第2-6話 エルの目

文字数 2,027文字

オルナの部屋は異常だった。その部屋に窓はなく、寝具もない。椅子と机を除けば、至る所に本と蝋燭、灯台があるだけで、人間が寝起きする部屋には到底思えなかった。

全て同じ環境に育ってきたのだから、自分と兄の間にある違いは、ただ生まれ持った勉強の才能があったかどうかだけ。自分にもまだ未発見なだけで、なんか別の才能があるのではないか、エルはそう思っていたし、願っていた。

しかし、兄の部屋のそれは、「才能」の一言で片付けるには、あまりに重すぎるものだった。

「これがオルナ様のお部屋です。」

ユーハが発光する鉱石を捧げながら言った。
ユーハの明かりに照らされて見えるのは…。

おびただしい量の床に積まれた本。
壁一杯に留められた本の一部と思しき紙片。
紙片の間を縫うように書き殴られた謎の呪文。


どれもエルの知らないものばかりだった。そして、どれも新しい。紙片はどれもまだ日焼けしていないし、謎の呪文も擦れたりして読めないような場所もない。ここにあるものは全て最近持ち込まれたものなのだろう。

「ベッドは?」
「ありません。」

エルは少しの間部屋を見つめ、冷や汗を垂らしながら、足音を立てぬようにゆっくり部屋に足を踏み入れた。ユーハは流石に入り口で待機している。

中に入って見渡せば、入り口では気づかなかったが、ロウソクの灯台が至る所にあり、何十本ものロウソクを詰めた箱が入り口近くにあった。

机の上の開きかけの本を覗く。

--『その山岳民族の祠には竜と思しき石像があった。千年前、竜に滅ぼされかけたにも拘らず、この民族はまだ竜を崇拝しているようだった。撃竜祭の文化は浸透しておらず』--

エルにはこれがどんな内容の本なのか想像がつかない。本の題名と作者を見ようと恐る恐る手を伸ばし、ページをめくろうとする。

「いけません。オルナ様は物の位置などを全て把握しています。」

本に触れようとした手をそっと引っ込め、エルは上体だけ捻り、ユーハを見る。ユーハは、真面目な顔で入り口に直立している。冗談ではないようだ。入り口の明るさに目が痛み、エルは少し顔をしかめた。

「木の板に書かれている文字がありましょう。オルナ様はアドレスと読んでおりますが、それが物の本の位置とページ数を表しています。」

エルは壁だと思っていた木の板に目を遣る。

「そのアドレスは、その本における重要な一文、キーワードの場所を示しています。例えば、エル様の眼前にあるアドレスは、エル様の正面の左から一列目の一段目の本、『伝承と祭り エドワード・テスター』の三ページ目を指します。」

「アドレスとアドレスを繋ぐ、この線は?」

「連環。そうオルナ様は呼んでいます。物事の繋がりを表す糸。昔、まだこの板が二面しかなかった頃の話になりますが…」

ユーハは、オルナから聞いた稀代の芸術家の話をした。その芸術家は、その時代においてあり得ないほどの写実的な絵を描いた。それ故に、弟子を希望とするものも多くいたが、彼は皮肉家で厭世家だったため弟子はとらなかった。彼を代表するエピソードとして、弟子を希望したものに必ず「君が大事にしている公式は何か?」と聞き、芸術家故に「黄金律」と答えればもう二度と敷居を跨がせないというものがあった。
オルナは、数学と美術の連環を探すことで、彼の絵に数学が使われていることに気付いた。弟子にするかの質問は数学の素養を見ていたのだ。物の遠近感と画面占有率を数学の定理を用いて法則化していたために、それを理解できるかという試験だった。それに気付いたオルナは試行した。

そして、法則はオルナの手により再現された。それが五歳の頃である。

「別々の本の文の繋がりを導き、あらゆる分野を理解することがオルナ様の勉強法です。五歳の頃より、この連環のための木板を二面に引き始め、いつからか八面で止まってしまいましたが、これのサイズが最適だったのでしょう。」

エルは混乱してしまい、何も言えなくなった。ただただ目の前に広がる木板と暗号と夥しい量の本を見つめ立ち尽くす。

「見てもらいたかったのは、この本の量です。全て専門書です。普通であれば、一冊に半年や一年をかけてもおかしくない代物ばかり。しかし、これだけの量を、公務の合間に、4ヶ月で読んだのです。」

圧巻だった。エルはそのあまりの遠さに意識がふわりと離れていくような脱力を覚えた。

「オルナ様は努力している。それも、徹底してです。それがアナタの兄、オルナ・スタテンド第一王子なのです。」
「悲しいことですが、これだけ努力出来るならば、普通の人の努力は努力と見えないでしょう。そして、努力もせずのうのうと生きていると勘違いもするでしょう。
その勘違いこそが今、エル様が辛いと思う状況を生み出しているのです。
さて、どうすればいいと思います?」
「どう…すればいいの?」

エルは放心していて何も考えられず、おうむ返しする。ユーハは緩く微笑む。

「私も分かりません。それを考えるのが、お兄様を分かっていくことなのです。」

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