萌木色の歴史書
文字数 1,468文字
「これの著者なんか、学校に行った事がないのよ」
揺られる馬車の上。
ネリはディパックから、大切そうに四角い布包みを取り出して、シュウに見せた。
開いて出て来たのは、萌木色(もえぎいろ)の革表紙の書物。かなり古い物で、擦りきれてタイトルが読めない。
「狩猟生活をしているような山の部族の族長さんなのに、かなり広い範囲の歴史の流れが書かれているの。この国がどうなったからこちらがこうなったとか、関係性が凄く分かりやすい。十代の頃から生涯かけて、起こった出来事を淡々と書き連ねた記録。見付けて出版したのは後世の子孫なんですって」
「ほお」
渡された書物を少しめくって、シュウは素直に興味を持った。今から四、五百年前から始まって、草原の各部族の動向が、年代別につまびらかにまとめられている。
文章は古めかしいが簡潔で、ネリのような普通の子供にでも十分読める。
「そのヒト、族長なのに、あちこち出歩いて見聞していたの? 今みたいな通信設備もラジオも無いんだろ?」
「うぅん、彼自身は地元から離れてなくて、商人や旅人との交流が多かったの。皆の話を統合してまとめる……元祖ネットワークって奴ね」
「ほお、その時代にそれは凄いね」
「でも一番凄いのが、鷹よ」
「鷹?」
「伝書鷹で、山を越えたような遠くの民族と文通していたって」
「ええっ、そんなおとぎ話みたいな」
「私たちだって、ちょっと前まで伝書鳩を使っていたじゃない」
「そうだけれど……」
シュウはまたページをパラパラとめくった。鷹ね……
ふと、所々、見たこともない文字が入っている事に気付いた。
活版印刷の、そこだけ別に手彫りした感じ。
「これ、何語?」
「えっと、それは北の少数民族の言葉。現代ではもう使うヒトはいないらしい」
「失われた言語って奴? へええ!」
そういうのはシュウのツボだったみたいで、ネリは鼻の穴を広げて上機嫌になった。
「うふふ、俄然興味が湧くでしょ」
「う、うん」
昔みたいな子供っぽい目で見上げられ、シュウの胸がまた踊る。
よしよしよし、いい感じだ、いい感じいい感じ。
(ルッカ、頼むからいつまでも寝ていてくれ)
***
――ヒュッ
また指笛が鳴った。
キオの背後から、貨物自動車が満載の荷物を揺らしながら近付いて来る。
叔父はそちらを見て左手を上げ、左側へ馬車を寄せて先を譲った。
貨物も馬を驚かさないよう、十分に減速して追い抜いて行く。
一台分の狭い道、身軽い方が避けるという不文律が出来ているんだろう。
キオも合図係として慣れている感じで、貨物に手を振って道へ戻った。
「あっ、そうだ、おーい、キオ!」
ネリが口に両手を添えて呼んだ。
シュウは鼻苦く感じたが、離れている彼にもキチンと声を掛けるのはネリの美点だ、と思い直した。
少年は馬を速めて近付いて来る。
「ねえ、これ、ここの文字、何て訳するんだっけ?」
キオは臆することなく「何頁?」と聞いた。
「百六十頁。風出流山(かぜいずるやま)の古代文字」
黒髪の少年はスッと息を吸う。
「――頂きは遥か雲上」
シュウは、え? と表情を止める。
「峰々は氷を抱き
そこに息づく者あれど
地上のヒトの生業に
欠片の拘(かかずら)いも示さず――」
朗々と吟じる。
彼の声を初めて聞いた気がする。
もっさりした外見に似合わない、声変わりしていない、濁りの無い澄んだ音。
シュウは内容が入って来なかった。
なんで? なんで? が頭に渦巻いている。
「ああ、キオの愛読書だったの、これ」
「え……あ……そ……」
「この書物、キオのお父さんに頂いたのよ」
「・・!!・・」
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