ネリ頑張る
文字数 2,753文字
博士の故郷へ誘って貰ったのは良かったが、バスどころかろくな道も通っていない山中の村だと言う。
「う、馬ですか……」
「そう、もう少し山麓寄りに馬産の盛んな村があって、我々はいつもそこで登山用の馬を借りている。その村までは運送会社の定期便があるのだが……ちょっと手配して来るから、お前たちは睡眠を取っていろ」
壁地図の騒動から帰って休む間もなく、博士は挨拶やら荷物の準備やらと言って出掛けてしまった。なんてアクティブなヒトだ。
ネリは眠る気になれず、マミヤの部屋に行って、夕べの行動についての疑問を投げ掛けてみた。
「さあ?」
早々にベッドに横になっている彼女の返事は、拍子抜けだった。
「知らない。博士の指令通りに動いただけだし」
「事情を聞いて行ったんじゃないんですか? 博士に何の説明も受けずに、あんなアウトローな事を?」
「そういうの、ネリは気になるのか?」
「…………」
「私が言われたのは、地図を剥がして裏を調べたいから準備をしておけって事だけだった。本当はもっと余裕を持ってやりたかったんだけれど、フンヌルが現場を横取りしてしまったから」
「聞こうと思わないんですか?」
「話せるタイミングが来たらちゃんと話してくれるから」
「…………」
「もういいか?」
「……博士の助手になって、何年くらいなんですか」
「ん―― 六年? この夏で七年か……」
「…………」
「寝ていい? 真面目に眠い……」
「あ、どうぞ」
そんなに長い間一緒に居て、知らない事もあるけれど、その穴は信頼で埋まっているんだ。
(羨ましいな……)
昼過ぎ、博士が帰って来て、管理人の用意してくれた食事を囲む。
「貨物車の手配が出来た。故郷へ運ぶ荷物も先に預けて来た」
モリモリ食べる博士は元気。このヒトには疲れが無いのだろうか。
博士たちの予定が急に変わる事には慣れっこなようで、老管理人は夕食を弁当に詰めてくれた。
「あの」
ネリはおずおずと切り出す。別の問題を話さねばならない。
「どうしても馬に乗らなきゃ行けないですか。私だけ歩きとかダメですか」
「徒歩だと丸二日、山中でどうしても泊まりになる。そもそも村への荷揚げもあるし…… そんなに馬が苦手か?」
ネリは高所恐怖症の事を告げた。『馬の背中の高さでも不安定だとダメ』という特殊な事情を、伝えきれる自信は無かったが……
「う――ん、苦手はヒトそれぞれだものなあ」
博士はふわっと理解してくれた。
「それなら今回はしようがない、又の機会に、だな」
ネリは情けない唇を噛んだ。生まれて十何年しか生きていない自分だが、『又の機会』は二度と来ない物だと知っている。せっかく誘って貰えたのに。
この体質が恨めしい。
自分がこうじゃなかったら、リィ・グレーネとも冷静に、もっと沢山話が出来たのに。
「いえ、待って下さい、克服します、克服しなきゃ。連れて行って下さい」
と、決心して貨物自動車に揺られ、麓の村『五つ森』へ来た物の……
「うへあ」
押し上げて貰った馬の背で、ぐるぐる回って失神してお尻から転げ落ちるネリ。
博士もマミヤもここまでだとは思っていなくて、呆気に取られている。
ネリだって克服したい。でも意識が飛んでしまうんじゃどうしようもない。
何とかならないか、何とか……
「娘さん、馬は怖れるような生き物ではない」
シワを一杯刻んだ貸し馬屋の老店主が、厩(うまや)の奥から姿を現した。
「我々に福を与えるべく天から采配された特別な生き物なのじゃよ」
よく見ると、顔に昔ながらの入れ墨がバシバシきまっていて、凄く迫力がある。怖い。
「い、いえ、そうじゃない、そうじゃないんです」
ネリは縮み上がって首を振った。
「小さい時学校の遊具から落ちたショックで、馬でなくても、ちょっと視線が上がるだけで目が回ってしまうんです」
「む、心的外傷という奴か」
お爺ちゃん、意外と柔軟な言葉を知っていた。
「ふむむ、少し待っていなさい」
老店主は考え込みながら厩舎の奥へ行った。
鞍を置いて連れて来た生き物は……
「カ、カバじゃないですか!」
「イグアナ?」
「確かに安定はしている……」
引かれて来たのは、馬具こそ付けているが馬とは似ても似つかない平べったい生物。図書館の図鑑コーナーが好きなネリでも見たことがない。
背中の幅は馬の倍、しかし体高は半分。大きな口にギザギザ歯、尻尾はトカゲその物。
「うちのご先祖が大昔、何かの魔物と魔物を掛け合わせて完成させた乗用動物じゃ。名前は特に無い。我がファームだけの芸術品じゃよ」
老店主が胸を張る。
「これなら跨がっても目線はほとんど上がらない。そこいらの馬よりタフで柔軟、気性も良い。脚は短いが側対歩様で反動も少ない。どうじゃ、娘さんにピッタリじゃろ」
「は、はいぃ……」
と、心の準備が整う暇もなく、
「さすがは古くから馬産に長けた民だ、懐が深い、恐れ入りました。良かったな、ネリ」
「良かった、ネリ、これで行けるね」
博士とマミヤに両側から祝福され、何も言えずに出発となったのだった。
***
あばばば、夢なら覚めて――
確かに跨がっても目線は上がらない。目眩もおこらない。
だがそもそも、動物というモノに乗せられるのは初めてなネリ。それが山登り。徒歩の登山ですら小さい時の遠足以来なのに。
足の下をグイグイ躍動する自分と違う意思は、ひたすら怖い。
(何かの生き物に乗せて貰うってこういうもの? 嫌になって放り出されたりしない?)
なんて余計な事を考え過ぎて、身体がカチンコチンで振れまくっているのだ。
博士の馬は栗毛長毛のどっしりとした北方馬。四本ともに太股まである白いソックスが白樺の幹のよう。
マミヤの馬は栃栗毛短毛のスマートな西方馬。艶々した首筋が飴がけ菓子みたい。
二人は常連で借りる馬は決まっていて、両方の馬とも二人によくなついている。
一方のネリの馬(?)。
休憩の時に少しでも馴染もうと鼻面を撫でようとしたが、ギザ歯が一杯の大きな口を開けられて、怖くて手を引っ込めた。
博士たちの馬と違い過ぎる……
「そうか? 優秀だぞ、その動物」
前を行く博士が振り向いた。
「え、そうなんですか」
「ああ、骨格が柔軟なんだろう。大きな二頭と同じペースで歩いて、平気の平座ですましている。長距離だとこちらが負けてしまうかもな。頑張り屋のネリにピッタリだ」
マミヤも後ろから声を絡める。
「確かに高性能ですね。どうして普及しないんでしょう」
「見た目じゃないか? まあ誰でも馬に乗るなら格好良い自分を想像してしまう。見た目なんかより本質を大事にするネリだからこそ良い出会いが出来た」
ネリは首をすくめた。
自分はそんな大した者じゃない。
でもこういう無理矢理にでも殻を破る経験が、自分には必要だったんだと思った。
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