第41話 残酷な偽り

文字数 631文字

「すみれの様子はどうですか? 寂しがっていませんか?」
 こちらを見る妻の目を正視することに、強い躊躇(ためら)いを覚える。しかし、アイコンタクトを避けていては嘘を見抜かれてしまうだろう。

「おまえだってまだ回復していないんだから焦ることはない。心を穏やかに治療に専念しなさい。今は回復することが一番大事だ」
「そうね……」

 納得はしていないだろう。しかし、すみれの様子など伝えようもない。早紀は窓の外に顔を向けた。

「こんなことがなければ、今日はスーパーのゲームコーナーで遊ぶ日だったのにね」誰にともなく、呟くように、早紀が口にした。



「来週は行けるのかしら」
 鳴海は言葉に詰まり、思わず俯き加減になる。これ以上、嘘はつきたくなかった。けれど、今はまだ真実は語れない。せめて治療が終わるまでは早紀の心を潰してはならない。

 しかしこれは、言葉にしていなくても、いや、していないからこその立派な嘘。
 それも、優しさの欠片もない、残酷な偽り。

 早紀はきっと、すみれの死も知らずに発した自らの言葉を、悲しみと共に反芻(はんすう)するだろう。己を(とが)めるように、幾度も幾度も。

 思い浮かべたスーパーでの景色も、すみれの笑顔も、来週はいけるのかしらの言葉も、彼女をナイフのように切り刻む。

 すみれは斎場に搬送された。明日は焼かれて小さな骨片になる。
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