ツェルト族長のお誘い
文字数 1,575文字
ネリのお宿は、学校と棟続きの宿直室だった。と言っても、外からの視察者も泊める部屋なので、そこそこ広くて水回り等の設備も整っている。
「私も一緒に泊まるから心細くないぞ」
そう言ってくれたマミヤは、向こうのベッドでもう寝息を立てている。
講義が終わって子供たちを帰らせた後、博士はまだ挨拶回りが控えていたが、ネリたちにはもう休めと、すぐにこの部屋に下がらせてくれたのだ。
それはドンピシャだったようで、マミヤはベッドに倒れると即寝息を立て始めた。
博士が危うい時はマミヤが気を張り、彼女のリミットは博士が把握している。本当によく出来たコンビだ。
キトロス博士の自宅はここから数分の村外れにあるが、研究に没頭すると昼夜無くなるので、マミヤはいつもここのベッドで眠るらしい。
ネリはなかなか寝付けない。
前日から今までの急展開で身体は疲れている筈なのに、頭の引き出しが溢れて中身がわちゃわちゃと歩き回っている。
(帰ったらサクジ教授にお話したい事がいっぱい。ルッカとシュウは馬で山に登ったって言うとどんな顔をするだろう)
そんな事を考えているとますます目が冴える。いい加減眠くなって欲しいものだと、窓の外へ目をやった。羊でも跳ねていてくれないかしら。
――ん?
校庭の向こうに動く物?
まさかの羊? 違う、カンテラを持った人影だ。桑畑の方へ歩いて行く。
あの奥にはキトロス教授の住居しかない筈。
窓に顔を寄せて目を凝らすと、白い髪は昼間会った族長だった。民族衣装は脱いで軽装になっている。
(うわ)
見てはいけない物を見てしまった気がして、ネリは慌てて窓辺を離れた。
マミヤを見ると、相変わらずスヤスヤと眠っている。
「見なかった見なかった、私も早く寝ちゃおっと」
水差しの水を一杯飲んで、カーテンを閉め直そうと窓辺に寄った。
暗い窓に、ヒトの顔がボォッと浮かんでいる。
***
「まだ耳がヅンヅンする」
前を歩くマミヤが耳に掌を当てながらボヤいている。
「ごめんなさい……」
後ろをしょんぼり歩くネリ。
「物凄い悲鳴だったねえ」
のほほんと先頭を歩く、カンテラを掲げたツェルト族長。
「族長がネリを脅かしたからでしょう。下から照らすとか子供ですかっ」
「いやその前に窓越しに目が合ったから、こちらの存在には気付いていると思ったんだが」
「私が見えたんですか? あんなに遠くから」
部屋も真っ暗だった筈なのに。
「三峰は元々狩猟民族だからね。夜目の利く者が多くて、特にうちの家系は夜に強い。キトロスだって大した物でしょう?」
相変わらず飄々と語る族長。
「いいじゃないか。お嬢様方をお誘いする切っ掛けになったのだから」
「そも、何の用事なんですか。こんな夜中にキトロス博士に。私たちが一緒してもいいんですか?」
気持ち良く寝ている所を、部屋をも揺るがす悲鳴で叩き起こされたマミヤは、まだ不機嫌。
族長は博士に渡す物があって行くらしいのだが、桑畑からネリが起きているのが見えて、誘おうと近寄ったらしい。
「キトロスは君たちの体調を優先して早く寝るように勧めたが、僕は君たちから明日の朝、『誘ってくれればよかったのに!』と責められる予感しかしなくてね。目が合ったのはまあ運命だった」
ネリは、大人なのに子供じみた口ぶりの族長を見上げた。
ふと、ハルさんがたまに子供っぽい顔を見せた時のこそばゆい感じを思い出した。
桑畑の外れに博士の家があった。ネリには初めて。
木造の小さい平屋の窓からカンテラのオレンジが漏れている。家の向こう側は真っ黒だ。
「あっち側には行っちゃ駄目だよ、すぐ崖だから」
「が、崖って、何でそんな危ない所に住んでいるんですか」
「何でも何も、先祖代々住んでいる場所に崖っぷちの方が近寄って来るだけだ」
返事は戸口からで、昼間ぶりのキトロス博士が同じ服装で立っていた。
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