五百年前の彼
文字数 2,110文字
「私やツェルトは、少しの星明かりでもこれが見える」
博士はスルリと言うが、族長は、
「冗談、そんなバケモノは君一人で十分だ。僕は言われなければ分からない程度だからなっ」
と、強く反論した。
月がすっかり白くなり、ネリたちには地図が見えなくなった。
部屋にカンテラが灯され、博士は地図の壁に大判のタペストリーを被せる。
「少なくともひい祖父さんの時代からこの場所にはタペストリーが掛かりっぱなしだった。だから私が地図に気付いたのは、家の修繕をするのに一旦壁を解体した時だ」
「このタペストリーで地図を保護していたんだろ。ひい爺さんも地図に気付いていたんだろうな。酔狂の血は継承されるってか」
「だから、お前の先祖でもあるんだぞ」
「それにしても偶然に委ね過ぎです。子孫の酔狂をそこまで信用できるなんて、本当にどうかしています」
マミヤが隣の間から茶器を運んで来ながら随分な事を行った。
「あのぉ…… あるんですか? 月の赤い光だけに反応する塗料なんて」
お茶を配るのを手伝いながら、ネリがもっともな事を聞いた。
「うん。私は専門外だから、ちょっと削って化学畑の友人に見て貰った事があるんだが。苔の成分みたいなのが検出された位で、大した事は分からなかった。それこそ魔法の類いかもしれないな、都合が良すぎる性能だし」
「魔法って……」
マミヤがチラとネリを見たが、ネリは(知りません)という顔で激しく首を振った。
「あるかもしれないねぇ。その近辺で蒼の妖精一族と交流があったみたいだし。彼ら古い強力な魔法が十八番だろ」
ツェルト族長の話に、マミヤはまたネリを見た。
「そういえばネリ、蒼の里ってクリンゲルの近くだよね、場所も知っていたみたいだし」
「ふうん?」
族長がネリの顔を覗き見た。薄い色だけれど力のある目。キトロス博士も黙って耳を傾けている。
「あ、あの……」
蒼の妖精に関しては思う所が一杯あるネリだけれど、あまり話さないようにしている。サクジ教授にだって全部は話していない。
「わ、私が中等の一年生の時に、学校の歴史の自由研究……フィールドワークで蒼の里へ行った事があるんです」
「フィールドワークぅ!?」
マミヤの呆れた声。
「極端に閉ざしている部族って聞いたけれど、よくそんな理由で入れたね」
「グループに、蒼の里に商品を卸している家の子がいて。たまたまなんです。今から考えると凄く運が良かったです」
「ね、術とか魔法とかみんな普通に使ってる感じ?」
「いえ、そんな事はなくて。子供は私たちと同じように成績で苦労したり蹴り球に夢中になったり。大人だって外の世界の便利な物は足りる分だけ受け入れていました。
でも術の力が凄いヒトはやっぱり凄くて、五百年効いてる術があるって言われても、有り得るだろうなと思っちゃいます」
博士と族長はあまり質問せずにニコニコと、ネリの話を聞いている。
「あっそうだ。蒼の里でも子供たちが通うのは学校じゃなくて修練所だって」
「うん」
族長が頷いた。
「三峰はヤンの時代以降もポツポツと交流はあったから。『修練所』って概念も多分あちらから来たと思うよ。そういう関わりを考えると、やっぱり塗料も彼らに貰ったのかもしれない」
「そんな気がして来ました」
「繋がっている物だねえ。たまたまでも偶然でも運任せでも、繋がる物は繋がる」
***
地図を描いたのはおそらく、表の舞姫画の作者。日記に出て来る『彼』だという。
「街の地図を描いたヤンとは違うのですか?」
「うん、ヤン自身は、地図にはあんまり執着していなかったと思う。それよりカラコーの事が結構好きなのが行間に滲み出ているからね。彼とのわだかまりを解消する方が大事だったんじゃないかな」
というのは族長の推理。
「友達がされた事を本人よりも怒ってしまうのは、ありがちだ」
博士に見つめられ、マミヤは耳を染めて頷いた。
その、『本人よりも怒ってしまった彼』の直系子孫で、代々ここに住んでいた酔狂者の末裔が、キトロス博士。
ツェルト族長はヤンの直系だが、両家は度々婚姻を結んでいたので、家系図に重なる部分が多い。
要するに先祖の悪口を言ったらブーメラン。
「『彼』の名前が日記に記されていないのは何ででしょう?」
「うん……親しい友人ではあったようだけれどね」
「家系図では?」
「家系図は『カペラ』となっている。が、注釈に『亡くなった歳の近い者の場所に嵌め込んだ』とあるんだ。要するに、カペラの親とは他人」
「ええ……何でそんな事を……」
「僕の予想だけれどね。『彼』とその妻は、他所から流れて来た異邦人……悪く言えば流民だったんじゃないかと。当時の部族社会の外面上、三峰のどこかの『家』に入れてやる必要があった。それでヤンも、名を明確に書く事を控えていたと思う」
流民……ネリの頭の中に、つまはじきにされて肩身狭く生きる『彼』が想像されてしまった。
そんなネリの心を読むように、博士が語りかけた。
「学校の子供たち。私みたいな濃い肌色の子も、ツェルトのように色の薄い子もいたろう。どちらも『彼』とその嫁さんがこの村に持って来た色だ。もうすっかり三峰の色だ」
場所の歴史もヒトの歴史も、奥深い。
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