんなのご飯のために野菜や果物を売る人がいて、鳥を獲る人がいて、旅人のためにシーツをひく人がいて、その人たちの家族やその人たちを愛しく思う人がいて、母親の叱る声と子供の泣き声がして、通りで飲んだくれる爺さんの笑い声が聞こえたり、コトコトとまな板と包丁の音がして、ほうきで掃く音がしたり、僕の知らない沢山の人々の暮らしがここにあった。


そう、リュゼにも。
それらが一瞬にして、勝手にして、理由も分からぬまま奪われた。


エルはそうして、あの白濁した記憶の中でリュゼの人々の気配も消えていったことを思い出した。拳を握りしめて涙を堪える。


どうして。
どうして、人々は死ななくてはならなかったのか。

どうして、彼らは殺さなくてはならなかったのか。

分からない。
分かるわけがない。

だって、彼らは殺される必要なんてなかったのだから。ただ明日を待ってて良かったのだから。


エルは目尻に溜まった涙を拭う。エルはカンタの後ろでポツリ、ポツリと言葉を紡ぐ。この街に起こった悲劇の一端を。しかし。


「やめろ!」
「やめてくれ、エル!」
「俺は…。」
「俺は…、そんな話…聞きたくない…」

カンタは涙を拭きながら、嗚咽の合間に言葉を吐き捨てる。

「お前が話したら、それは…」
「本当のことなんだって…、そう…思ってしまうじゃないか…」

そう言ってカンタは地面に頭を打ち付けて、また泣いた。エルはそんな薬売りの背中に憐れみの目を向ける。こんな人をもう生み出してはいけない。ジェロから譲り受けたエルの心の火が、次の道を照らし始める。エルはカンタの背に告げる。


「カンタさん、ありがとう。僕はもう行きます。」

ひっくひっくとただ揺れるだけで、何も答えぬカンタの背を見て、エルは一呼吸を入れてから続けた。

「こんな悲劇、もう起こさせはしない」


エルは覚悟を胸に、カンタに背を向けて歩き出した。
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