ヤンの日記
文字数 1,974文字
壱ヶ原へ下りる
買:
ヒワ油、アサガオの実、
ネジ二番四番各百、銅板、蜜蝋
売:
絹織、毛織、毛糸
手紙6ー11
カラコーに会いに行く、不在
「壱ヶ原ってのは今のアウトヘーベンだよ」
古い日記を読み上げながら、ツェルト族長は軽く解説も入れてくれた。
「この頃ヤンはまだ十代の少年だな。村で数少ない乗用馬持ちだったから、月に一、二度、族長の命で街におつかいに下りていた」
「ここからアウトヘーベンまで? もっと近い麓の五つ森からでも丸一日かかったのに」
「そうだね、でも彼は日帰りしていたみたいだよ」
「ええっ」
「さすが山の民って所だね」
○月○日やや欠けの月
壱ヶ原へ下りる
買:
粉、麦芽、カンナの刃、蹄鉄交換
売:
毛皮鹿、兎、貂
手紙11ー8
カラコーを訪ねる、留守
○月○日かけらの月
壱ヶ原へ下りる
買:
なめし剤、ネジ二番百
売:
干し肉、肝
手紙8ー9
カラコーを訪ねる、留守
「なかなか会えませんねえ」
「買と売は分かるけど、手紙ってのは?」
「手紙を出したのと受け取った数じゃないかな。郵便に似たシステムはあったようだから」
質問に答えるのは族長が主で、キトロス博士は黙って聞き役に徹している。
「日記っていうより、帳簿って感じですね」
「私が以前見せて貰った日記は、もっと日記っぽかったけれど」
「初期は紙と筆記具が粗末だったからね。保存状態も悪くて取り扱い注意で……ん――と、どこだったかな……」
それにしても族長は、こんな星明かりだけでよく読める物だ。夜目は遺伝だというが、ここまで来ると神秘的に見える。
キトロス博士は相変わらず黙って悠然と椅子の背もたれに身を預け、皆のやり取りを聞いている。
「……あ、あった、ここだここ」
○月○日満ちる月
壱ヶ原へ下りる
買:
取り寄せ書物、粉、銅板、針金
売:
毛皮鹿、猪、干肉
手紙8ー6
カラコーに会った
話をする、決裂
「そんな、せっかく会えたのに決裂?」
「これだけじゃ分からないだろ、ネリ」
「えっと、おつかいの記録はもう省略するね」
○月○日やや欠けの月
壱ヶ原へ下りる
カラコーに会う
話をする
○月○日半分の月
壱ヶ原へ下りる
カラコーに会う
話をする
「は、話ははずんでいるみたいですね」
「そういうのとは違うと思うが」
「いやいや、あながち間違っていないかもしれないよ」
族長は頁を繰りながらカラコーの文字の箇所を抜き出して読み上げて行く。大概は「見かけた」「話をした」だけだったが。
○月○日青い月
彼と二人で壱ヶ原へ下りる
カラコーに会う
彼がカラコーと話をする
途中ヒヤヒヤする
話が決着する
彼に感謝
これで壁地図の件はおしまい
もう蒸し返す事もしないだろう
「壁地図って出て来ましたね」
「…………」
「何かもめてたのが、誰かが間に入って、ヒヤヒヤする展開もあったけれど落着した、って感じですかね」
「『彼』って誰だ。当時の族長とか目上の者に、話し合いの同席を頼んだのか?」
「さあ、その辺はやはり細かくは書かれていなくてね。あくまで自分だけに向けての日記だし」
「肝心な所なのに、もお!」
苛立つマミヤに族長はまあまあと宥め、その日記を閉じた。
「壁地図の話って何だったのでしょう。それ以前の日記に何か書かれていなかったのですか?」
「うん、日記を付け始めたのはこの頃からで。毎日でもないし、長らく書かれない時期もある。ただこの後……こちらは翌年の日記だが」
族長は暗闇で別の日記に持ち替えた。
○月○日満ちかけの月
成人の儀礼終了
晴れて成人の権利を得られる
何とカラコーから祝いの羊が届いた
どこから情報を得るのやら
×月×日細い月
壱ヶ原へ下りる
カラコーに会う
分配金を提示される
丁重に辞退する
○月○日細い月
壱ヶ原へおりる
カラコーに会う
配偶者を紹介される
食事を共にする
カラコーは穏やかになった
×月×日白い月
カラコーより贈答品
東方の紙、筆、インク
食事の折りに話題にした物だ
彼は記憶力が良い
今後彼の前で欲しい物の話題は控えた方が良さそうだ
「あらら、何だか仲良しになれたみたいで、良かったです」
「カラコーは、この三峰の一少年に随分思い入れがあったのだな」
マミヤは感慨深げに呟いた。日記は族長宅の秘蔵品みたいだし、彼女にも見られる機会は少なかったのだろう。
「この後から、日記は紙質が変わり、保存状態が極端に良くなった。カラコーが紙を提供し続けてくれたようだ」
「まあ」
「お陰で我々は、こうして当時の彼らの日常を覗き見する事が出来る」
「そうですね、カラコーとマメなご先祖様に感謝です」
さてでは、今夜の集まりの意味は?
族長はネリたちに、三峰の少年とカラコーの交流を教えたかっただけだろうか。それだけで夜中に寝ている者を起こして連れ出す必要があったのか?
(ログインが必要です)