第30話 負け戦

文字数 1,504文字

「杉浦中尉さんは、死ぬのが怖くなかですか」
「中尉なんていらないよ。杉浦でいい。官位も何もかも脱ぎ捨てれば、世の中はもっと棲みやすくなる。そして質問の答えは、死ぬのが怖くない人間なんていない」

「やっぱり、(えず)かですよね」
「ああ、怖いさ。戦闘に出ればいつ死んでもおかしくはない。空中戦で死ぬのは自分の力不足だ。しかし特攻は、力量にかかわらず、必ず死ぬ」
 ふっと息を吐き、空を見上げるその横顔は、まるで答えを求める哲学者のようだった。

「人間死んだらおしまいですよね。目ん前が真っ暗闇になって、お墓に埋めらるっとですよね。そいも、ひとりぼっちで。夜んお墓は怖かです。死んだら、あげんところに埋めらるっとですよね」

「佐智さん、君に答えが与えられることを願うよ。その前に、ひとつ教えておこう。この戦争は負けるよ」
「ないごてと⁉ 兵隊どんが、それも杉浦さんが、ないごてそげんこっを!」
「僕は知ってるからだよ」
「負くっことを知っちょっとですか?」

「知ってるよ。僕は、隼の中で長い長い夢を見たんだ。この戦争が負けるということは軍本部だって分かっている。ただ、講話を有利にするために最後の抵抗をしているのさ」
 そう言って苦い笑いを浮かべた。それはとても不思議で、理解できない言葉だった。

「特攻兵たちが死守しようとした沖縄は、無残な戦場になる。いや、彼らが守ろうとしたのは沖縄ではなく、ましてや日本でもなく、もっと小さいものだったのかもしれない。でも、結果として残るであろうものは、もっともっと大きいものだ。日本と日本民族の未来だ。誰もが喜び勇んで特攻に来たわけでもないだろう。嫌々ながらの人もいるはずだ。断れない空気に押されてね」



 杉浦さんが眩しそうな目で見上げた空を、佐智もつられて見た。青い空には何事もないかのように白い雲が浮かんでいた。
「みんなが志願じゃらせんじゃったとな」驚きを通り越して小さく呟いた。

「初期はそうだったろう。けれどここまで来ると、それでは間に合わない。学徒は特にそうさ。時代は、戦争は、彼らの希望も夢も意思さえも、戦車のキャタビラのように踏み潰していく」

「あんしたちは、そげんして来たとな……それなんに()ろて出撃して、日本は負けて、滅びっとですか」佐智は膝に乗せた拳を固く握った。

「日本は滅びなどしない。忘れないで欲しいのは、最終最後、彼らは納得していることだ。それがなければ死にになど行けるはずがない。これほど清冽(せいれつ)な集団は世界に類を見ないだろう。佐智さんならもうわかるだろう。彼らに敵を憎む気持ちなどこれっぽちもないことを」
「分かりもす。あんしたちは、殺すとじゃなくて守ろうとしちょっ」


※上の写真は知覧ではなく鹿児島県の万世飛行場を出撃した特攻隊員たち。
子犬を抱いている荒木幸雄伍長(17歳)を始め全員十代。彼らは学徒ではなく陸軍少年飛行兵だった。

「そう。母を、姉を、妹を、妻を子を、そして故郷を日本を守りたい。そのために男としてできることを彼らは受け入れた。彼らの胸にあるのは報恩だ。あらゆる恩に報いるために彼らは飛ぶ」
 特攻兵たちを見ればわかる。杉浦さんの言う通りなのだろう。深く頷かざるをえなかった。
 
「佐智さん、日露戦争を知っているね」
「はい。ニッポン勝った、ニッポン勝った、ロシア負けたーちゅうて(うと)うたそうです」
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