第29話:慈善事業とカリブクルーズ

文字数 1,644文字

 冬は、毎年1回、車で早朝に出発し南房総で、お花畑を見て黄色の菜の花を写真に撮り、地元の旨い魚を食べさせてくれる海辺のレストランに入って食べた。房総は埼玉に比べ間違いなく暖かく快適だ。やがて2007年が終わり2008年を迎えた。2008年1月10日、埼玉県庁から電話があり1月12日、10時から子供の貧困対策会議が第3会議室で開かれる。

 それに出席するようにと連絡があったと事務の衣川幸恵さんから言われた。当日は徳川泰平と志保さんの2人で出席した。会場には50人ほど集まっていた。最初に県の福祉課の斉藤課長が、近、子供の貧困問題が日本でも大きな話題となり埼玉県でも、さいたま市周辺に市営団地、県営団地があり、その他、シングルマザーが多く住む、地域で、特に食事に困る家庭の問題が取り上げられた。
 以前から、いくつかの民間の慈善事業団体、埼玉県、さいたま市の公営の施設でNPOが食事会を開いたり新婚家庭への支援の手を差し伸べているが、それぞれ、小さな団体から自治体、NPOなどを一括して効率の良い支援活動をしくために第1回として皆様に集まっていただきたと思い開催したと宣言した。その後、分科会に出席し支援団体の紹介と挨拶が始まった。

「肇の一歩」の代表として徳川泰平が挨拶して今迄の支援内容を紹介し終わると質疑応答となった。するとNPOの人から何故NPOの届け出をしないのかと言われて前会長の須賀川肇さんから、その点は聞いて言いないと答え投資の純利益を10%を拠出して、近くの集会場でのこども食堂や、支援する団体の支援金として拠出していると言った。

 多分、前会長が高齢でNPOの知識がないためでしょうと言い私も自分の投資や自分の生活でいっぱいなのでNPOやこども食堂の食料資金援助で良いと考えてますと言った。確かに支援してもらうNPOとしては紐付きでもないし自由に使える資金なので本当にありがたいと思っていますと言われた。

 そして、これからも宜しくと言われた。その後、他のNPOの行動や上部機関、さいたま市、埼玉県の福祉課の考えも聞けて参考になった。一方、2008年3月、ホンダジェットの販売をカナダ、メキシコに拡大、5月、ついに欧州での販売も開始した。2008年から、福祉事業「肇の一歩」の寄付金を年間稼ぐために日本株投資を2008年から再開した。

 その後、2008年4月12日、成田空港16時半発ヒューストン14半に到着し、ヒューストン空港近くのホテルに宿泊してガルベストン・エクスプレスを朝10時に予約してガルベストン港へ100分で35ドル。12時前に到着して13時から乗船手続きして乗船して14時過ぎに部屋に入ると指定された救命ボートの所へ行き避難訓練するように放送されて訓練をした。

 その後、16時過ぎにガルベストン港を離れた。レストランのスタッフもインドネシアの方々でしたが、カタコト英語の私たちにも臆せず、あれやこれやと話しかけてくれました。レストランは2人・4人席等小さめのテーブルが多かった印象です。船の乗客は、ほとんどアメリカ人だった。カジュアルクルーズの中でも、飛び切り庶民的で、ドレスコードはなかった。

 フォーマルデーがなかったので洋服が少なくて助かった1日目は終日、洋上クルーズ。前にショッピングモールが、ある程度で小さな町で、キーウエストの歴史・芸術博物館を見学した。アメリカ最南端の標までは街中から徒歩20分位。この日は曇りで暑くなかったので無理なく歩けた。4日目はフリーポート・バハマに8時に到着した。

 そこで現地のフリードリンクツアーに参加しビーチに着いたら、まず全員集合で説明を聞き説明が終わったら早い者勝ちでビーチチェアを陣取る。スタッフの方が注文を聞きに歩き回ってるので声を掛けます。プラスチックコップですが、ビール・ワインやカクテル3種、ソフトドリンクもありです。いわゆるプライベートビーチでの日光浴だった。13時過ぎにバスで船に戻り、17時出港した。
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