第19話 特攻を決意させたもの

文字数 2,379文字

「多くの機は敵艦に近づくことさえ出来ず、撃ち落とされていったのです。己の命を捨てて特攻を掛ける若者たちを、僕は導くことができなかった。どんなに悔しかったことか、どんなにか無念だったことか。命を捨てて出撃したのに、撃ち落とされ海に突っ込んでいったのです」

「しかしそれは──ある程度はやむを得ないというか……」
「特攻に成功できる機というのは実に少ない。本格化されてから、敵空母を沈めた特攻機は未だにありません。それはおっしゃるとおりなのですが──掩護機(えんごき)のパイロットとして申し訳が立たないのです」

「だから、自らが飛ぼうと?」
「はい。そのひとたちの無念をも背負って飛ぼうと、そう決めました。もちろん止められましたが、僕が言い出したら聞かないことはみんな知っています」

 言葉が捜せないのか、穴沢は小さく何度も頷いた。
 明日死ぬ男と近日中に死ぬ男。様々な思いをのせて静かな時間が流れた。



「ところで、もう遺書はお書きですか」鳴海は片肘で起き上がった。
「はい。拙いものですが書きました」穴沢は照れるように両手で腿を叩き、撫でさすった。

「智恵子さんの心にも届くでしょう」
「え?」驚きで目が見開かれた。
「中尉にお話ししましたでしょうか?」しくじったか。確かに、杉浦が知っていてはおかしいのだ。

「ちゃんとお話しするのは初めてですが」どぎまぎとするその様子は、やはりまだ23歳の若者だった。

 鳴海はその手紙の内容を知っている。あれはどう考えても検閲に引っかかるだろう。だとするなら、軍事郵便ではなく外部から普通郵便で送られたはずだ。だからこそ届いた。あの手紙には、間違いなくあの子たちが関わっている。

「あの子たちに頼んだんですね」
「あぁ、そういうことですか」穴沢は恥ずかしそうに俯いて笑った。

「はい、その手紙を隠すように胸に抱き、必ずやと(まなじり)を決していました。ここからはどんな文書も持ち出せないのですからね。あの子たちは命がけの軍規破りをやってくれました」

「学生時代からのおつきあいだったとか」
「それも耳に入りましたか」頭をかく仕草をしかけたが、軍人としてふさわしくないと感じたのか、その手を止めた。

「ええ、中央大学に通っていた頃で、かれこれ4年になります」
「そうでしたか。心残りもさまざまおありでしょう──しかし、我々に残されている道は突撃だけです」
「そうですね」穴沢は重く頷いた。

「穴沢さんは一式三型の隼でしたね」
「はい」
「飛行機にはそもそも浮力があります。けれど、爆弾に浮力はありません。ですから飛行機での特攻は高高度から放たれた爆弾のような衝撃力は生まないということになります。特に隼は急降下でも浮き加減になる機です。低く低くを心がけた方がいいと思います。ただ、250キロ爆弾を積んで飛んだ経験は僕もないので、参考になるかどうかは分かりませんが」
「ありがとうございます」
「僕も必ず後に続きますから、焦らずひるまず突撃して下さい」



穴沢利夫大尉遺書(戦死で二階級特進)出身地 福島県 喜多方市

「婚約者への遺言」

二人で力を合わせてつとめてきたがついに実を結ばずに終わった。

希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”ということが実現して(しま)ったのである。

去年十日、楽しみの日を胸に描きながら池袋の駅で別れたが、帰隊直後、我が隊を直接取り巻く状況は急転した。発信は当分禁止された。転々と所を変えつつ多忙の毎日を送った。そして今、晴の出撃の日を迎えたのである。

便りを書き()い、書く事はうんとある。

然し、そのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもないことを知る。あなたのご両親、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。至らぬ自分にかけて下さったご親切、全く月並みの御礼の言葉では済み切れぬけれど、「ありがとうございました」と最後の純一なる心底から言っておきます。

今は(いたずら)に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれる事を信じる。しかし、それとは別個に婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って征きたい。

「あなたの幸せを望ふ以外に何物もない」
(いたず)らに過去の少義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない」
「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと」
「あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ、穴沢は現実の世界にはもう存在しない」

極めて抽象的に流れたかも知れぬが、将来に生起する具体的な場面場面に活かしてくれる様、自分勝手な一方的な言葉ではないつもりである。純客観的な立場に立って言うのである。
当地は既に桜も散り果てた。
大好きな嫩葉(わかば)の候がここへは直きに訪れることだろう。

今更何を言うかと自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言ってみたい。

1、読みたい本「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

2、観たい画「ラファエル 聖母子像」「芳崖 非母観音」

3、智恵子。会ひ()い。.話し()い。無性に。

今後は明るく朗らかに。自分も負けずに朗らかに笑って往く。
利夫
智恵子様
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