第2-14話 ユーハの決断と死

文字数 1,029文字

ユーハの眼前には、隣の部屋から乗り出した男の姿があった。

「時間がない。エル王子をこちらに投げ寄越せ。そしたら、オレが責任を持って逃す」

ユーハは、判断が付かず押し黙った。この男は何者か。見ず知らずの者にエル様を任すなど出来ようもない。しかし、一方で戸に掛かる圧力は大きくなり、蝶番(ちょうつがい)が石粉を散らしながら湾曲し、その限界が近づくことを知らせていた。

「お主は?」
「ゴーマン。王妃の命を受けている。早くしろ。間に合わなくなるぞ!」

焦るゴーマンと対照に、状況を飲み込み切れずにショートしたユーハは無表情になり、少しの間焦点の合わない目をして沈黙した。上体を乗り出したユーハに夜風が吹き付けて、その髪を乱す。

「早くしろ!」

夜風に頭を冷やしたユーハは、もう一度ゴーマンの目を見据えた。ユーハの目はもはや虚ではなく、覚悟を決めた目をしていた。

ユーハは上体を部屋に戻して、エルを抱きしめると、優しい笑顔を浮かべて耳元で囁いた。

「エル様。これからどんなに辛いことがあろうとも、あなたの両親の愛を忘れないでください。辛いことも、きっと報われる日が来ましょう。それまでは、その身に受けた愛を(しるべ)に」

エルは涙を流してユーハにしがみついた。離れたくない、そう思いはすれど、言葉にならなかった。ユーハの身が小刻みに震えるのを感じながら、強く強くその身を抱きしめる。

戸の蝶番が壊れるより早く、戸に穴が空いた。「いたぞ」と叫ぶ声が部屋の中にまで響く。ユーハはエルを抱きかかえて、エルと自身の上体を窓外にのりだして、「あの男に掴まってください」と告げた後で、ゴーマンに向けてエルを振り投げた。

ゴーマンがエルをキャッチすると、ユーハは満面の笑みを浮かべて、エルに最期の言葉を残した。

「私が時間を稼ぎます。エル様、どうかお元気で。ゴーマンとやら。以後のこと、頼んだ」


そう言い残して、ユーハは部屋に戻った。同時に扉の壊れる音がして、部屋に兵士たちが殺到する。ユーハも剣を構えていたが、四方八方から自身へ向かう剣先の全てを捌くことは出来ず、一つ二つと次々身を裂いていく。ユーハが血だるまになり倒れた後も、未だに殺到する兵士の姿は、荒野で獅子が残した屍を(ついば)む屍肉漁りの獣のようで、エルの恩師はその屍を無残に引きちぎられて、無常の中に死んでいった。

屍肉を漁り損ねた獣が更なる獲物を探して、窓外に身を乗り出し、血眼を巡らせる。獣は血の臭いに興奮したまま、息荒く四方を探したが、そこにエルの姿は見つけられなかった。
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