第22話:須賀川肇の昔の記憶

文字数 1,639文字

その後、もう一度、いい直して下さいと言った。すると、その男が、作り笑いを浮かべて、M社のファンドの解約書類にサインいただきまして誠にありがとうございます、何か誤解されておられた様で、不快な感じを抱かせてしまい申し訳ありませんと頭を下げた。すると、支店長が、そう、やれば出来るじゃ無いと、彼の肩をたたいた。

 そして、支店を出て、歩きながら、徳川泰平が、銀行って、化けの皮がはがれると、みんなこんなものさと言い、多分2-3年で、この銀行も、日本での個人投資業務から、外されるかも知れません、いや、絶対に外されると言った。高田善平さんが、高い授業料だったが、良い勉強になったと苦虫をかみつぶした様な表情で言った。投資、銀行と人間の欲の部分と銀行の収益第一主義の裏の部分を見せつけられた。

 安田達夫の建てた家が、以前、近くの市営住宅や雇用促進住宅の子供達の格好の遊び場で、かつての納屋が、子供の隠れ家だったと、昔、遊んだという若者から聞かされた。その後も、小さな子供が、安田家の庭で遊んで良いかと聞くので、了解し、自由に遊んでいた。たまに、3時のおやつを出してやると、大喜びで、こんな旨いもの、食べたことがないよと、みすぼらしい格好の子供とみる度に、志保さんが、可哀想にと思っていた。

 そんな時には、志保さんが、サツマイモをいっぱい、ふかして、彼らに食べさせていた。最近この話が、埼玉県内で話題になって、公民館、自治会館を午後、解放して、大人2人くらいで、見守って、食事を提供し始めた。あの須賀川肇さんも、自宅で、食事を提供したり、恵まれない子供のための基金を作ったと耳にした。

 その後、2005年6月の梅雨の時期に、突然、須賀川肇さんから電話が入り、おりいって、話がしたいと言われ、大宮の駅ビルの正直飯店という中華料理屋で待ち合わせることになった。出かけて見ると、白髪の紳士、須賀川肇さんが手招きして、個室に入った。ゆっくり、高級中華料理のフルコースを食べながら、話をしようと言った。徳川泰平が、ご用件はと聞くと、そうあわてなんさんなと言った。

 最初に前菜が出て、ゆっくり食べながら、紹興酒飲むだろと言って、お猪口に注いでくれた。そして再会に乾杯と言った。えー、再会ですってと泰平が聞き直すと、そうだ、再会だと言い、1974年9月のまだ暑い昼間、地下鉄の大手町駅を出た所の大きな電器屋のテレビの前で始めた会った。その時、聞いた言葉を思い出したと言った。

 あなたが、私に、これから話すことを、必ず守ることを約束させた。
「1つ、親にも、他人にも、絶対に人のしゃべらない」
「2つ、あなたの指示に従う」
「3つ、手渡す資料について、親兄弟、他人に絶対に渡さない」

 これが実行できれば大金持ちになれると言ったので、その約束を守り、もらった資料を頼りに、投資をすると数年で大金持ちになった。生涯で、こんな不思議な体験をしたのは始めて、最初、信じられなかったが現実にお金が入ってきたので驚いた。そして最後の約束、「もし儲かったら、地域のために、援助を惜しまないで下さい」を忠実に守ったと語った。

 徳川泰平が、とぼけて何の話か良く理解できませんと答えると、それを認めても認めなくても、それは構わないと笑いながら言った。ただね恩人に恩返しする位の良心は残っているから、お礼の金として1億円を君と君の家族の口座に定期的に振り込むから口座番号を教えてくれと言われた。待って下さい、ありがたいお話ですが、今すぐに、お返事できませんと言った。

 すると、これからも他人に秘密にして、ここで定期的に会いたいと言い、これからの投資についてのアドバイスも聞きたいと言ったので、わかりましたと告げた。毎月、第二土曜日の11時に、ここで集まろうと言ったので、泰平は、了解しましたと答えた。その後、志保さんと、義理の両親に挨拶に行き、お陰様で元気で幸せに暮らしていますとお礼を言った。私たちにも幸運が舞い込んで投資で成功した。
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