巡り合わせ
文字数 2,098文字
キトロス博士が「ああそうだ」とガラス棚を指差し、寝転んだまま族長を顎でしゃくった。
「そこに私の『名無しの歴史書』がある。ネリに見せてやってくれ」
「僕を誰だと思っているんだ。一応族長なのだが」
言いながらも族長は立って、ガラス戸を開いて萌木色のそれをネリに渡してくれた。
「私の宝物。ひい爺さんに貰った」
「わあ、表紙の色が微妙に違う」
立ち上がって受け取り、しげしげ眺めるネリ。
「手染めらしいからな。まぁやっぱり表紙の文字は消えてしまっている」
「博士のも、ヒトからヒトに受け継がれているのですね」
ネリは丁寧にページを繰る。と、最後のページで目を見開いた。
最終ページの白紙に、古いインクの署名がある。
キトロスというのは博士の曾祖父の名。隣にもうひとつ名前……ハ……ル……?
「ハールート……はーるーとおお!!」
またもやの絶叫に、隣の族長も長椅子の二人もビクッと揺れた。
「何だ何だ、どうした?」
「いえ、ハ、ハールートって名前の知り合いがいて」
「ああ、その署名は僕のひいお爺ちゃん。『砂漠の精霊』って意味だから、わりとポピュラーな名前なんじゃないか?」
「そ、そうなんですか……そりゃ、そうですよね……はぁびっくりした……ただの同名かあ」
「大昔の人物だよ、キトロス爺さんと仲良しだったらしい」
「族長と博士みたいにですか?」
マミヤにフイと言われて、二人の大人は意表を突かれた顔を見合わせた。
「スゴイ偶然です、今かなり感動しています」
ネリが続ける。
「私にその書物をくれたヒト、友達のお父さんなんだけれど、やっぱりハールートって名前だったんです」
「ほお」
「素晴らしい巡り合わせだな」
***
二人の少女が宿舎に帰ったあと。
族長は萌木色の歴史書の表紙をなでながら、長椅子に寝ころんだままの博士にごちる。
「まったく、表紙の装丁を自分でやりたいと革をなめす所から始めるとか、どんだけ酔狂だよ、君のひい爺さんは」
「拘った染料を使って、表紙の文字が化学反応で消失してしまったのは、お前のひい爺さんのせいだろ。うっかり中表紙も作らなかったお陰で今や、出所不明の幻の書物扱い」
「元はと言えば君のひい爺さんだろ」
「いいやお前のひい爺さんのせいだ」
言い合いを一往復したあと、二人は黙ってしまった。
「参ったなあ、あの娘」
族長がポツンと切り出す。
「何で教えてやらない? あの歴史書はうちのひい爺さんズが出版した物だって。別に支障はないだろ?」
「うん……」
「君はいつも変な所で言いそびれるな」
「あの娘……ネリ、私が女性学者だとも知らなかったんだ。先入観無しで書物を読んで好いてくれた。それがえらく嬉しくて、つい」
「つい?」
「だってあの娘、お前が大幅に加筆した『谷間に幽かに残る音』を、叙情的すぎて別の何かが乗り移ったみたいだとか、言い当てるんだぞ」
「…………」
「読み取る力が秀出ているんだ。あの娘の白紙に余計なインクを落とせる程、私はまだ大した者ではない気がして」
族長はしんみりする幼馴染みを見つめた。
「……それでも、あの娘に巡り会えたのは君ならではだと、僕には思えるのだが」
***
三峰での三日間は、ネリにとって夢みたいな時間だった。
鷹の養殖場でニコ毛のふわふわしたヒナを抱かせて貰ったし、訓練の様子も見せて貰えた。
お望みの族長宅で、棚の蔵書を好きなだけ堪能させて貰った。本当に貰ってばかり。
学校へ誘われたので授業を受けさせて貰えるのかしらと思ったら、ディ先生にハメられて教壇に立たされた。
生徒からの質問攻めでフラフラになり、その後ララや子供たちとハイキングに出て、いつの間にか尾根歩きにも慣れていた。
「時間がどれだけあっても足りませんん!」
悲鳴を上げながらも出発の時が来て、ネリは
アマノジャクっ子が自作の羽根飾りをくれた。
ララがその羽根飾りに道中守りの繭玉を足してくれた。
同じく出発準備を整え馬に上がったキトロス博士に、族長がそっと寄る。
「なぁキトロス、ネリに、自分の歴史書に記念サインをしてくれって頼まれた」
「お前のサイン?」
「開いて恐れをなした。ラストのページに誰の署名があったと思う? リィ・グレーネだと」
「・・本物か?」
「その前の頁にヤークト翁の口癖も書いてあったからな」
「……」
「どんな経緯を辿ってんだよ、あの書物」
「……」
「いくら何でもそんなページに寄せ書きみたいに署名をするなんて嫌だからね。革表紙をめくって裏にこっそり書いておいた」
「うん?」
「『三峰の山懐から』ってタイトルと、『著者・三峰のヤン』と『編纂・キトロス/ハールート』。今度は消えない堅牢度の高いインクで」
「何をやってくれてんだ」
「たまたま偶然見付ける時が来るかもしれないね」
「……お前の署名はよ」
「あ、忘れた」
「何だそれは」
「次に『帰って』来てくれた時に書くって伝えておいて」
族長は先祖代々変わらないいたずらっぽい目でウインクをした。
博士は肩をすぼめて馬を返し、出発の号令を掛ける。
ララも交えた四頭の馬は、尾根を目指して手を振って、三峰の青い空に溶けた。
~カラコーの遺跡にて・了~
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