蒼の里・Ⅱ
文字数 2,480文字
「わ、私、もう大丈夫だから。キオ行っちゃったの?」
水を飲んだネリは、少し顔色を戻して言った。せっかく待望の蒼の妖精の村へ来たのに、こんなスタート情けない。
「無理しないで、ちょっとでも横になりなよ。ルッカ、ルッカ、いい加減起きろ」
「まだ寝てる。ルッカ、結局何があってもずっと寝てたわね」
「ああ、どれだけ大物なんだ」
シュウがルッカの肩を掴んで揺すった。
「もにゃ……母さん、もうちょっと……」
「母さんじゃない、起きろ」
「んあ? おはよ、何でシュウいるの? ぐぎゃっ、背中イタイっ!」
「そりゃ揺れる馬車でそれだけ無防備に熟睡してたら痛いだろ。もう蒼の妖精民族の村だぞ」
「ええ~、何それダッサ。『蒼の里』って言ってぇ」
前の方のすっとんきょうな声に、ルッカは首を伸ばして水色の髪のチトを見た。
「かわいっ!」
「え」
「めっちゃ可愛い! アオノサトって君みたいな可愛い子ばっかりなん? 目が覚めたら天国じゃん、マジで!」
「えへ~、そういうノリなの? クリンゲルの子って」
「俺発信だよ。可愛いと思ったら素直に可愛いって叫ぶ。したら世界平和に繋がるだろ、ちょっとは」
「あはは~」
(ルッカ……)
シュウは呆気に取られて脱力している。
この筋向かいに住む幼馴染みは、ガサツで無礼で自分勝手な癖に、何でかそれが許される。
友達を選別しがちなシュウの母親ですら、「もぉ、ルッカ君はしようがないわね」と選別の網を外す。
凄い才能だと思う。
トンネルを抜けて前が開けた頃には、ネリの顔色はかなり回復していた。
「本当に大丈夫? 疲れたんじゃない? 準備期間からずっと気を張ってただろ」
「うぅん、もう大丈夫だから、心配させてごめん」
「ネリ、具合悪かったの? 鬼の撹乱?」
「もお!」
言っている間に、馬車は所定の場所に停まった。
青い髪の大人が何人か荷車を用意して待っている。
「俺は仕事に掛かるから、お前たちはキオが戻るまで待ってな」
テオ叔父は荷物を開けて、先方と、品物や数の確認を始めた。
三人は馬車を降りて辺りを見回した。
ここは停車場みたいな物らしく、扇形の広場に、濃い色や薄い色の草の馬がズラリと繋がれている。
黒いたてがみのキオの馬がポツンと目立って端にいた。
チトは自分の馬をその隣に繋ぎに行った。並べてみると、チトの馬も主に似て、細身で可愛らしい。
里は全体がなだらかな丘になっており、向こう側には川も流れている。斜面には丸いテントみたいな住居……遊牧民族のパォってやつが点在し、思ったよりも面積が広い。
街みたいにギッチリしていなくて広々暮らしているのが、ネリは(ゆったりしていていいな)と思い、シュウは(ひなびている)と感じた。
「電気来てないの?」
ルッカが遠慮無しに聞く。
「無いよぉ、キミらの所ではいつぐらいから使い始めてる?」
「え、えっと?」
「四十年ほど前から普及し始めた。発電には風と水を使ってる」
シュウが横から答える。
「ん――、それくらい経って入って来ないんじゃ、里では流行らないんじゃないかなぁ。絶対に欲しい物なら誰かが持ち込むし、長さまはそういうの止めないし」
何だかのんびりだ。最初から無い物を、欲しいと思う切っ掛けがないのだろう。外から干渉し辛い村だけに、外のお節介も届きにくい。
蒼の妖精の大人の外見は、自分たちの街の者とあまり変わらなかった。
チトがあまりに可愛いいから構えてしまったが、この子が特別だったみたい。
おとぎ話のエルフの里みたいに神秘的な美形揃いって訳でもなく、シワを刻んだヒトもいれば、丸いヒト逆三角のヒト、いかつい顔のヒトもいる。強いて言えば全体的な色素がちょっと薄いぐらい。
青い髪はやはり目に珍しく、異郷を感じさせる。
チトみたいな見事な水色は他にいなくて、落ち着いたダークブルーが主流、普通にグレーや茶髪のヒトもいた。
「ん~とねぇ、初めてのお客さんはまず長さまの執務室に…………うわっ!?」
チトは丘の中央の坂道を見て飛び上がった。
キオが小走りで下ってくる後ろを、一人の大人が急ぎ足で続いている。
(長様だ)と一目で分かった。
真っ直ぐ伸びたきれいな姿勢、色んな装飾が垂れ下がった長い法衣、醸し出される偉いヒト感。
「キオぉ、長さまを直接お連れするなんて」
「チト、いいから先に具合の悪い子を診ましょうね。どの子ですか?」
息を付きながら目の前まで来てくれた男性は、見た感じは、皆の父親よりちょっと下ぐらいな年齢。
蒼の妖精はえらく寿命が長いらしいから、正確な所は分からない。
群を抜いて綺麗な容姿で、髪はサラサラストレート。それを真ん中で分けて背中に流し、銀色の輪っかを被せている。判で押したような妖精族の長スタイル。
ネリは男性の長髪はアーティストでも苦手だが、このヒトくらい大真面目にキメているなら、もう別物だと思った。
患者を座らせて額に手を当て、長殿は目を閉じたが、二呼吸ほどですぐ目を開けた。
「チト」
「はぁい」
「貴方、この子たちを迎えに行く時、けっこうな急降下をしたでしょう」
他の大人とは一線を画す、深いゆったりとした声だ。
「う――ん、普通に下りた……つもりですぅ」
「このお嬢さんは、貴方が墜落したように見えて、血の気が引いたんですよ。他部族の前では優雅に降りなさいって、いつも言っていますよね」
「えぇ――」
「そうなの、ネリ?」
シュウに聞かれて、ネリは顔色を青くした。さっきの光景を思い返すとまた目が回る。
「はい落ち着いて」
長様が言うと、額の手が暖かくなって、ネリはスッと楽になった。
ハルさんの手に似ていると思った。
長様にハッキリ言われるまで自覚がなかったが、やはり自分は高所恐怖症って奴なのかもしれない。
「き、来た瞬間、ご迷惑をお掛けして、あの、ごめんなさい」
「いえ、怖いことは人生の経験によって一人一人違います。チトも、貴女を怖がらせたという経験をつんで、この先危ない事をしなくなるでしょう。良かった事です」
長様は目尻にシワを寄せて優しげに微笑んだ。
やっぱりハルさんに似てる……と思った。
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