蒼の里・Ⅰ

文字数 2,029文字

 


 地平に遠く霞んで建物群が見えた。
 バスを降りる予定だった街だ。

「馬車に乗せて貰わなかったら、あそこから歩かなきゃならなかったのね。テオおじさん、本当にありがとう」

「いやいや、鳥の声なんか気にした事もなかったから、学生さんの話は面白いな。いつもは一人で退屈だし、キオの奴は無愛想だし」
 御者の叔父は言って、手綱を開いた。本道から外れて草の中の轍道に入る。

 この先に蒼の妖精民族の村がある筈なのだが、広がる草原には何も見えない。そんなに遠かったか、これはポシェットの女の子たちを連れて歩く事にならなくて良かった。

 ネリは地図を広げコンパスを置いて、確認している。
 シュウが覗き込むと、印刷の地図に朱で丸が記され『蒼の里』と手書きされていた。
「もうそろそろだと思うんだけれど……」

「ああ、目には見えないんだ」
 叔父がサクッと言った。
「何かデッカイ術が効いているんだとさ。すぐそこに、ある事はあるんだ」

「ええ? 本当に、こんなに何もない感じなんですか」
 書物には結界に守られていると書いてあったが、術のかかった塀みたいな物を想像していた。

「うちは代々取引があるから慣れているが。昔っからそうだから、今更疑問に思った事もないな」

「まさかこんな完璧に、きれいさっぱり隠れているなんて……」
 思ったより閉じられた部族なようで、ネリは不安げに眉を寄せた。

「大丈夫だよ」と、シュウが言い掛けた横を、蹄音高らかにキオの馬が駆け抜けた。

 馬車の前に出て、空に向いて指を咥える。

 ――ヒュ――イィィ

「あは、鳶の声みたい」
 ネリの安心した声に、シュウはまた胸にモヤが湧いた。

 少し置いて、キオの前の空間が、一枚の透明な緞帳(どんちょう)のように揺らいだ。
 次に、空にいきなり一頭の馬が飛び上がった。それこそ鳶の飛ぶような高さだ。
 ネリは息を飲み、さすがのシュウも「わっ」と声が出た。

 馬は頂点で一瞬無重力になった後、落っこちるみたいに急降下して来て、地面近くでフワリと減速してキオの横に降り立った。
 黄緑の馬。全身の体表が草原のように波うっていて、所々向こう側が透けて見える。

「く、草の馬ってやつ……?」

 書物に載っていた、蒼の妖精専用の空飛ぶ馬。勿論見るのは初めて。 
 草を馬の形に編んで、術で風をはらませて浮力を得ている……と、文章で知ってはいたが、目の前に現物が現れるとインパクト絶大だ。

「キオ、久しぶりぃ」
 馬には同い年くらいの子供が乗っていて、ヒラヒラと手を振っている。左右に広がる綿花みたいな髪は本当に水色だ。
 キオは相変わらず喉だけで返事をし、頭を下げた。

「テオさんもお久し振りですぅ。今、馬車の通れる通路を開きましたから、後ろを着いて来て下さぁい」

「おお、ありがとよ。元気してたか、チト」
「はぁい、元気元気。今日はあの丸いチーズあります?」
「カチョカバロか、あるぞ」
「やったぁ!」

 チトと呼ばれた子供はさっさと先に立ち、さっき揺れた空間に踏み入った。馬車は後から着いて行く。
 途端、景色がぐにゃりと歪み、水のトンネルみたいな道になった。

 先導の子供が馬上でチラと振り向き、荷台のシュウと目が合った。
 妖精族のイメージ通り、目と口が大きく頬がバラ色、西国の陶器人形みたいだ。銀環のキラキラしたイヤリングが明るい髪に映え、声も可愛くて男の子か女の子か分からない。

「こ、こんにちは、僕は……」
「あ、ダメダメぇ、始めての訪問者の名乗りは、まず長さまにぃ」
「えっ、そうなんだ、すまない」
「うぅん、それより、その子、大丈夫?」

 まだ寝ているルッカの事かと思いきや、チトの視線は反対隣を見ている。シュウはやっと、ネリが真っ青でグラグラ揺れている事に気が付いた。
「どうした、ネリ」
「ウウ……」

「馬車に酔ったか?」
 叔父が心配そうに水を渡してくれた。
「いや、さっきまでまったく……」

「酔ったのなら、よく効く薬草があるけどぉ…… でも長さまに診て貰ってからのが、いいっか」  
「長様、お医者さんなのか?」

「うぅん、お医者さんのひとつ手前。医療で治る病気か、他に原因があるのか見分けるの。たまに何か憑き物のあるヒトが、里に入った途端具合が悪くなるとかあるから」
「ええっ!?」

 チトの少し後ろを歩いていたキオが、やにわに馬に喝を入れて駆け出した。

「ああっ、キオぉ」

 黒い長い尻尾は、水景色の中に溶けて行く。

「もおぉ、せっかち」

「すまないな、チト。長殿の所へ知らせに行っちまったかな」
 叔父が申し訳なさそうに言う。

「いいけどね、キオなら里の決まり事も知ってるし。まぁあれだね、きっとその子の事がすんごく大事なんだね」

 シュウはモヤモヤを通り越して、チリチリした焦燥を感じ始めた。
 自分はそこそこ優秀な筈だ。知らない事でも努力して勉強して、すぐに自分の物に出来る。
 でも蒼の里の内部なんて予習のしようがなかった。ここへ来てからキオの背中が遠くて、どうやっても追い抜けない気がしてしまう。



草の馬








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登場人物紹介

ネリ: ♀ 草原の民 クリンゲルの街の中等学生 香辛料屋の娘。

歴史と書物が大好き。高所恐怖症、運動神経は壊滅的。

先頭に立ちたくないのに、誰も前に出ない時、仕方なく引き受けてしまう貧乏くじタイプ。

シュウ: ♂ 草原の民、クリンゲルの街の中等学生。貴族系富豪の一人息子。

学業優秀、理論派。一族の束縛に反抗心はあるが、家を守る義務感は持っている。

常にリーダーにおさまり、本人もそれが自然だと思っている。

ルッカ: ♂ 草原の民 クリンゲルの街の中等学生 シュウとは幼児からの親友。

蹴球(サッカー)小僧。大人にも子供にも好かれるコミュ力おばけ。

皆の接着剤的役割、そしてそれを自覚している。

キオ: ♂ 草原の民 クリンゲルの街の中等学生。町外れの牧場の子。

地味で無口。学校では空気のような存在。

一見気遣いタイプだが、己の信念はぜったいに曲げない。

チト: ?? 蒼の妖精 修練所の学生 ネリたちと同い年。

長様の執務室で小間遣いのバイト中。長さま大好き。

容姿が可愛い自覚あり。己の利点を最大限に生かして、賢く生きたいと思っている。

セレス・ペトゥル: ♂ 蒼の妖精 当代の蒼の長

長の血筋の家に生まれ、成るべくして蒼の長になった。実は一番面倒臭いヒト。 

ハールート: ♂ 草原の民 クリンゲルの街はずれの牧場主、キオの父親。

過去を洗うと埃と灰汁がバンバン出て来る闇歴史の持ち主。義理堅くはある。

キトロス博士: ♀ 三章『カラコーの遺跡にて』に登場。

考古学者。豪快で大雑把な現実主義者。

マミヤ: ♀ 『カラコーの遺跡にて』に登場。

キトロス博士の助手。この世のすべての基準がキトロス博士。


ツェルト族長: ♂ 『カラコーの遺跡にて』に登場。

キトロス博士の幼馴染。神経質でロマンチストな医者。

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