第11話:株投資と子供達と旅行

文字数 1,681文字

 やがて、1981年の年末になり、注目していたソニー株が安くなり、年が明けた1982年1月8日に、ソニ-株1350円で4千株を540万円で買い、残金が160万円となった。 1982年3月には、長男の太郎が、近くの保育園に入園し、毎朝マイクロバスが迎えに来る様になり、元気に出かけた。その後も、泰平も家事を手伝い、家族みんなで、子育てを応援した。

 やがて夏になり、日曜日には、風呂場で、太郎と、一美を行水させると、子供達は大喜びではしゃいでいた。1982年秋の気配がすると、一気に紅葉、冬へ進み、やがて、1982年が終わり、1983年を迎えた。泰平と志保が結婚式を挙げた立川の諏訪神社に、初詣に行き、家内安全と子供が元気に育つようにお願いしてきた。

 1983年3月に、また、志保さんが、食べた物をもどしたので、茜さんと、近くの産婦人科に行くと、妊娠が判明し、1983年9月5日が予定日だとわかった。その後、適度な運動として、子供達と散歩した。暑いに夏は、妊婦にとって、汗だくの辛い時期らしく、志保さんが、ふーふー言いながら、家事をしていた。その後、1983年9月3日に産婦人科に入院。

 9月5日に、男の子を出産に、名前を止夫と命名した。これで、打ち止めと言うシャレを入れた名前だった。やがて、秋風が吹き、小さい子供がいるので、遠出できず、近くを散歩していた。そうして1983年も終わり、1984年を迎えた。1984年4月に、長男の太郎が、近くの小学校へ入学して、集団登校の先輩達に連れられて、小学校に出かけるようになった。

 また、長女の一美ちゃんが、太郎の通った保育園に入園して、出かけるようになったが、母と別れるのが辛くで、最初の1ヶ月は、泣いての登園する日が続いたが2週間もすると、慣れて泣かなくなった。その他、子育てで忙しい年で、特に近場で過ごした1年だった。そして、足早に過ぎ、1985年を迎えた。春には、石神井公園、大泉公園に出かけて散歩した。


 夏は豊島園プールや西武園のプールへ一美ちゃんと太郎を連れて出かけて、志保と、泰平と茜おばあちゃんが、子供を見ていて、自宅に帰ってくるとぐったりして早く床についた。1985年6月にソニー株を2100円で、4千株売り、239万円の純利益となり残金が800万円となった。秋風が吹き、冬を迎えると、1985年が去り1986年となった。

 1986年4月から、お兄ちゃんが通う近くの小学校へ妹の一美が通い始めた。お兄ちゃんと一緒の通学で泣かず一緒に楽しそうに出かけた。今年の夏はハイエースに7人のせて、夏休みに、清里から小淵沢、富士見高原、茅野、蓼科を2泊3日で避暑旅行に出かけて、高原の湖でボートに乗ったり、高原の牧場で牛を見たりして、多くの想い出と写真を撮って帰ってきた。

 10月は、八ヶ岳の麓で、一足早い紅葉を眺めて、近くの温泉ホテルに1泊して、帰って来た。やがて秋になり、今年は、箱根、熱海、伊東、湯河原と、10月、11月に2回、温泉旅行に出かけて、温泉と、魚料理を堪能して帰ってきた。やがて冬、1986年も足早に去り、1987年を迎えた。1987年の春は、熱海梅祭りに出かけた。

 1987年3月8日にソニ-株1200円で5千株を600万円で買い、残金が200万円となった。その後、河津桜の花見、4月に山梨の桃の花を見に出かけ、夏には、豊島園プールに出かけ、西武園のプールで泳ぎ、秋には、橫浜へ行き、山下公園、中華街で食事を撮って帰ってきた。冬は、今年は、群馬の猿ヶ京温泉に出かけて、ゆっくりとしてきた。

 やがて1987年が去り、1988年となった。1988年は、冬に、ハイエースで房総半島の菜の花を見に出かけて、鴨川シーワールドを最初に見て、鴨川の温泉ホテル三日月・鴨川に泊まって、バイキング料理を食べた。

 その翌日、お花畑に咲く、黄色い菜の花を見てから帰路についた。その後、7月には、上越高速で、新潟へ行き、生きの良いイカを堪能して帰って来た。イカが、あんなに甘いとは、気がつかない程、甘味のあるイカだった。
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