第9話:元の時代に戻り結婚

文字数 1,803文字

 ふと先を見ると、さっきまで何も見えなかった壁に、裂け目が見え始め、それが徐々に大きくなるではないか、そこに吸い込まれるような感じがして、吸い寄せられるように、早足になった。自分の意識では制御できない感じになって、どんどんその裂け目に近づいていくと、どんどん意識が薄れてくる、どうしようと思っている内に、また、気絶してしまった。

 かなりの時間が過ぎたような気がして、回りがザワザワとして、次第に、意識が戻り始めるのを感じると、おい、起きろ、どうした、救急車を呼ぼうかなどと、聞こえてきて、ほっぺたを軽くたたかれて、意識が戻った。目を開けると、周りの人が驚いた様に、大丈夫かと言った。どうやらラッシュの時に、倒れ、通行人に踏まれそうになった様だ。

 駅の係員が担架も持って来て、それにのせて事務所に連れて行かれた。そして、君の名前は、通勤先は、年齢など、聞かれたが、覚えてないと言い、とにかく、気分が悪いと言うと、電話をかけ始めて、30分位して、担架で運ばれ、救急車に乗せられ、東京慈恵会医科大学病院の救急に運ばれた。そして多くの検査を受けて1時間位で完全に意識が戻ると事務で精算した。

 そして帰っても良いと言われた。そこで受付の大きな時計を見ると1978年9月25日午前10時25分。それを見て元に戻れたと安心し浦和の実家に帰ると何事もなかった様に昨晩は、徹夜で遊んだのか、どこに泊まったのかと聞かれたがホテルに泊まったと言うだけで、何も言わなかった。そして、今日は、埼玉銀行に電話して体調が悪いから休むと連絡した。

 その後も、長い付き合いが続き、1977年、徳川泰平は、既に5百万円を貯め、志保さんと結婚することに決めた。1977年4月26日、町の集会場を借りて、埼玉銀行の同僚や、親族16人で質素に結婚式をした。新婚旅行は宮崎と鹿児島へ4泊5日を計画して噴煙たなびく桜島を見たり指宿名物の砂風呂を体験し温泉を楽しんだ。

 その後、宮崎に入り焼き鳥を食べ宮崎駅から日南線で日南へ行き日南海岸を散歩し鵜戸神宮を参拝した。その後、北上して、青島の観光スポット「鬼の洗濯板」を見物して、海積・わたつみの祓い。山幸彦と豊玉姫が出会った場所といわれる「玉の井」という井戸で、人型の紙に自分の願いと住所、名前を書きます。

 水に浮かべる前に願い事を書いた紙に息を吹きかけて御神水器に浮かべます。龍の口から出る玉の井の水を手に取り、願い符にかけて流します。次は、「天の平瓮投げ・あめのひらかなげ」平瓮「ひらか」とは古くは吉凶を占うために用いられた土器の皿のこと。その土器の皿には、「祈」の文字が真ん中に刻まれており平瓮が磐境に入れば心願成就、割れれば開運厄除。

 天の平瓮を手に持って、磐境所の前で二礼し、小声で天の平瓮に願いを込めて磐境に向かって投げます。3番目は、産霊紙縒「むすびこより」元宮の近くにある夫婦ビロウにそれぞれの願いにあったこよりを結びます。この行為は、万物の始まりは結びの力から生じるということに由来する神事です。そして最後に青島海岸には幸福を表す色「黄色」で塗られた黄色いポスト。

 実際にポストの役割も果たしていて新婚さんが、これからの希望や願いを書いて自分宛に差し出し郵便ポストに入れるカップルも多かった。その手紙は宛先に配達される。新婚旅行から家に戻った。その後、今、志保さんと彼女の御両親と住んでいる築40年のすきま風の入る、古家から西浦和からバスで10分の家賃6万5千円の4LDKのマンションに引っ越した。

病んでいる母の斉藤茜さんには日当たりの良い南側6畳の洋室にベッドを入れて住んでもらい、父も同じ部屋にベッドを入れ、もう一つ6畳の和室を与えた。徳川泰平と奥さんも同じ様に寝室と和室2間を使い新婚生活を始めた。もちろん徳川泰平と奥さんも生活のために、当分の間、共働きをする事にして新生活が始まり泰平と志保さんが埼玉銀行へ出勤し真面目に仕事に励んだ。

 やがて梅雨になり7、8月の暑い夏を経て9月になり涼しい風が吹いてきた。1977年10月に奥さんの志保さんが妊娠し1978年4月26日予定日と知らされた。やがて1977年が終わり1978年を迎えた。その頃、奥さんのお腹が膨らんできて、家事も大変そうだった。 1978年1月に、620円でソニー株5千株、310万円で買え、残金が400万円となった。
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