三峰の村

文字数 3,004文字

    

 ――ヒュ――イィ

 尾根の高くなった場所で、博士が指笛を吹いた。
 澄み渡る音。
 そこから少し下ると、陽に照らされた山肌に、ヒトの手による屋根が見えて来た。

「あそこが私の故郷だ。三峰(みつみね)の村」
 博士は嬉しそうに言い、尾根道を外れて集落方面へと下り始めた。
 ネリ、マミヤと後を続く。

 遠目の集落は天然の棚になっている場所で、思ったより多くの建物と規則正しい畑がある。こんな山道しか通じていないような場所に、驚くほどちゃんとした村だ。
「あの畑は何を育てているんですか?」
「桑の木だ。養蚕をやっている」
「養蚕!」
 言葉だけは知っているけれど、やはりネリには未知の世界。

「湧き水に恵まれているからね」
 博士の言葉を聞いて、ネリはもう一度、崖にへばり付くような畑をみた。
 周囲は獣避けの塀で囲われ、電気なんか勿論無さそう。車道が無いなら限られた物資しか入って来ない。
 街育ちの自分は水や色んな物が身の回りにあるのが当たり前で育った。うっかり失礼な言葉を言わないように注意しなきゃ、と気を引き締めた。

 と、道の正面に二人の男女が現れ、パッと駆けて来た。
「キトロス先生、お久し振りです。ラーテが手紙を運んで来て、ワクワクしながら待っていました」
「お帰りなさい、先生。お会い出来るなんて、帰省していてラッキーだったわ」

 二人とも二十代前半くらい、茶色がかった黒髪に浅褐色の肌、アウトヘーベンで一番多く見掛けた山岳民族だ。
 ひとしきりの挨拶の後、二人は初対面のネリの方を見た。

「こ、こんにちは」
「こんにちは、初めてのお客さんはまず族長(ぞくちょう)と名乗り合う規則だから、自己紹介はちょっと待ってね」
「は、はい」
 ネリは緊張して口を閉じた。そう、こういう決まり事をキチンと守らなきゃ。

 前を徒歩で行く二人は、ニコニコして何かささやき合っている。
「ゲレゲレだね」
「うん、ゲレゲレだ」

「どうした? ディ、ララ」
 キトロス博士に聞かれて、二人は振り向いた。
「そのトカゲみたいな動物、僕ら子供の頃、五つ森で何回か乗せて貰った事があるんです。で、二人で勝手にゲレゲレって呼んでいました。喉がゲレゲレ鳴るんで」
「…………」
「久し振りに見た。懐かしいわあ」

「博士」
 ネリが口を開いた。
「ニ対三です。多数決で今の所ゲレゲレ有利」
「あ、ああ……」

 トカゲ馬は口をパックリ開いてケケケと鳴いた。


 ***


 木立の間に立派なトーテムポールが何本か見え、三峰集落の入り口に到着した。
 三人は手前で馬を下り、先程の二人、ディとララが馬を受け取って引いて行った。
 何人かの村人が出迎えてくれている。

「おかえり、キティ、疲れたろう」
「マミヤも元気だったかい?」

 怪訝な顔をしているネリに、マミヤがそっと言った。
「キティというのは博士の元の名前だ。ここではその名で育ったから、年配のヒトは大体そう呼ぶ」
「そうなんですか。私もここではそう呼んだ方がいいですか?」

「ネリは今まで通りでいい」
 博士が何だか慌てて言った。
「外で研究者として活動するのに女性名では最初の一歩で足枷になる。だから曾祖父の名を貰ったんだ。一応正式な手続きも踏んでいるんだぞ」 

「あ、はい」
 確かにキティという名は何というかその、守ってあげたくなるような稚(いとけな)い印象しか受けない。

「マミヤさんは本名ですか?」
「本名だよ」
 助手は綺麗な顔をしかめて答えた。
「将来何か発表する機会があったら、博士に勇ましい名前を付けて貰うんだ」
「楽しみです」

 答えながらネリは、発掘現場で、女性であることを振りかざして荒ぶっていた女学生を彼女が嫌悪していたのを思い出した。ああいうのは博士や彼女にとって、行く手を阻む瓦礫でしかないのだろう。
 でもマミヤさんが独り立ちする頃には、女性名でも枷にならない世の中になっているといいな、と思った。

 中央広場の奥の族長宅は一回り大きくて立派だった。
 内部は天井が高く見事な織りのタペストリーが掛けられている。それらの奥から派手な羽飾りに重厚な民族衣装の男性が、ユサユサと走り出て来た。

「いつも突然帰ってくるな、キトロスは。客人を連れて来るならちゃんと言え。族長にはそれなりの体裁があるんだから」
「あるのか、お前に、体裁が」
「あるだろ、山奥の神秘的な村にイメージを抱いて来る訪問者の期待を壊しちゃいけないという、なんかこう、そういうのが」
「すまんすまん、今度から早い目に連絡する。しかし相変わらず細っこいな、ツェルトは。ちゃんと食ってるか?」

