第41話:福島原発事故と一美の結婚、出産

文字数 1,667文字

 その後、福島第一原発事故の報道がでて、放射能の不安が広がった。翌日、3月12日には、遠く離れた、長野県栄村で震度6の大地震が起きた。とても厭世的な気分になってしまった。しかし、立ち直らねばと、徳川泰平は、近くの徳川の分家の人達を見舞いに回った。幸いな事に、大きな被害はなくすんだ。その後、復興のために「肇の一歩」は寄付金を全て東北大震災の復興のため、特に震災孤児、遺児のために寄付しようと考えた。
 
 寄付先が、どんな団体なのか電話して確認しながら寄付活動を開始。そして、父の徳川真一に、その話をすると俺の資産から5億円出すと言い泰平も5億円出し計10億円を震災、孤児、遺児のために関係団体へ送ることを決めた。さらに埼玉県のNPOなどに呼びかけ東北大震災基金を設立して募金活動を開始して必要な文房具を集めて送った。その後、徳川泰平が、また未来の株価データを活用して投資活動を始めた。

 この活動では電話で応対する長女の一美と衣川幸恵さんが多くの電話を受けて、良い働きをしてくれた。そんなことで2011年は大変な年で今迄、経験したことのない原子力発電所の電力がゼロという事態が起きて当初、日本の電力供給大丈夫なのかと随分心配された。そのため首都圏で計画停電なども行われたが、後から考えてみると政治家の一種のパフォーマンスのような気がしてならない、その後も電力供給については全く問題なかった。

 人によっては、このまま原発なしで、ずーっと行こうよと言う気運も高まった来たのは間違いない事実だった。10月2日、突然、長女の一美が同棲相手の矢島泰造さんをつれて家にやってきて結婚したいと話した。そして一美が子供を宿して妊娠5ヶ月で予定日が2012年3月10日だと教えてくれた。今年の9月から東京の小さな貿易会社に就職して、海外との連絡、交渉の仕事を得たと話した。

 この話を聞いて志保さんが大喜びして、それはめでたいと破顔一笑になった。くれぐれも身体を大切にと言い何かあったら気軽に、この家に来て良いからねと志保さんが言った。すると一美が、そんな、お母さんの優しさが大好きよと志保さんに抱き付いて泣いた。それを見ていた泰平が孫か、待ち遠しいなーと、うれしそーに言った。そうして、帰っていった。

 やがて秋を迎え東北大震災後も株価が下がれば買う姿勢で株価を注視し11月22日に2340円で20万株買い指値を入れた。その後11月24日にトヨタ株20万株を4.68億円で購入出来た。そして悪夢の2011年が終わりを告げ、2012年が空け、今度はソフトバンク株が下げ足を早めたので、2012年1月17日に、2060円で20万株、買い指値を入れた。

 その後1月19日にソフトバンク株を20万株を4.12億円で購入出来た。今年は、非常に雪が多く、2月1~3日にかけて青森県酸ヶ湯温泉で439cmと平年の2倍の雪が降った。秋田県仙北市の玉川温泉近くで雪崩が発生、湯治客の男女3人が死亡。青森県の国道279号線で大型車が坂道を上れず道を塞ぎ、一時車4百台が立ち往生と大雪の影響が東北中心に出た。

 2月27日、長女の一美から電話で、明日から、そちらで世話になりたいと言ってきたので、了解した。当日、泰平と志保さんが、駅まで、車で迎えに行くと、一美と矢島泰造君がいて、車ののせ、家へ向かった。そうして、和室を提供して、ここで生活しなさいと言い、陣痛が来たら、産婦人科病院へ車で送るからねと言った。そうして、4人、一緒に昼食をとって、矢島泰造君が帰っていった。

 3月9日の早朝、一美が、陣痛が来たようで、痛いと言いだして、産婦人科病院に電話をして、入院セットを持って、送り届け、入院となった。その翌日、2012年3月10日、朝10時に、無事、男の子が誕生したと連絡が入った。早速、志保さんと泰平が病院に行き、長男の男の子に対面した。すると泰平が、「志保さんに似ているね」と言うと、そうかしらと言いながら、満足そうに笑った。その後、一美さんの長男は、矢島一郎と名付けられた。
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