ネリ

文字数 3,228文字

   

「うちの子と遊ばないようにして貰えるかしら」

 下校途中の道端で、友達の、憧れの綺麗なお母さんにこんな事を言われたら、普通の十歳ならショックで何も喋れなくなる。
 しかし女の子は頑張った。泣いている暇なんかない。あの子と遊べなくなるなんて嫌だ。一所懸命頭を働かせて言葉を探した。

「ネリの悪い所を教えて下さい。勉強ですか、お行儀ですか。頑張って直します。シュウ君のお母さんにいいって思って貰えるまで努力します」

 シルクのショートコートの品の良い女性は、困った眉を下げた。
 確かに今の言い方は宜しくなかったかもしれない。この子供には何の罪もないのに。
 彼女だって、この女の子の素直で真っ直ぐな所を好ましく思っている。だから家柄は釣り合わないけれど息子の友人として認めていた。
 しかし……

「貴女は何も悪くないのよ。でも、昨日校庭で起こった事を思い出して」

「…………」

 女の子は暗い顔になる。

 昨日の放課後、登り棒のてっぺんから足を滑らせて落ちた。大人の背の倍の高さ。
 恐怖で頭が爆発しそうになった。
 でも衝撃がなくて、気が付いたら土の上に座っていた。
 そして、彼女を追い掛けていた大きな犬が仰向けで失神していた。

 目撃した者の証言では、頭から落ちた子供が地面に着く前に、その空間がバシンと弾けた。土ぼこりの中、子供は一度浮いてお尻から滑るように着地した。お陰で無傷だったのだが、犬は弾き飛ばされて鉄の棒に全身を打ち付けた。

 この街で、子供に術の素養があるのは珍しくない。パチンパチンと指ならし程度に空気を弾ける者は、各クラスに一人二人いる。
 うまい事した物で、イタズラに使いそうな悪ガキには発現せず、落ち着いた真面目な子ばかり。お陰で大した問題にもならず、ただの特技程度に扱われている。
 物心付く頃に現れて、年齢を重ねると消えてしまうので、あまり気にする親もいない。

 しかしシュウの母親には他人事でなかった。
 目撃証言をしたのは自分の息子で、放れ犬に追い掛けられたネリを助けようと、すぐ側まで走り寄っていたのだ。ほんの少しタイミングがずれていたら、鉄棒に叩き付けられたのは息子だったかもしれない。

「ネ、ネリは、術なんか使えた事ない……自分が使えるなんて知らなかった……」

「無意識にやってしまったのよね。そちらの方が怖いのよ」

「…………」

「貴女がシュウの大切なお友達なのは知っているわ。でもおばさんの心配も分かってね」

「…………はい……」

 泣きそうな声でネリは返事をした。もうシュウ君と遊べない。その隣に居るあの子とも遊べなくなる。
(でもしようがない。犬を怪我させちゃうような悪い子だもの、友達が一緒に居たくないのは当たり前だ)
 正面の女性は中々立ち去ってくれない。まだ何か言われるんだろうか。

 と、俯いた頭に、後ろから手を置かれた。大きい暖かい手。

「大丈夫」

 天から降って来るような声だった。

 ネリが顔を上げると、夕焼け空を背景に、一人の大人の男のヒトが立っていた。
 背が高くて、鍔広の帽子と襟の立った外套が、物語の吟遊詩人のよう。
 シュウ君のお母さんはこのヒトを見て戸惑っていたのだ。

「とある教育機関から連絡を受けて参じました。昨日、術の暴発を起こしたのはこの娘で間違いないですね」

「え、ええ……」
 女性は、呆気に取られてつい受け答えしている。男性は後ろにネリと同じ位の子供を連れていて、それが警戒心を解かせていた。

 そのヒトはネリの正面に来て目の高さに屈み、今度は両肩に手を置いた。
「会えて良かった。大丈夫だよ」

「…………」

 ビックリして喋れない女の子を一旦置いて、男性は立って女性に向き直った。

「私は、大き過ぎる術の力に困っている子供への対処を生業にしています。この子程度の年齢なら少しの訓練で、余分な術力を抑える事が出来る」

「ほ、本当なの? そんなお仕事、聞いた事もないわ」

「各教育施設の長以外には伏せて貰っていますから。そうでないと、術力を増やせとか生やせとか、世迷い言を唱える保護者が殺到して困る。私も表向きは穏やかに牧場を営んでいます」

「そう……なんですか……」
 女性は多少引っ掛かりながらも、この男性のおごそかな雰囲気に圧されて納得した。
 もとより、神経が繊細な息子の為に、仲の良い友達と無理に引き離したくない。術力を抑えられるのならそれに越した事はない。

 そんな女性に、男性は指を口に当てて上目で見据えた。
「くれぐれも他言無用で願います」

「あ、はい」

 きょとんとしていた娘がそっと聞く。
「ねぇ、シュウ君と遊べる……の?」

「ええ、この方に教わって訓練すれば、術の力が抑えられるらしいですよ」

「本当!? ネリ、頑張ってクンレンするよ!!」

 女の子の花が咲いたような笑顔を見て、女性も素直に良かったと肩を下ろした。



 それからネリは、毎週末にそのヒト……ハルさんの牧場に通うようになった。

 タゴンムヨウという言葉を辞書で調べて、シュウ君はもとより、他の友達や自分の家族にさえ内緒にした。
 ハルさんには、別の学区で同学年の、キオ君って息子がいた。お母さんは病気で亡くしたらしいけれど、叔母さんというヒトがちょくちょく顔を見せて世話を焼いているようだった。

