舞姫の家
文字数 1,605文字
「そろそろ来るかなと思っていた」
キトロス博士は予定外の二人がいるのに驚きもしていない様子で、扉を開いて三人を招き入れた。
ツェルト族長、マミヤに続いてしんがりで室内に足を踏み入れたネリは、感嘆の声を上げる。
正面で大勢の女性が踊っているのだ。
え、え?
いやいや絵だ、等身大の見事な絵。正面の壁一杯に、バレリーナのように踊るあだやかな女性が描かれている。
「うちのご先祖様だ」
博士が足元のガラクタを端に寄せながら言った。
「最初にここに住んだ芸術家肌のご先祖様が酔狂で、壁一杯に自分の嫁さんを描いた」
「あらあ」
ネリは目をパチパチさせながら壁の端から端までを踊る妖艶な舞姫を眺める。随分ときわどい所までお肌が出ているけれど、自分の奥方なのにいいのだろうか。
「子孫もまた酔狂で、建て替えの度に壁板だけ外して元の位置に復元している。まあ修復の度に大工に恨み言を言われる言われる」
「家を建て替える事はあるんですか」
「湿度が高いからどうしてもな」
「その時に崖から離れようとは思わないんですか」
ネリのもっともな質問に、
「窓からの景色が変わるのが嫌だったんだろ」
と、族長が横やりを入れた。
「先祖代々酔狂の血が継承されているんだ、ここん家は」
「お前の先祖でもあるだろ」
二人は言い合いながら先に立って奥へ歩いた。
この家は入ってすぐの広間と奥の間の二部屋だけみたいだが、入ってみると割と広い。
しかし床にはガラク・・研究資料が散乱し、歩くのも困難。なる程これはマミヤさんが学校の宿直室に寝に行く訳だ。
奥の間には崖側に向かって大きな窓がある。今はガラス窓にカーテンが掛かっているが、大昔は木戸だったのかな。それでもこの四角の位置は変えていないって事だろう。
ネリはマミヤの後に付いて奥の間へ入った。その部屋も遺物のレプリカやら骨董品で埋め尽くされている。かろうじて座れる書き物机と肘掛け椅子が一組あるが、博士どこで寝てるんだろ。
全員が部屋に入ると、博士はやにわに灯りを消してしまった。
「わっ」
「ひゃ」
足元が危ないのに真っ暗は困る。
しかし族長と博士は、「ほほぉ」「ふふふ」と二人だけで何かを納得している。
「博士、私たちは夜目が利かないんですよ。大事なレプリカを踏んでもいいんですか」
マミヤの苦情に、博士の「まあちょっと待て」の声がして、キィと窓が開かれた。
***
二つ折りの観音開きに外へ開かれた窓の向こうは星空。室内よりも明るい空の光が入って来て、ネリはホッとした。
風景の下半分は真っ黒な山陵。
「あっちが第一峯、そちらがニ峯」
博士が黒い山影を指して教えてくれた。谷がどのくらい深いのかは分からないけれど、取りあえず見えなくて良かったとネリは思った。
と、横から「まあお掛けなさい」の声がして、族長が何処かから引っ張り出した丸椅子を渡してくれた。ネリとマミヤはそれぞれに受け取って、隙間を捜して座った。
族長は机の前の肘掛け椅子に座り、博士はガラクタを押し退けて出現させた長椅子に腰掛けた。枕と毛布もあるから、そこが博士の寝床っぽい。
「お待ちかねの品だ、キトロス」
薄い星明かりに族長のシルエットが、懐から四角い物を取り出す。
「見付けるのが早いな」
「うちの蔵書はみな僕の頭に入っている」
「さすがだ」
「あの、それってもしかして」
ネリの隣でマミヤが声を上げた。
「そう、僕のご先祖様・・『三峰のヤン』の日記。族長家の秘蔵品。マミヤはちょこっと見た事があったっけ? 今日は、カラコーの事が書かれている部分を捜して持って来た」
マミヤの興奮した熱が伝わる。
ネリにはよく分からないが、カラコーの事が書かれているって、何百年も昔の日記?
「わ、私、いてもいいんですか」
シルエットなのに族長が微笑むのが分かった。
「勿論」
キトロス博士がおごそかに言う。
「月が昇るまで時間がある。それまでの間、皆で拝聴させて頂こう」
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