ヤークト翁の談話・Ⅰ
文字数 1,973文字
修練所近くの居住地側、ハウスと呼ばれる所。
他の民家より広い敷地に大きなパォが三つ建ち、その一つの中央、丸い絨毯に車座になって、シュウ、ネリ、キオ、そしてハウスの世話役のヤークト翁・・通称穴掘りセンセが座っている。
翁は古い松の幹に目鼻を刻んだような風貌だが背筋はシャンと伸び、下手な事を喋ると雷(いかずち)でも落としそうなオーラを醸している。
(キオの嘘つき、滅茶滅茶怖そうじゃないか)
シュウは慣れない床座りにもじもじしながら、向かいのソバカス少年を睨んだ。
そんな翁だが、ネリの用意してきた質問に、シワに埋もれた目を丸くしながら「着眼点が非常によい」と、先程から話を弾ませている。
「ではその頃、蒼の妖精は他種族への干渉をきっぱり止めたのですね。徐々にではなくきっぱりだったのには、何か切っ掛けがあったのですか?」
「切っ掛けは特にない。要望に応じてだらだら出動していたのではいつまでたっても止められない、どこかで区切りを着けねばと。リィ・グレーネの英断だったと言える。
その百年程前に里が三年閉じていた時代があり、無ければ無いで何とかなるというのは、証明されておったからの」
「助けを止めてしまった事で、草原の弱い部族に対する心配はなかったのですか?」
「里の中にもそういう意見はあったようじゃが、干渉し続けて先方の成長を妨げる方が宜しくない。現場で携わっていたメンバーは常々それを感じておったそうじゃ。
実際、手を引くとすぐ他に呑み込まれた部族もあった。交流を絶って隠れてしまった種族もあれば、残念ながら他所へ争乱を仕掛け広げてしまう部族もあった。
それが
塞き止め
の無い自然の流れだったのだろう」「その時期、途切れて消滅してしまった種族もあったのですね」
「名を忘れず血と誇りを持ち続ければ、消滅はせん」
「血と誇り……」
「概ねの種族は、なるように落ち着いて行った。蒼の里の規範から離れ各々の法を持ち、人間の文明を流入させて繁栄して行った。やはり干渉の止め時は正解だったのであろう」
「蒼の里の補助に取って代わったのが人間の文明……という事ですか」
「拒み続ける種族もおるが、蒼の里ですら多少は入って来ておるしな」
翁は、棚の上の、見事な球体に編まれた草の塊をチラと見る。
「便利に走りすぎず、身の丈と擦り合わせながら適度に取り入れた種族ほど安定しておる。お前さんたちのクリンゲル街などはそうじゃ」
「ああ、ヤークトさん、どんな質問にもきちんと答えて頂けて嬉しいです。今まで空白だった部分がどんどん埋まって行く!」
ネリは頬を上気させてニッコニコだ。
「そいつぁ良かった。じゃが、一人の語る歴史だけを鵜呑みにしてはならんぞ。出来るだけ沢山の史料に触れて、自分だけの答えを見付け出すんじゃ」
「はい! 私、一生歴史を研究して行くつもりなんです。こんなに面白い物、他にないもの」
隣のシュウは質問のほとんどをネリに預け、しみじみと眺めている。
楽しそう……普段は臆病な癖に、歴史の事となるとこんなに生き生きとする。この子を上の学校へ行かせてやりたい、自分の力で何とかならないだろうか……
「お前さんからは何かあるかい?」
別の事を考えている時に話を振られ、シュウは慌てた。
「ぼ、僕は……僕の聞きたい事は、だいたいネリが聞いてくれたので」
「そうか?」
「学校で習う点数を取る為の歴史が、近代史に繋がらない事が不満だったんです。今の二人のやり取りを聞いて、凄く満足出来ました」
「なるほどなるほど」
ヤークト翁はアゴヒゲをしゃくった。
「蒼の里の若い教官でもやりがちなミスだのう。自分の『教えたい』所だけを抜き出して、力を入れすぎる」
「はい……」
「『歴史とはこの世を流れる緩やかな川のような物である。様々な事象も全て支流で、一本の大河へと繋がって行く』・・わしの師からの受け売りじゃ」
シュウは目を見開いて、鉛筆を持ち直して今の言葉を書き写した。とても魅力的に感じたのだ。
ネリはディパックから萌木色の革表紙を取り出した。
「この書物をご存じですか?」
「おお、何処で手に入れた」
「キオのお父さん・・ハルさんに頂きました。これの巻末に、その言葉が書かれているので……」
「そうかそうか、なる程」
翁は立って、背後の書棚の上段から一冊抜き出した。
ネリの書物と同じ物だ。同じように擦りきれている。
「まあ、ヤークトさんもお持ちだったんですね」
「里には数冊現存しておる。出版された時、発行者から寄贈されたからの。……ごらん」
老人は巻末を開いたが、先程の言葉は書かれていない。
「???」
「古くて分かりにくいが、そちらのそれは手書きだよ」
「えっ」
「わしが書いたんじゃ。活字に見えたかね、ふぉふぉ」
「え、はい? え?」
「昔、ハルがここを出る時、餞別にやった物だよ、それは」
「ええっ」
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