学び舎
文字数 2,544文字
言い合いながらネリとマミヤは、居住区の端の厩(うまや)まで歩いた。
手前の繋ぎ場で、さっきの女性ララが、馬の爪に油を塗っている所だ。
「これで終わりよ」
「ありがとう、ララ、遅れて申し訳ない」
「いいわよ、久し振りにゲレゲレに触れて楽しかったわ」
房の奥では手入れして貰ってサッパリした顔のトカゲ馬が、楕円の顔に黒い目をパチパチしている。思わず「カワイイ」と口に出してしまった。
ララは長い三つ編みを揺らしてクスクス笑った。
「丁度良かったわ。博士のお土産を荷車に積んだけれどけっこう重くて。兄さんは仕事に行ってしまったし。運ぶのを手伝ってくれない?」
「了解」
「わかりました」
小さな荷車に油紙の包みがギッシリ。確かに重そうだ。
三人で荷車を押して厩を出た。
道々、ネリは初対面の挨拶をし、ララは自己紹介をしてくれた。
兄のディとは二つ違い、街の高等の学校を出た後、兄は三峰に戻り、妹は下界に残って貿易関係の仕事であちこち飛び回っている。今日はたまたま帰省していたらしい。
灌木を抜けて前が開け、細く水が流れる向こうに、水車と大きな建物が見えた。
「ね、見て、あれが養蚕小屋」
急にララのテンションが上がった。
「小屋って言っても大きいでしょ。村の皆が大切にしている歴史的建造物ってやつよ。どうよ、あの真っ黒でツヤツヤな梁。あれは改築してもずっと残しているのよ」
「は、はい」
「あそこでずっと何世代も蚕を育てて絹を作って。もうずっとずっと千年以上。あっ、今日は糸取り場が稼働してる、ほらあっち、湯気の立っている所」
興奮して更に早口になる。
「街場では紡績は機械化されているけれど、ここの手作業の品質は他とは比べ物にならないの。本当、見比べたら一目で分かる、全然違うんだから」
ララの熱い語りに、マミヤは口出ししないで黙っている。どうやら火が付いたら止まらなくなるタイプみたいだ。
ネリはもう一度、湯気を上げる建物を見た。休憩時間なのか、女たちがぞろぞろと肩を回しながら出て来る。思ったより大人数だがほとんどが年寄りだ。
「だからさ、そういう価値をきっちり世間に知らしめて浸透させれば、需要だって上がる。これはキトロス先生の受け売り」
「誇れる産業があれば皆……大人も子供も、安心してここで暮らせますよね」
ララは目を丸くしてネリを見た。そして少し落ち着いた。
「そう。実は、私が幼児の頃、若いヒトが極端に少なくなって、限界集落になりかけたらしいの。その時、博士号を取得したばかりのキトロス先生がヒーローのように戻って来たのよ。何をしたと思う?」
「えっと……」
ララにロックオンされてネリは押され気味。
「ヒントをあげようか」
いきなり横からディが現れた。
「わっ」
「兄さん、仕事は?」
「本日は終了。でもみんな待ってる、早く行こう」
ディは荷車の後ろに回って力強く押し始めた。
「じゃさっきのヒントな。『特に出ていってしまうのは、子供が生まれて、さあこれから! って家族だった』。何でだろうね?」
「えっと…… 子供の、教育、ですか?」
「「ピンポン」」
兄妹は同時に言った。
「昔と違って、親が子供の将来の為に、外の社会で渡り合える『学問』を身に付けてやりたいと思うようになった」
四人は角を曲がって居住区を抜けた。
途端、目の前が開ける。
「だから作ってくれた。キトロス先生とツェルト族長が頑張って」
先程の養蚕小屋と同じくらいの大きさの建物が、開かれた広場にドンと鎮座している。
・・学校!!
陽がたっぷり入る広い窓から、小さい顔が鈴なりでこちらを見ている。
***
「ディ先生、お帰りなさい」
「あっララ先生だ」
「ララセンセ、ララセンセ!」
大きい子、小さい子、教室の窓から顔を出す子供らは、キトロス博士みたいな肌色の子もいれば族長みたいに色の薄い子もいる。
手前の広場は運動場らしく、就学前の小さい子が鉄棒にぶら下がってクルクル回っている。
ネリが思っていたより子供の数が多い。
「おおい、キトロス先生のお土産、新しい書物だ。みんな手伝っておくれ」
ディが言うと、皆が歓声を上げて動き出した。
「窓から飛び出すな、扉からきちんと、あああ、こら!」
言われても子供の何人かは窓枠からジャンプして荷車に突進する。
ララがネリにそっと言った。
「ここには『ある分』しか教材も書物もないの。皆、新しい物に飢えているのよ」
教室の奥には大きな棚が見える。
キトロス博士やララや街で学んだ者たちが、帰省する度にせっせと運び上げた学校文庫。
「学校の外面(がわ)だけ建てても説得力が無い。親が街の学校よりもこちらに通わせたくなるような中身を伴わせなければ」
ディは油紙を開いて子供たちに見せながら言う。
「キトロス先生はその為に、読みやすい学生向けの著書を出版しまくって名前を売った。ツェルト族長もかなりな協力をしている」
学校の初期は博士が教鞭を取り、ディとララは一期生。ディは街の高等の学校を卒業したのち帰郷して教職に付き、ララは経済学の専門教育を受けた後、商社を興して、三峰や周辺民族の工芸品をプロデュースしている。たまに帰ると学校で特別授業を行って、大人の事情を喋り過ぎてディに止められたりしている。
荷車を物置に返す道々、マミヤはネリに教えてくれた。
「卒業生が優秀ならば、親も安心して三峰の学校へ通わせられる。今は時おり教育関係者が視察に来たりもするんだ」
「ええ、でも……」
感心して聞いていたネリだが、それでも引っ掛かる部分はあった。
「上の学校へ行く為に街に下りた学生たちは……」
(結局帰って来なくなっててしまうのでは)
街は明るくて美味しい物が沢山あって、お店で何でも選べる。そういうのを知った後で山に戻りたいと思うだろうか。
言葉を呑み込みかけたネリの後ろから、大きな腕が回った。
「戻って来るさ、私は戻ったろ?」
このヒトは心が読めるのだろうか!?
キトロス博士の太い腕に一緒に抱えられたマミヤも、不意を突かれて喉からキャッと声を出した。
「ディだってララだってこうやってここに居てくれるじゃないか」
ネリは目を白黒させながら唾を呑み込んだ。本当に、私、あの路地裏で、なんてヒトに気安く声を掛けてしまったんだろ。
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