ヤークト翁の談話・Ⅱ
文字数 2,690文字
ネリばかりでなく、シュウも驚いた。
「キオのお父さん、蒼の妖精……だったんですかっ?」
キオは特に動揺していない。眉を少し動かしただけだ。
「いやいやいや、ハルは違う」
ヤークト翁が慌てて否定した所で、いきなり入り口が開いた。
「たっだいまあ!」
「蹴球大会面白かった!」
声と共に、泥だらけの小さい子供が十人ばかり、ワチャワチャとなだれ込んで来た。
「やっぱチトん所のチームが優勝だったよ」
「あんなシュート止められる訳ないって」
「あれ? お客さん?」
「あっ、キオだ」
「遊ぼ、キオ、遊ぼ!」
「こらこら、今日はキオは儂の客人と一緒だ。着替えはあちらのパォを使いなさい」
「はあい」
「ちゃんと身体の泥を拭いてから着替えるんじゃぞ、耳の後ろまでな」
「はあい」「はあい」
子供たちは物入れからそれぞれの衣服を出して、またワチャワチャと外へ出て行った。
「お孫さんですか?」
「ん? 来る前にハウスの説明を聞かなかったか?」
「いえ」
「チトの奴、手を抜きおって。ここは親のいない子や、様々な事情で心細い子供たちが集まって暮らす場所じゃ」
「へえ!」
孤児院か養護施設みたいな物か。蒼の里にそんな物があるとは思わなかった。
大昔、疫病が流行って孤児が沢山生じた時代に作られた。蒼の妖精だけでなく違う種族の子供も受け入れていて、キオの父親のハルは、幼児の頃に草原で家族を亡くして独りで居たのを保護されたとの事。
「ハルは、先祖に蒼の妖精の血は入っておるが、身体的にはお前さんらと同じ草原の民じゃ」
「そうだったんですか」
シュウはここへ来た時からの焦りが少し解消された。
キオにとってはただの親の出身地、馴染んでいるのなんか当たり前じゃないか。
「キオ、キ――オ――!」
「こら待て、キオはご用だってば――」
外から小さい子の高い声と駆け回る音がする。
「こりゃ、お前ら……」
翁が言う前にキオはスッと立って一礼し、外へ駆け出て行った。
「ああ――キオ兄ちゃん遊ぼ」
「捕まっちゃた――」
という賑やかな声。
「あ、あの」
黙っていたネリが、翁に向いて口を開いた。
「これ、この書物、私が凄く欲しがって、だから……」
「ふむ、お前さんたちにとって、ヒトから貰った物を他の者へ渡す事は、あまり宜しくないのだな?」
「はい……」
ネリはそれを気にしていたようだ。
「わしらには『受け継ぐ』という概念がある。その書物はわしが師匠から授かり、ハルに受け継がせたくて渡し、ハルはお前さんに受け継がせたかったのじゃ」
「そ、そうなんですか」
ネリは書物を胸にギュっと抱いた。
「もっと言うと、『歴史は大河』という言葉は、大昔、他国からここへ来て子供たちに歴史の面白さを説いてくれた教育者が、残して行った言葉じゃ。わしの師はその時学んだ子供の一人。
それ以来ハウスからは、歴史の教官や研究者が多く排出された。今では歴史について何か調べるとなると、とりあえずハウスを訪ねろ、とまでなっておる」
「まあ……」
ネリは、そしてシュウも、改めて部屋を見回し、棚にぎっしり詰まった書物の量に、今さら気付いて感嘆した。
キオのお父さんが蒼の妖精の血をひいているのは特に珍しい事ではなく、祖先に蒼の妖精が入っている者は、本人たちも知らずにその辺に沢山いるらしい。血が濃くなり過ぎる弊害を憂えたリィ・グレーネの時代に、積極的に他所と縁を結んだ結果との事だ。
「お前さんたちに家系図はあるか? どのくらい辿れる?」
「うちにはありません。分かっているのはひいお祖父ちゃんの代ぐらいまでかしら。あの、術が使える使えないの差って、もしかしたら関係あるんですか?」
「それはどうじゃろうな。術が使えた種族は、蒼の妖精だけではなかったしの」
「そうですか……」
「うちは、家系図を付けていますね。見せて貰った事がありますが、一番古い部分は竹管だったのがびっくりでした」
「そうか、お主の家は、家柄の格を重んじるやんごとなき血筋という所か」
「大人はそう言って拘っています。恥ずかしい話ですが」
「恥ずかしくはないぞ。守って来た長い年月は、それなりの重さがあるじゃろう。
家系図を付ける元々の理由は、血の本流を守りつつ、煮詰まり過ぎぬよう上手く管理する目的もあったと思うぞ。蒼の里ではそういった理由で、皆が皆、長い家系図を保管しておる」
「そうだったんですか。帰ったら両親に話してみます」
歴史以外の様々な話も聞けて、二人はヤークト翁との対話を終えた。
***
ハウスの敷地の中央、井戸のある広場で、子供たちが駆けずり回っている。
ネリとシュウは、外のベンチに座って一息付いている所。予想以上の成果を上げられ、ネリは緊張が途切れてぼぉっとしている。
上半身裸の子、洗濯をする子、洗濯物を持って振り回す子。
キオは小さい子を追い掛けて、服を着せたり鼻を拭いたりの世話をしている。
「ネリは、キオがこんなにここに馴染んでいるって知ってた?」
「うぅん、知らなかった。時々お父さんに着いて来るぐらいだと」
「キオ、生き生きしてるな」
「うん……」
「ここは喋らなくても関係ないんだな」
「そうね……」
と、悪ふざけの過ぎた子供が、井戸端に積まれた桶によじ登った。
「あっ」
ベンチの二人は腰を浮かした。
案の定、桶が崩れて子供は後ろ向きに傾いた。
危ない!
パチンと音がして、子供は弾かれたように前にのめった。そのまま桶と一緒に前向きに着地する。
キオが慌てて駆け寄るが、怪我はしていないようだ。
「ネリがやった? 凄いね」
「うぅん、私と違う」
ネリは不安な気持ちで首を振る。
ハルさんの訓練で、術は「使おう」と思わなければ使えなくなっている筈。咄嗟に使ってしまう事などあってはならないのだ。
「ただいま――」
数人の年上の子供がバタバタと帰って来た。大会の後片付けを終えた上級生たちだろう。
「あ、ほら、きっとあの子たちの誰かだよ。蒼の里だし、術が使える子なんて沢山いるよ」
「そう?」
シュウは、タイミング的にどうかと思ったが、深くは追及しなかった。
「腹へった―― 今日の当番だれ?」
「その前に洗濯ジャンケンな! ・・あれ?」
賑やかな面々は、ベンチの知らない顔に気付く。
「君らもしかしてルッカの連れ?」
二人が「はい」と返事をすると、たちまち取り囲まれた。
「ね、ルッカ今度いつ来るの?」
「あいつのチームと試合組みたいのに、話す前に帰っちゃったんだ」
「あいつってば、いつもあんなテンションなの?」
「彼女いるか聞いといてって、女子連中に頼まれてるんだけど」
どっと聞かれて、二人は苦笑いした。
「さすがルッカだ」
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