カラコーの大地図
文字数 2,052文字
煉瓦の平屋のキトロス博士宅、暴走トロッコのような初日の朝。
玄関に向かうネリは、途中の厨房で、管理人の老夫人がのろのろと皿を洗う後ろ姿を見た。
動きがかたつむりのよう。あれじゃいつ片付くか分からない。
(やっぱり手伝った方がいいのではないかしら)
それでも自分の今は、博士に付いて発掘現場に向かう事だ。
「あの、マミヤさん、荷物持ちま……」
最後まで言い終わらない内に、さっさと先に行かれてしまった。
目的地の史跡は同じ街の郊外にあるので、通いは徒歩だ。
長身の博士は大股でスタスタ歩く。
助手のマミヤはネリより頭半分背が高いだけなのに等身は全然違って、ネリの胸ぐらいに腰がある。当然歩幅も広くて、両肩に大荷物を掛けているのに博士と同じペースで歩いている。
ネリは自分の道具を背負って付いて行くだけで精一杯。確かにこれ以上荷物なんて持てなかった。
『カラコーの茶屋跡』は旧市街、今は使われていない廃屋群の一角にある。
五百年程前の比較的新しい遺跡だが、長年正確な所在が分からなかった。
何度かの災厄で市街図も記録も失われたせいだ。災厄の中には戦禍もあった。
廃墟で隠れ鬼をしていた子供が、剥がれた煉瓦の下に鮮やかな地図らしき絵を見付けた。
これは、文献にだけ残る商人たちの情報交換場所、『カラコー茶屋の大壁地図』じゃないのか? と、研究者界隈で大いに盛り上がった。
学者たちが注目している理由は、その時代はまだ「庶民の為の組織立った情報網」という概念が無かったからだ。
今では当たり前にある新聞やラジオの情報。そういうのを最初に欲したのは、各地を渡る旅人や商人だった。
「どこで事故があって道が寸断された」「どことどこが争(いさか)っているから今通るのは危ない」等の必要な情報は、それまで口伝てのあやふやな物だった。
それをカラコーという当時の豪商が、きちんと情報管理して各地に茶屋を置き、伝書鳩や早馬で連携を取って、どこでも安心して情報を得られるようにしたのだ。
出来てしまえば当たり前になるのだが、無い時には気付かないもので、そういう物って実は山ほどある。
正確な統計が残っている訳ではないが旅人の安全率は上がったろうし、文字を読める事の有利が浸透して識字率も上がったと言われている。
他の街の茶屋のあった場所は判明しているのだが、ここアウトへーベンの元祖、記念すべき一号店だけは不明だった。
それが見付かり、一番最初の壁地図が残っていると聞けば、研究者たちが踊り出すのも無理はない。
茶屋の他の部分は崩れているのに、その壁一枚だけはほぼ完璧に残っている。地図の前に煉瓦が積まれ、漆喰で頑丈に上塗りされていたからだ。
一次調査でどうやらドンピシャだと判明し、都会の中央学府から有名教授が責任者としてやって来てチームが組まれた。キトロス博士もその傘下だ。
今回は周囲の発掘と復元作業の為に、各地の学院にボランティアの募集も掛けられた。ネリはそちら経由。
五百年前にこの地の商人たちはどんな地図で旅をしていたのかな。どんな話をしていたのかな、どんなお茶を飲んで、何に笑って何に感動したのかな。ネリの興味は尽きない。
「ボランティアのヒトはこっち」
キトロス博士は採掘責任者にネリを軽く紹介した後、エライさんたちとの会議に行ってしまった。
ボランティアは十数人の学生風男女で、ネリが一番年下っぽい。昨日食堂で会った学生たちが過半数をしめている。固まってクスクス笑いをしているが、空気空気。
お仕事は、建物があった跡地の土や灰が堆積した土壌から、当時の細かい遺物を掘り出す作業。
貴重な大地図になんか勿論触らせて貰えない。そちらの復元は専門職がやる。その作業を間近で見られる事を、ネリは大いに楽しみにしている。
気が付くとマミヤもこちら側にいた。
「狭いな」
「えっ、はあ、そうですね」
ネリに割り振られた場所は、建物の柱と土台に囲われた、一人がしゃがむだけでやっとの縦穴だ。深さはネリの膝上位。
「ここ入れるの私ぐらいだからじゃないですかね。腹筋なくても役立つ事があって良かったです」
ちょっとは笑って欲しかったのだが、人形はニコリともせず、抱えていた鞄から布包みを出して突き出した。
(??)
開いてみると、細くてコンパクトな掘削道具一式。
「君の使っている柄の長い道具はその場所では効率が悪い」
「はい……」
ネリは目を丸くしてそれらをよく見た。既製品に手を加え、狭い空間で使いやすく改良してある。
マミヤは返事を待たずに自分の場所へ行ってしまった。彼女も細身だから狭い場所を割り当てられている。
ネリの為に使いやすい道具を譲ってくれたの? と思ったが、彼女も同じ物を使っている。要するにこんなケースを見越して、
二人分の道具を担いで来た
のだ。(お礼を、言おうかな、でも……)
一拍おいて考える。
『効率が悪いのが嫌いなだけだ』と冷たくあしらわれそう。
でも心が冷たい訳じゃない。ネリはこういうヒトを一人知っている。
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