 ちょっとしてから、実はキョーイクキカンというのはデタラメで、たまたま通りすがりに会話が聞こえただけだったと教えられ、顎が外れた。
 でもハルさんの訓練は本物で、術を抑えるコツを学び、完璧にコントロール出来るようになった。

 訓練が終わってからも、ハルさんちの本棚が面白くて、度々見せて貰いに通った。
 中等の学校に上がった時、ハルさんがお祝いにと、驚く物をくれた。本棚の一番上にあった、ネリが好きで好きでずっと憧れていた、美しい萌黄色の歴史書。

「でもその書物、キオも好きだったでしょう?」

「大丈夫、こいつは中身を全部暗証してしまっているから」


 ***


「――白と白と白の中、唐突に色が現れる
 深き谷の翁杉(おきなすぎ)
 枝々の重なりは幾万年
 その地が氷に閉ざされる遥か前よりそこにある――」 

「素敵な詩でしょ」

 話し掛けてから何テンポもおいて、隣のシュウはビクッと身体を揺らした。
 唱え終わったキオはもう、馬の歩調を緩めて馬車から離れてしまっている。

「キ、キオのお父さんとまで親しいんだ。初等の学校は別だったのに、ど、どういうきっかけ?」

「えっ……と……」 
 詩と言語の話になると思っていたネリは戸惑った。
 シュウのお母さんに言われた事なんか話せないし、ハルさんのお仕事は他言無用だし……
「たまたま、通りすがりに知り合ったのよ」

「何それ……」

「おおい、うちの義弟をアブナイヒトにしないでくれ」
 御者の叔父がおどけた感じで口を挟んだ。彼はキオの亡き母の兄。世話焼き好きの妻が、男やもめのハル宅へ度々お節介に行く間柄。
「ネリは確か、図書館でキオと仲良くなって訪ねて来たのが最初じゃなかったっけ」

「あ、うん、そうでした」
 ネリは慌てて返事をした。
 ハルさんが術を指導出来る事は、親戚にも内緒にしている。
 確かに、テオ叔父さん夫妻に他言無用ってのは無理っぽい。

「それであいつの蔵書にハマったんだよな。あいつも気を良くして、鍵を渡して留守の時でも勝手に書庫に入って読んでいい事にしてるって? 大したモンだ、俺なんざ文字を見ただけで眠くなっちまうのに」

「いえそんな、でも図書館には無いような書物が一杯で楽しいです」

 ここで隣のシュウは、更にピクピクと揺れた。

「あの、ネリ」
「なぁに?」

「さっきネリが言った『書物のある所なら何処でも勉強出来る』って、図書館だけでなく、キオの家も含まれてたりする?」

「うん、そちらの方がメインかな。難しくて、ゆっくりでしか読めない書物も一杯あるのよね」 

 のどかに答えてネリは、また革表紙の書物に目を落とす。
 隣の少年が口の中で「冗談じゃない」と呟いている事になどまったく気付かないで。




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登場人物紹介

ネリ: ♀ 草原の民 クリンゲルの街の中等学生 香辛料屋の娘。

歴史と書物が大好き。高所恐怖症、運動神経は壊滅的。

先頭に立ちたくないのに、誰も前に出ない時、仕方なく引き受けてしまう貧乏くじタイプ。

シュウ: ♂ 草原の民、クリンゲルの街の中等学生。貴族系富豪の一人息子。

学業優秀、理論派。一族の束縛に反抗心はあるが、家を守る義務感は持っている。

常にリーダーにおさまり、本人もそれが自然だと思っている。

ルッカ: ♂ 草原の民 クリンゲルの街の中等学生 シュウとは幼児からの親友。

蹴球(サッカー)小僧。大人にも子供にも好かれるコミュ力おばけ。

皆の接着剤的役割、そしてそれを自覚している。

キオ: ♂ 草原の民 クリンゲルの街の中等学生。町外れの牧場の子。

地味で無口。学校では空気のような存在。

一見気遣いタイプだが、己の信念はぜったいに曲げない。

チト: ?? 蒼の妖精 修練所の学生 ネリたちと同い年。

長様の執務室で小間遣いのバイト中。長さま大好き。

容姿が可愛い自覚あり。己の利点を最大限に生かして、賢く生きたいと思っている。

セレス・ペトゥル: ♂ 蒼の妖精 当代の蒼の長

長の血筋の家に生まれ、成るべくして蒼の長になった。実は一番面倒臭いヒト。 

ハールート: ♂ 草原の民 クリンゲルの街はずれの牧場主、キオの父親。

過去を洗うと埃と灰汁がバンバン出て来る闇歴史の持ち主。義理堅くはある。

キトロス博士: ♀ 三章『カラコーの遺跡にて』に登場。

考古学者。豪快で大雑把な現実主義者。

マミヤ: ♀ 『カラコーの遺跡にて』に登場。

キトロス博士の助手。この世のすべての基準がキトロス博士。


ツェルト族長: ♂ 『カラコーの遺跡にて』に登場。

キトロス博士の幼馴染。神経質でロマンチストな医者。

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