第39話 敵空母に突入す

文字数 1,039文字

「来もしたか?」鈴木軍曹の背後に立った佐智は小声で尋ねた。

「来ましたよ。えーと」
「杉浦中尉です」
「はい、杉浦中尉殿は確かに受信しました」

 やった。やっぱりあの人は敵艦にたどり着いた。

「ちっと待ってたもし」礼子から渡された形見の万年筆を右手に、陸軍を表す星のマークの付いた腕時計を左手に乗せて、じっと見つめた。大きく息を吸い、そして吐き、佐智はそれを胸に抱いて目を閉じた。



 チェスト行け! 口の中で念じる。 キバレキバレ!
 形見を持つ両手が胸元でブルブルと震える。折れるほど深く腰を折った。
「頼み上げもす!」

「じゃあ行きますよ」
「はい!」
「われ、これより敵空母に突入す。サチ生きろ。その直後、連絡が途絶えました」
 佐智はしゃがみ込み、唇を噛みしめた。あの人は見事に散った。わたしに最後の言葉まで残して。涙は床にぽとぽとと落ちた。

「ここで泣いてはいけん」
 励ます礼子の声に佐智は自らの腕を噛んだ。特攻兵たちに涙を見られてはならない。頷きにつれ、涙は(まぶた)を濡らし、よだれが腕を伝う。うんの声が嗚咽になった。

 明日ここを訪ねても、もうあの人はいない。ご苦労様とあげる片手と、目尻にしわを寄せる優しげな笑顔に接することは出来ない。遠い沖縄の海に散ったのだから。

 わたしは生きよう、彼のために。未来があると言ったあの人の夢を信じて、わたしは生きよう。

『人ん思いは川ん水じゃ。川ん流れは人ん誠意じゃ。海は人ん心じゃ。
 全てん川は海に注いじょ。人ん思いもそいとおんなじじゃ。叶うごつ思えばよか。思いに銭はいらん。
 じゃっどん、(よこしま)な思いで濁ったもんを流すたぁ良うなか。()して漉して、きれいになった水、要は(けがれ)んなか思いじゃ、そいを流せばえ。そうすれは思いは通ずっど』
 死んだじいちゃんが笑いながら言っていた。

 帰りのトラックに乗った途端、みんな声をあげて泣き出した。今日は特別に悲しかった。でも、本当に深い悲しみは、一夜が過ぎた明日の朝日が連れてくる。

 町が近づいてきた。特攻兵士の前で涙を見せてはならないことと、この知覧に特攻基地があることは親兄弟にも口外してはならないことだった。

「涙ん拭いて、さ、歌おう。『空から轟沈(ごうちん)』がよか? あ! 『同期ん桜』にすっが。さ、みんな、泣かんで歌おう!」
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