最終兵器
文字数 3,233文字
やって来たのは、発掘ボランティアの男子学生二人、そして統括者のフンヌル教授だ。眩いライトの逆光の元、丸い身体をゆすって瓦礫の中を非常に面倒そうに歩いて来る。
「何とまあ、キトロス女史であったか」
教授は大仰に驚いた動作をした。髭をピクピクさせて嬉しそう。
「こんな夜闇に紛れて何をなさっておいでか」
「どうもフンヌル総指揮官殿、よい夜で」
ラーテが報せてくれたので、修復はダッシュで終わらせ、練った漆喰等は処理済みだ。
博士の白々しい挨拶に、男子学生二人は、
「自分のミスった部分をこっそり直しに来たんじゃないの?」
「骨董価値のある物も結構埋まってるし、分かんねぇぞ。博士号なんて飯のタネにならないっていうし」
などと、失礼な事を囁き合っている。
「貴様ら……!」
文句を言いかけてマミヤはハッとした。
学生たちの足元に、片付け損ねた偽漆喰の器が転がっているではないか。まずい。
しかも学生の足に当たって、下を向かせてしまった。
「何だこ……」
パン!
一同びっくりしてそちらを見る。
男子学生が拾おうとした小さな器が、独りでに跳ねて隣の廃屋まで飛んで行ったのだ。
「きゃああ!」
ネリの悲鳴。
「やっぱりこの場所呪われているんだってば! おかみさんたちの噂は本当だったのよ、マミヤさん!」
一同にビビリが入るのを見て取ったマミヤも、ネリに合わせる。
「だから肝試しなんて嫌だって言ったんだ! ヒトの居ない所から囁きが聞こえたり、昼間から薄気味悪いんだってば、ここっ」
二人の男子学生は上手いコト浮き足立ってくれた。
しかし絶好機を逃したくない髭の教授は頑張る。
「お前ら、女子供みたいに非科学的な言動に乗せられるでない。たまたま昼間と夜の温度差でどうにかなっただけだ。まったく情けな……」
頭上でパキンと音が鳴って、また一同凍り付く。
続いてまた
パキパキ、パキ――ン。
娘二人は抱き合って震えているし、女博士は教授の目の前で腕を組んでいる。怪しい動きはしていない。
髭の勢いは止まり、今度は博士がゆっくりと口を開いた。
「フンヌル教授殿が廃墟近くの安宿に監視用の部屋を借りて、学生に寝ずの番をさせている事は、皆知っています。不埒な事など考えようがありませんよ。
あの娘(こ)たちがあんまり空想事を怖がっているので、検証に来ただけです。教授の仰る通り、自然現象の何かでしょう。第一こっそり来る者は、カーバイトのランタンなど持って来ますまい」
博士はシレッとネリの芝居に乗って来た。
(ひえぇ、ごめんなさい)
ネリは心で謝った。
彼女が下げて来たカーバイトのランタンは水を触媒にして光を発する物で、その反応音たるやゴォゴォとやかましい。
隠し地図に興奮していた博士たちの耳には入らなかったが、寝ずの番の学生たちには当たり前に見付かっていた。
「いやいやどんな理由があろうとも、調査途中の遺跡に夜中に忍び込むなど、問題にせざるを得ませんぞ」
髭の教授はしつこく追求する。確かにセーフかアウトかは微妙なラインなのだ。
「そうですね、責任を取って私はこの現場を退きましょう」
ネリは悲愴な顔で博士を見上げた。
「それだけでは済まなかろう。きちんと中央に報告して審議に掛けて貰わねば」
教授は追い討つ。
ネリはますます青くなる。
学生二人は「あ――あ、一生出世出来ない奴だ」「下手したら号の剥奪じゃん」などと囁き合っている。
しかし博士は涼しい顔で
「マミヤ、ネリを連れて離れていてくれるか」
言って、スタスタと教授に近付いて行った。堂々たる女丈夫に、髭も学生も一瞬怯む。
「フンヌル教授殿はお弟子さんを遠ざけなくて宜しいか」
「な、何を……」
女性とはいえ、キトロス博士は見上げるような体躯と筋肉の持ち主。「ビッグフットの子孫じゃねぇの?」と揶揄する学生もいたくらい……ああ、今、教授の陰に隠れて小さくなっている彼だ。
「お前たち、ワシを守らんか、いや先に手を出すな、分かってるな、分かっているな」
