第2話:浦和商業の後輩と仲良くなる 

文字数 1,750文字

 1975年を迎え、既に、埼玉銀行で働いて2年弱で貯めた50万円あったが、毎日、手弁当で埼玉銀行へ行き、ボーナスには手をつけずに増やしていき、1975年4月には、更に、50万円を返して、残金が40万となった。ちょうど、その頃、埼玉銀行で、一緒に銀行の毎日の入出金の検算をしてる斉藤志保さん20歳と仲良くなってた。

 自転車で秋が瀬公園に行ったり、電車で西武園遊園地に行ったりするようになり、仲良くなってきて、1975年10月には、斉藤さんの家の両親の斉藤友和さんと斉藤茜さんにお付き合いをしていると、挨拶に行った。斉藤さんの家では、お父さんが大工仕事中の怪我で無理が出来なくて、近くの商店の手伝いをした。母の茜さんは、リウマチで寝たり起きたりの生活で、斉藤志保さんが、炊事洗濯をして、苦労していた。

 1975年11月に、ソニー株が上昇して来て、11月4日に1380円で千株、売り指値を入れ、11月6日に売れて70万円の利益を手にし、夏のボーナスを入れて、泰平の資産が150万円となった。しかし、その苦労をみせずにけなげに生きてる姿に、徳川泰平が心打たれて、好きになっていった。

 そう言う事で、しばしば、徳川泰平が、夕飯のおかず、アジのフライや、さかなの刺身、天ぷら、コロッケ、メンチ、とんかつなどを差し入れしていた。やがて、1975年が終わり、1976年を迎えた。徳川泰平が、高田善平に、1976年1月6日一気に稼ぐ方法はないかと質問すると1つだけあると言い、それは、日本株で儲ける事だと教えた。

 もし、大金を得たら国債、公社債、準国債の3-7%の利率のものを買って一生安泰という方法もあると教えた。その後、休みの日は、株、為替、商品の本を国会図書館に行き、読み、興味のある本は、実際に購入して勉強した。1976年1月13日に、投資の勉強のため、泰平は、国会図書館へと向かった。今まで、数回、行ったことのある国会図書館へ、東京駅から皇居を散歩しながら国会図書館をめざすことにした。

 東京駅で降りてホームを歩くと、工事の看板が出てないのに、ホームの壁に穴がみえた。しかし、おかしな事に回りを歩いてる人が、立ち止まったりする人がいない、泰平が、変だなと思い、その穴に、急に興味を持ち探検したくなった。
「まるで吸い込まれるようにして壁の穴の前に行くと。カビの様な不思議な臭いがした」

「湿った穴の中に入ると雨漏りがして水滴の様な物が自分の頭に落ちた」
「すると、頭がぼーっとして、まるで貧血の様な立ち眩みで倒れた」
「しばらくして、気が付くと、ずーっと先に、小さな明かりが見えてた」
「多分あれが出口だろうと思い、速足で、その出口と思しき場所へ走った」
「出口をくぐると突然、また、激しいめまいに襲われて、再び、倒れた」

「少しして、おいどうしたと呼びかける声で意識がもどった」
「すると黒い学生服の男が多く何か服装に違和感を覚えた」
「改札を出ようとすると自動改札機がない」
「改札でうろうろしてると駅員が来て、切符を見せろと大声で言った」

「切符を見せると裏側が真っ黒なのを見て偽造したのかと大声で怒鳴った」
「どこから乗ったと言うの浦和というと確かに浦和と印刷してあると告げた」
「240円、払えと言ったが、財布を落としたと言い訳をした」
「しょうがない奴だなと言い、今度からは、ちゃんと切符を買えよ」
と言い、その駅員が。改札を通してくれた。

「大通りに出るとお昼過ぎで大きな電器屋さんの前で人だかりが出来ていた」
「そこで、画面を見ると字幕に米軍の北爆開始と書いてありあった」
「大きな爆撃機がら大量の爆弾がジャングルに投下され火柱が上がっていた」
「その生々しい光景が映し出された」
「これで、ベトナム戦争は、激化して長引くぞとか言う声があがった」
「そして見ている人達が沈痛な顔し後ろの通りをサラリーマンが歩いていた」。

「その時、徳川泰平が『とぼけて、今日は、いつでしたっけ』と隣の人に聞くいた」
「すると兄ちゃん、しっかりしろよ、酔ってのかと言われた」
「今日は、1965年2月10日だと答えてくれた」
「電器屋でテレビ放送を見ていた中で40台歳と思しき紳士Aが声をかけた」
「徳川泰平を見て、兄ちゃん格好良い服を着てるねと話しかけて来た」
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