シュウとキオ、そしてネリ
文字数 1,806文字
駆け込んで二歩で、シュウは白い霧に覆われた。ルッカは本当にギリギリの場所で止めてくれていたようだ。
でも前方にキオの馬の黒い尻尾が見える。あれに付いて行けば大丈夫だ。
馬が弾く木の枝が顔に当たるが、怯まず進んだ。
キオは後ろのシュウに気付き、歩を緩めて自分の脚の横を指差してボソリと言った。
「絶対に蹴らない馬じゃないから」
そういえば別荘地の乗馬教官に注意を受けた事がある。馬はなまじ視界が広いゆえ、見えない真後ろのモノを極端に怖がると。
シュウは急に震えが来て、慌てて隣へ行った。
「シュウ君、戻った方がいい」
上から言われて(当たり前だけれど)また胸がザワ付いた。喉まで込み上がった憤りを呑み込んで、声を落ち着かせる。
「一緒に探させてくれ。ネリ、体調が悪いんだ。倒れて動けなくなっていたら、男手は多い方がいいだろ」
しかしキオは戸惑っている。もごもごさせていた口を開いて、やっと声を出した。
「本当に、戻った方がいい」
「嫌だよ、何で」
「この先は、街の常識が通用しない、法律も警察も守ってくれない。危ないんだ、本当に。シュウ君に何かあったら困る」
「君はいいのかよ」
やっと喋ってくれたのに、こんな会話をしたかったんじゃない。
「父さんは『蒼の里へ行くのはいいが、山茶花林には絶対に近付くな』って念を押していた。言われていたのにネリに注意を払っていなかった僕が悪い。だから僕は罰でも呪いでも……」
「うざったく喋り掛けていた僕のせいだってか!?」
「…………」
キオが黙って指差したので振り向くと、まだ来た道が残っていて、霧の向こうにルッカが見えた。
「そうじゃないだろ!!」
声が喉からせり上がった。
「君が行けて僕が行けないなんて事がある物か。やっと喋ってくれたと思ったら肝心の事は一つも言わない。本心はネリを助ける手柄を独り占めしたいだけだろ!」
キオは開きかけた口を閉じた。
そうして馬の胸繋(むながい)を外して、ロープにしてシュウに差し出した。はぐれないよう持っていろって事だろう。
一緒に行く事は承知してくれたが、彼はもう二度と声を出す事はなかった。
***
「キオくんは無口なんかじゃない。いっぱい喋るよ」
初等の六年生になったばかりの頃、ネリはテオ叔父さんに抗議した事がある。
叔父さんがあんまりキオくんの事をクサすからだ。
牧場に術の訓練に通うようになって二年。出入りの多いテオ叔父さんともすっかり親しくなっている。
でもキオくんの良さをちっとも分かってあげられていないのが不満。
ネリだって、最初は地味な子だなあと思っていた。でも牧場のゲートをくぐると、仕事をしていても必ず一番にネリを見付けて、手を挙げて挨拶してくれる。
一緒に過ごすともっと違った。とにかく心底優しくて誠実、誰にでも。
お父さんのハルさんと同じ、大らかで鳥のような広い目。
そして前髪の向こうの瞳の青がとても綺麗。
星雲の中のシリウスみたい、と言うと、口をへの字にしてキョトンとしていた。
テオおじさんやその奥さんは、甥っ子の無口が心配なんだって。
妹婿はのんびりし過ぎだとも言っていた。
そんな事ない、キオくんは一杯喋る。
おじさんたちにそう伝えたら、えらく驚かれた。
「一杯喋るって? あいつが?」
「キオくん、賢すぎて、答えがいっぺんに沢山出て来るの。その中からどれを喋ればいいのか迷っている内に、相手が次に行ってしまうの」
「いや思い付くんなら端から喋ればよかろう?」
おじさんは素朴に思った事を言う。
「それをやって失敗した経験が一杯あるから、やめちゃったんじゃないかしら。自分の一番と相手の一番が同じとは限らないもの」
おじさんは、「ふむ……」と言って、よく分かっていない顔をした。
この子は優しいから庇ってやっている、位にしか取って貰えなかった感じ。
キオ君は今のままで十分。
叔父さんの手伝いも一所懸命やるし、ネリのドジも先回りして助けてくれる。
嘘やごまかしを言わない、本当の気持ちしか口から出さない。それって凄い事だ。
でも世の中には、本当の気持ちを言われて嫌がるヒトがいる。
嘘を求めるヒトもいる。
そういうヒトたちの前では喋らなくなっちゃうだけなんだけどなあ。
中等の学校に上がった時、クラスの顔ぶれに彼を見付けて心踊った。
初等の学校は別だったから、これから一緒に学んで行く日々を思うとワクワクした。
キオの馬
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