(あ、こちらではキトロス呼びなんだ)
 しかし久し振りらしいのに随分な挨拶だ。マミヤが小さな声で、喧嘩友達だからあまり気にするなと教えてくれた。
 ツェルト族長は髪が根本から真っ白だが、よく見ると髪も肌もツヤツヤで、何だったら博士よりも若そうだ。肌も目の色も薄いので、色素の少ない体質なのだろう。目尻と唇だけ赤味を帯びて、若い頃はさぞかし美少年だったろうと、どうでもいい事をネリは思った。
 後で聞いた話だと、博士とは二従兄弟(ふたいとこ)で、赤ん坊の頃から一番近くで育ったらしい。

「やぁマミヤ、いつもご苦労様、キトロスの世話は大変だろう」
 返事に困る事を言われてマミヤは、「こちらが先です」という感じでネリを前に押し出した。

 ネリは緊張しながら自己紹介し、族長は丁寧に一族の来客として迎えてくれた。
「なんとサクジ教授のお弟子さん!? 優秀でいらっしゃるのですね」
「いえいえいえ! そんなのじゃないです。下働きの小僧っ子に、親切に勉強先を紹介して下さっているだけで」
「どうでもいい者に自分の名で紹介はしますまい」

 教えられてネリは恐縮した。
『気遣って貰う』『気付かせて貰う』『感動させて貰う』。三峰へ来てから『貰う』ばかりだ。 


 ***


 食事をふるまわれ、その後奥の蔵書の間を見せて貰った。族長一族は代々医者の家系で、蔵書の数も半端ない。

「キトロスは子供の頃から入り浸って日がな一日文字を読んでいたな」
「ツェルトは一回読むと皆覚えてしまうから、辞書代わりになってくれて助かった」

 二人はここで独学し、街の高等学院に一発合格したという。
 ネリは目を白黒させながらも、習慣で棚の背表紙を追った。興味深いタイトルが星のように散りばめられている。

 ・・と、ネリの袖をマミヤが引っ張った。
「博士、私たち、馬の養生をして来ます」
 え? という顔のネリ。もうちょっとここの背表紙を見ていたい。

「馬はディとララに任せておけばよい。そちらのお嬢さんは書棚に興味がありそうだよ」

 はいはいはい! という顔のネリ。

「いえ、ネリにも泊まる所を教えておかねばならないし、お先に失礼します」
 マミヤに更に引っ張られ、ネリは無情にも夢みたいな部屋から連れ出されてしまった。

 風のように族長宅を暇(いとま)して、マミヤはズンズン歩く。ネリは着いて行きながら恨みがましい声を出した。

「マミヤさん、もぉ、マミヤさんったら」
「早く、もっと離れろ」
「??」
「私らが居座っちゃダメだ」
 ・・え?
「お邪魔だろう、久し振りに帰って来たんだから早くお二人にしてあげなくては」
 マミヤは真面目な声で事務的に言った。恋バナをする女子とは掛け離れた口調だが・・ 
 ・・えっ、えっえっええ?

「そそ、そうなんですか? まったく気付きませんでした」
「そうか? まあネリだしな」




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登場人物紹介

ネリ: ♀ 草原の民 クリンゲルの街の中等学生 香辛料屋の娘。

歴史と書物が大好き。高所恐怖症、運動神経は壊滅的。

先頭に立ちたくないのに、誰も前に出ない時、仕方なく引き受けてしまう貧乏くじタイプ。

シュウ: ♂ 草原の民、クリンゲルの街の中等学生。貴族系富豪の一人息子。

学業優秀、理論派。一族の束縛に反抗心はあるが、家を守る義務感は持っている。

常にリーダーにおさまり、本人もそれが自然だと思っている。

ルッカ: ♂ 草原の民 クリンゲルの街の中等学生 シュウとは幼児からの親友。

蹴球(サッカー)小僧。大人にも子供にも好かれるコミュ力おばけ。

皆の接着剤的役割、そしてそれを自覚している。

キオ: ♂ 草原の民 クリンゲルの街の中等学生。町外れの牧場の子。

地味で無口。学校では空気のような存在。

一見気遣いタイプだが、己の信念はぜったいに曲げない。

チト: ?? 蒼の妖精 修練所の学生 ネリたちと同い年。

長様の執務室で小間遣いのバイト中。長さま大好き。

容姿が可愛い自覚あり。己の利点を最大限に生かして、賢く生きたいと思っている。

セレス・ペトゥル: ♂ 蒼の妖精 当代の蒼の長

長の血筋の家に生まれ、成るべくして蒼の長になった。実は一番面倒臭いヒト。 

ハールート: ♂ 草原の民 クリンゲルの街はずれの牧場主、キオの父親。

過去を洗うと埃と灰汁がバンバン出て来る闇歴史の持ち主。義理堅くはある。

キトロス博士: ♀ 三章『カラコーの遺跡にて』に登場。

考古学者。豪快で大雑把な現実主義者。

マミヤ: ♀ 『カラコーの遺跡にて』に登場。

キトロス博士の助手。この世のすべての基準がキトロス博士。


ツェルト族長: ♂ 『カラコーの遺跡にて』に登場。

キトロス博士の幼馴染。神経質でロマンチストな医者。

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