「ひえっ、盾になって殴られろって事ですか」
「それでゼミに出られなくなっても単位くれますかっ」
言っている間に博士は彼らの真ん前に立った。
そこから先は、マミヤに手を引かれてうんと遠ざかったネリには聞こえなかった。
しかし遠目に、教授と男子学生がみるみる動揺して覇気を失くして行くのが分かった。
「帰るぞ、マミヤ、ネリ」
と声を掛けられ戻った時には、教授は真っ青どころか紫になって下を向き、学生は干し野菜みたいに萎びていた。
「フンヌル教授は今夜の事は忘れてくださるらしい。だから安心していていい。さあ行こう」
***
「どんな魔法を使ったんです?」
先を歩く博士にマミヤが追い付いて聞いた。
「私のような凡人には相手の弱味につけ込んでささやかに脅迫をするくらいしか能がない。魔法なんてネリじゃあるまいし」
そのネリは二人からやや離れ、ブツブツ言いながら暗い空を見上げている。
それから肩を下ろして、何食わぬ顔でこちらへ駆けて来た。
「ね、パキンって音、ネリの仕業だったの?」
マミヤの問いに、ネリは神妙に頷いた。
「クリンゲルには指弾き術を使える子供が多いと聞いていたが、ネリ位の歳でも使える物なのか?」
と博士。
「いえ、本当は小さい内に消えてしまう物だけれど、私は失せるのがちょっと遅くて」
「あんなに大きな音が出せる物なんだな、私も一発目はビックリした」
「ちょっと張り切り過ぎました。クモの巣が来ちゃわないかと心配したけれど、大丈夫だったみたいです」
「ん?」
「いえ、お役に立てて良かったです」
「今日から学生たち、怯えながら作業をやる羽目になるな」
苦笑する博士を、マミヤはそっと見上げた。
(博士だって相当ですよ、一体何の脅しをかけたのやら)
『キトロス博士は鷹の目の持ち主で、他人のスキャンダルのカードを山ほど隠し持っている』なんてまことしやかな噂はあるが、長らく一緒にいるマミヤにも本当の所は分からない。
(あの色々だらしなさそうなフンヌル教授なら、叩けば幾らでも脅迫のネタは出てくるんだろう)
「その、すみませんでした、勝手に着いて来て」
ネリは今更ながら謝った。
「構わない、私がネリ位の頃はもっと色々やらかした」
博士は鷹揚に言った。
「どの道ネリのボランティアが終わったら、私たちも発掘現場を抜ける予定だった」
「本当ですか」
「ああ、むしろ巻き込んで済まなかったな」
「そんな、そんな」
ネリには二人に会えて良かったという気持ちしかない。
「早いけれどもうクリンゲルへ帰ります。壁作業を見ていたのでレポートは書けますし。それに今回の現場が終わったら、一週間置いて別のお仕事が入っていまして。ちょっと余裕が出来てむしろ良かったです」
「その事だけれどな、ネリ」
街の入り口近くなり、上空からラーテが降りて来た。
ズシリと鷹を腕に受け止めて、朝靄の中、博士は振り向く。
「私たちと来ないか?」
「えっ!?」
「博士、間の説明を飛ばし過ぎです」
助手に冷静に突っ込まれて、博士はこめかみをかきながら言い直した。
「えっと、ネリの予定は、五、六日後ぐらいにクリンゲルに戻っていれば間に合うか?」
「はい……多分大丈夫かと」
「その位あれば往復出来る」
「??」
「実は私の故郷がこの近くにあって、地図の検証が終わったら一度立ち寄る予定をしていた。それで、よければ一緒に行かないか? 今回のお詫びも兼ねて、我が故郷へ招待したい」
――!!
ネリは息が止まった。
今、招待して貰った?
先週までは雲の上と思っていた憧れのヒトに。
夢じゃないの? 夢なら覚めないで欲しい!
***
夢なら覚めて――!
山の中、木の梢が回る、空も回る、ぐるぐる回るう――!
「大丈夫か? ネリ」
前を行く大きな馬の上からキトロス博士。
「何故そんなに揺れる? 逆に難しいだろ」
後ろの細い馬の上からマミヤ。
「あばばば」
脳みそをシェイクされて喋れもしないネリ。
(ログインが必要です)