第40話 空襲警報

文字数 1,250文字

 警戒警報もなく、いきなり空襲警報が鳴り響いた。驚いた佐智は空を仰いだ。4月の知覧の空は今日も青く広がっている。

 特攻機を掩護(えんご)する飛行隊員たちが、戦闘機を格納してある掩体壕(えんたいごう)に走る。しかし、すでに無理だと判断した様子で、宙をにらんだまま動きを止めた。邀撃(ようげき)は諦めたようだ。

「佐智! はよ逃げんな!」遠くから呼ばわる声に、佐智は弾かれたように走り出した。

 日本軍の飛行機とは違う、腹に響く熊ん蜂のような音。米軍の艦載機だ。佐智は身を隠す場所を目指してまっしぐらに走った。

 音が近い。走りながら見上げると、ずんぐりむっくりとした機体の群れ。グラマンF6Fヘルキャットだ。



 杉浦さんが教えてくれたことがある。無敵を誇った海軍の零戦も陸軍の隼ももはや時代に取り残され、F6Fとまともに闘えた戦闘機は、零戦の後継機として開発された紫電改(しでんかい)ぐらいだったと。彼らはすでに日本軍の戦闘機を()めきっていた。

 キーンという耳障りな音がしてくる。急上昇の音とは明らかに違う、急降下音だ。

 足がついていかず前のめりに倒れて、額を思いきり地面に打ち付けた。手を突き、膝を立て、起き上がって走った。恐怖で膝に力が入らない。

 掩体壕(えんたいごう)では整備兵が、こっちへ逃げてこいとばかり、腕招きをする。
 近くに爆弾が落ちた場合でも、その破片や爆風から戦闘機を守るため、4メートルほどの土塁をコの字型に積んだ掩体壕は、まさに特攻に向かう杉浦さんの隼の偽装を外した場所だった。

「走れ、走れ!」整備兵の声が励ます。
 足がもつれて、また転んだ。耳をつんざくほどの轟音。近すぎる。立ち上がったが、息が上がり足が()えたように言うことをきかない。

「やっせん!」
 腿を両手で叩いて足を踏み出したが、もう走れなかった。足が、動かない。

 背後に機銃の音が迫る。
 標的が大きくなるから伏せてはいけないことなど知っている。それでも佐智は体を縮めるように伏せた。
「伏せちゃダメだ! 走れ走れ走れ!」整備兵の悲鳴に近い声がする。

 杉浦さんは言った。佐智、スカートが捌ける時代がもうじき戻ってくるよ、と。
 もんぺじゃなくて、またスカートが捌ける時代がね。
 僕の母は体を悪くして、僕以降に子供を産むことはなかった。だから佐智をとても可愛く思う。

 右前方からすさまじい土煙が迫ってきた。グラマンの機銃掃射だ。

 佐智、誰の命にも時間の制限がある。その時間がいつ訪れても悔いの無いように、これからも精一杯生きなさい。僕の分まで。

 睨みつけるように空を見ると、グラマンを操縦する米兵の顔が見えた。顔を真っ赤にした赤鬼。

「杉浦さん、佐智はもう、助からんごたっ!」
 背中に熱い衝撃を受けた。胴体が勝手に弾む。鼻先で、息が土埃をかすかに震わせた。
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