第35話:リーマンショクと一美の挫折

文字数 1,696文字

 日本は長引く不景気からサブプライムローン関連債権などにはあまり手を出していなかったため、金融会社では大和生命保険が倒産し農林中央金庫が大幅な評価損を被ったが、直接的な影響は軽微。しかし、リーマン・ショックを境に世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込み、金融不安で各種通貨から急速なアメリカ合衆国ドルの下落が進んだ。

 アメリカ合衆国の経済への依存が強い輸出産業から大きなダメージで結果的に日本経済の大幅な景気後退へも繋がっていった。2008年10月1日、突然、アメリカに住む、長女、一美から日本に戻るとメールが入った。最初、仕事が順調に成長し会社の資産も増えていた。しかし、同じ会社の社長が、バフェットさんをまねて有望な会社に投資をしてサブプライムローンにも手を出して、大きな赤字を出した。

 その結果、退職金なしで会社を閉鎖する事になり会社の株券も、ただの紙切れになり一美が個人的に4年間で貯めた預金1千万円だけになり日本に帰ってくると言う。泰平は了解したとメールを返した。10月4日、埼玉の泰平の家に帰って来て一美は今迄の仕事の事を話し頑張ってきたと雄弁に話したが母の志保さんが、抱きしめて頭をなでると急に泣き出し大声で泣き続けた。

 多分、負けず嫌いの一美にとって人生で最初の挫折を感じて自分の無力さに腹が立ったのだろう。やはり人生は理屈より感情の方が勝つ。そして成功したり失敗して一文無しになるのだと、泰平も身にしみて感じた。やがて泣き止んだ。一美に泰平が俺も会社を早期退社したと言い、その理由を話すと、やっと笑顔をもどして、お父さんも、失敗したんだと安心したように言った。

 人生って勝ったり負けたり、だからスリルがあり努力するのじゃないかと言い含めると、そうだねと以前の一美に戻って両親は安心した。そして泰平が俺がやってる「肇の一歩」という会社の仕事をしないかと言った。給料は月12万円、最も食費もアパート代金も無料だがと言うと、みんなで大笑いした。すると一美が両親に、お世話になります一生懸命仕事しますと言った。

 その後、一美を採用。泰平は「肇の一歩」の事務局の衣川幸恵さんに徳川一美を会わせて仕事の分担を話し会って下さいとお願いし仕事の仕方や指導を宜しくおねがしますと衣川幸恵さんに言うと、わかりましたと答えてくれた。その後、泰平が一美に日本株投資を教えてあげるからと、SBI証券に口座を開く事と、自分でも本を買って勉強しておきなさいと告げた。

 投資資金として1千万円を一美の口座に振り込んだ。その頃、徳川泰平は、日本株で大きく下げた所を買おうと虎視眈々と狙っていた。すると11月に入りソフトバンクが大きく値を下げてきて11月10日、2350円で20万株を4.7億円で買い注文を入れ、ちょうど同じタイミングで、一美に2350円で4千株買いを入れろ指示した。

 2008年11月11日2350円でソフトバンク株を買えた。そして2009年となった。初詣でに出かけ一美の立ち直りと家族全員の健康をお願いして帰って来た。日本経済も世界経済も2009年になってもリーマンショックの後遺症から抜け出せないでいた。2009年の4月になり気分転換に山梨へ義理の両親と一美を入れて5人で1泊2日の旅行に出かけた。

 御坂の桃の花と石和温泉の近くの桜温泉通りの桜を観賞して石和温泉に一泊して帰って来た。一美が日本の花はきれいだと言いアメリカでは絶対に見られないと大喜びした。その後、5月の連休は西武園遊園地や立川昭和記念公園の花を見に出かけた。この夏は猛暑で義理の両親と一美の5人で今度は箱根に行き芦ノ湖の遊覧船に乗って、箱根湯本の温泉に泊まって帰って来た。

 その後、2009年12月27日に、ソフトバンクが大きく値を上げたので6000円で20万株を12億円で売り、税引き後、純利益5.8億円を得た。一美の税引き後純利益が1166万円となった。一美の資産が3166万円となった。泰平の利益のうち4.8億円を「肇の一歩」の資金として恵まれない子供達のためのNPOや、その子供達に文房具や必要な物を買い送った。
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