第46話 衝撃

文字数 1,415文字

 額に衝撃を受けた。焦点を結び始めた視界に手の甲が見えた。指を動かしてみる。自分の手だ。握っているのは黒い輪っか。

 頭を起こして顔を離す。熊⁉
 ビクリと両手と体を引いた。いや──違う。

 覚醒していく意識はその実体を捉えた。目玉に見えたのはメーターで輪郭に見えたのはハンドルだ。鳴海は顔を上げて前方を見つめた。そこに広がるのは白い世界だった。視線を動かすとルームミラーが見えた。



 アウトバックの中だ。
 どこだここは⁉
 右を見た。左を見た。そしてインパネの中央のデジタル時計を見た。
 8:38
 8時38分─8時38分──。

 娘のすみれは死んだ。妻の早紀は意識不明。いや、助かったと医師が──いや、会ったんだ。確かに会った。
 今日は何曜日だろう?

 すみれは死んだ。
 病院、病院──いつ、病院から戻ったんだ?

 お葬式──すみれのお葬式。
 ──あげてはいない。



 ここはどこだ? 鳴海はハンドルにもたれかかるように外の景色を眺めた。振り返ると右後方に山が見える。ということは、職場の近くだ。

 飲み込めない。この身に起こっているあらゆる事態が理解できない。
 帰らなければ。家に戻らなければ。それだけが鳴海の体を突き動かした。

 ギアチェンジした鳴海は狂ったように右ハンドルを切り、車をUターンさせた。
 今日は何日だ。インパネを見ても外気温と燃費と時間しか分からない。

 赤信号で並んだミニキャブの助手席の男に、ウィンドウを下ろして声を掛ける。
「すみません! 今日は、今日は何曜日ですか!?
 気づいた男がウィンドウを下ろした。

「あ?」
「すみません、今日は何曜日ですか?!」
「今日かい? 今日は土曜だよ」
「えーと、2月の……」
「22日だよ。寝ぼけちまったか」気のよさそうな中年の男は、うひゃっと笑い、雪は止んで昼から晴れるよ、と付け加えた。

「どうもありがとう」
 青信号に変わるやいなや、鳴海はアクセルを踏んだ。



 気が(はや)る。ハンドルを持つ手が震える。けれど、焦ってはいけない。車間距離を保て。急ブレーキになる状況はアウトだ。弱いブレーキを繰り返す。落ち着け落ち着け。
 鳴海は自分に言い聞かせながらアウトバックを操った。

 たどり着いた家の駐車場には、早紀のフォレスターが止まっていた。背筋を悪寒が這い上る。

 早紀とすみれが、再び倒れているのか。胃袋がドロドロと溶けていくような感覚に襲われる。

 悪夢だ。目だけが意志を持ち、射貫くようにフォレスターを見つめた。

 ビニール袋に硬貨を入れてスナップを効かせて振り抜けば、車のガラスは割れる。しかし、袋の持ち合わせがない。

 金槌、金槌、はたして金槌で車のガラスが割れるだろうか。そうだ、ドライバーを当てて金槌で叩けば割れるかもしれない。
 工具箱は玄関の靴箱の中だ。

 鳴海はアウトバックを出て、積もる雪の中を走り出した。二人の名を呼び、言葉にならない唸り声を張り上げて走った。

 と、そのときだった。玄関のドアが唐突に開いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み