第29話 心の琴線

文字数 975文字

 到着してくる特攻兵士たちは皆若かった。そんな中、杉浦中尉は物事をよく知っている、成熟した人だった。

 途中、熱で寝込んだせいもあり、あの人とは他の特攻兵よりも長く接した。洗濯や掃除や身の回りの世話が終わった午後には、いろんな話をした。質問と言ってもいいのかもしれない。



「奥さんないらっしゃっとな? 父母様はご健在じゃっとな?」
「父も母も健在だけど、やもめだよ」白い歯を見せて笑った。

「ないごてご結婚されんかったとですか?」
「悲しむ人を増やしたくないからさ。僕は軍人だし、明日をも知れぬ飛行機乗りだからね」
 目尻にしわを寄せたその目は、冗談を言っているようには思えなかった。

「ご実家はどこじゃっとな?」
「東京だよ。実家は幸い無事だったが、先月空襲を受けた」
 3月10日未明、東京の3分の1を焼き尽くし、10万人以上の死者を出した東京大空襲が起こったそうだ。

「あたしは体が()せせいもあって、重か物も持てもはん。洗濯しちょっても腕ん力が続きもはん。じゃっで足で踏んどったんじゃ」杉浦さんがおかしそうに笑った。
「そしたや兵隊どんの服を足で踏んだやいけんって怒られっしまいもした」

「だから?」
「みんなん足を引っ張っちょっ気がして」
「人にはそれぞれ、持ち分持ち味というものがある。佐智さん、君の笑顔は辺り一面を染める菜の花のようだよ。僕は野に咲く菜の花がこの世で一番好きだ。佐智さんだって好きな物があるだろう?」

「はい、本を読んたぁ好いちょっ。童話も小説も詩集も」
「そうか、好きになるというのは、それだけで才能の萌芽(ほうが)だ。僕はちっちゃい頃から飛行機が大好きだった。だから飛行機乗りになった」手折った草をクルクルと指で回しながら宙に曲線を描いた。

「才能じゃしか?」
「そう、心の琴線(きんせん)に触れない物を、人は好きになったりはしない。生まれ持っている何かが共鳴するんだよ。裏を返せば人を形づくる根本にかかわることでは、異質の人間同士は心底からは共鳴しえない。
 だから、親が結婚相手を連れてきたらよく話をしてみることだ。駄目だと思ったら、構うことはないから断ってしまえ。わたしには分不相応でございます、とね」
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