特別授業
文字数 2,726文字
「キロトス先生だあ!」
「先生、お話して、何か講義して!」
「コーギ! コーギ!」
皆のヒーローの来訪に、子供たちは沸き立った。
「先生は着いたばかりでお疲れなんだから」
「そんな事言ったって、ディ先生だって昨日からウッキウキだったじゃん」
「指笛の音がした瞬間、昼御飯も食べないでダッシュで走って行ったよね」
「すっごい早かったよね」
言われて青年教師は苦笑いをする。
外で遊んでいた幼子も教室に入って総勢四十人余り。二人掛けの椅子に三人座ってギュウギュウ詰め。
授業を終えた放課後の筈なのに、皆キラキラした瞳で琥珀色の先生を凝視している。こんな小さい子まで集中していられるなんてと、ネリはまた驚いた。
「本当に皆授業が好きなのね。クリンゲルの学校とは随分違うわ」
「そうなの? クリンゲルなんて色んな分野の学院が揃っているし、学園都市ってイメージだけれど」
ララに素直に言われ、ネリは耳を赤くした。
「『学校』は選べる物が沢山ある子が行く所だ」
キトロス博士がニッコリして言った。
「ここは選べる物が少ない。便宜的に学校と呼んでいるが、正式には『修練所』なんだ」
「修練所!」
ネリの記憶が甦る。蒼の里でもそう呼んでいた。
『貴方たちの学校とは似ているようで違います』
セレス長様の声で再生される。
「修練所では、『学ばない』という選択肢は無い。『生きて行くのに必要な力』を学ぶ場所なんだから」
ララは頷いているが、ネリは頭が混乱している。『学ばない事』『学ばせない事』も選べる街の学校。うぅん? 元々はそうじゃなかった筈……
博士が皆の前に立って、発掘中のカラコー遺跡の話を始めた。ディとララが両側で黒板に板書して行く。ディが小さい子向き、ララが上級生向き。
ネリとマミヤは教室の後ろから見学していた。
「五百年と少し前、通信設備も無く馬と駱駝で行き交っていた時代。カラコーは壁に大地図を描いて茶屋を開いた。そしてその商売は大成功。成功の秘訣は何だったと思う?」
博士は手を挙げた子供を順番に指名して行く。
「みんなが地図を見たがったから」
「お茶がおいしかったから」
「お茶だってさ、バカみたい」
「バカって言う方がバカァ!」
「地図を見たいからお金を払って茶屋に入るに決まってるじゃん」
「マミヤはどう思う?」
ワイワイ始めた子供たちを静めて、博士は後ろの助手に振った。
「やはり地図と情報を売り物にしていたんだと思います。紙の地図は出回っていたけれど旅人は鮮度のある情報を欲しがっていた。
そこに目を付け、情報を仕入れて誰でも簡単に閲覧出来るシステムを作った。考え付くだけなら誰でも出来るけれど実現に移した行動力が、成功の秘訣かと」
ララがウンウンと頷いている。この女性は商売人だから、きっとカラコーをリスペクトしているのだろう。
「茶屋にしたのは、庶民には情報に対価を払う習慣がまだ無かったからで、間口を広げる為だと思われます。あと、各街にチェーン展開してシステムを浸透させたのも、すこぶる先進的だったと」
大地図の裏側の件はまだ公にするなと博士に言われているので、マミヤもそこには触れない。
「うん、素晴らしいまとめだ」
博士が手を叩いたので、子供たちからも拍手がおこった。
「ネリはどうだ?」
「え、わ、私?」
のほほんと拍手に加わっていたネリは焦った。
「えと、えっと」
大体がマミヤさんと同意見だけれど……
「お茶、お茶はおいしかったと思いますっ」
子供たちから笑いがもれたが、さっきそれを言った小さい子は顔を上げた。
「何でそう思う?」
博士が面白そうに聞く。
「きっと普通の茶屋の何倍ものお値段を取ったのでしょ? だったらその辺にあるお茶と同じじゃ、お客さんにボッタクリとか陰口を言われちゃうじゃない」
「そんなの気にしなけりゃいいじゃん、バッカみたい」
さっきヤジを飛ばした男の子がまた叫んだ。どの種族でもアマノジャクっ子はいるみたいだ。
「カラコーは見栄っ張りだから気にするんです」
男の子は一瞬怯んだがすぐに口を尖らせて、「そんなの何で分かるのさ」と言い返した。
「発掘現場で、優雅な曲線の陶器の取手を見付けたわ。私が掘っていた以外にもカップや揃いの茶器が発掘されていた。みんな当時この国には無かった西方の薄くて華やかな陶器。
あと小さい香味入れ、あれはお茶に香辛料を好みで足して貰う為の物よ。カラコーは贅沢な茶器と香辛料の香りで店内を演出して、遠い異国まで手を広げる大商人だぞってアピールしていたのよ」
「でもだって、結局見て来た訳でもないじゃん……」
男の子は引かない。
「そうだな、誰も見ていない。だから我々は想像する事が出来る」
博士が言って、ワヤワヤしていた子供らはそちらを見た。
「『こうだったんじゃないか』の思い付きから調べて検証する事はとても楽しい。新しい発見に巡り会えると胸が踊る。歴史を学ぶ醍醐味だ。あらゆる可能性がある。それこそ誰も見ていないんだから」
ヤジを飛ばしていた子は黙り、お茶の事を言い出した子は頬を桃色に染めた。
「ただ、大勢が好き勝手を唱えるのも歴史学の世界だ。皆も一人の説だけで終わらないで、出来るだけ色んな説の書物を読んで、大勢と話し合うといい」
子供たちは「はあい」と元気に答え、博士の授業は終了した。
その後、新しい書物を皆で棚に並べた。小さい子向けの文字の大きい絵物語もあれば大人向けの専門書もある。
棚に背表紙が並ぶ度に皆が目を輝かせる。
ネリはしみじみを通り越してしんなりして来た。
(ここの子供はきっと書物を大切にするだろうな)
他人の読んでいる書物を引ったくる者も、わざと粗末に扱って面白がる者も、書物ぐらいで大きな声を出すなと叱る者もいなさそう。
(ここの子に生まれてみたかった)
思ってネリはハッとした。マミヤが尾根で言った言葉を思い出した。
それから、蒼の里で歩いた帰り道も思い出した。
トンボが飛んでうららかで、干し草と湿った土の匂い、陽に染まる牧草地、大好きな友達の長い影。
蒼の里では他にもっと強烈な体験をした筈なのに、いつもパッと浮かぶのはその平凡な風景なのだ。
(博士は、大人を納得させる為だけじゃなくて、子供にも大切な思い出になる学校を目指しているんだ)
「ネリ、どうした」
手が止まっている所をマミヤに呼び戻され、ネリは慌てて作業を続けた。
「もう疲れちゃったの? おうちに帰りたい?」
さっきのアマノジャクっ子がからんで来た。
「ううん、帰りたくない、ずっと三峰に居たいわ」
男の子は目を丸くした。
「へえ、いいよ、ずっといれば?」
「本当?」
「うん、うちに来ればいい。おいらのお姉ちゃんにしてやるよ」
「うふふ、ありがとう」
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