第48話 戻った時間

文字数 1,267文字

「あ、思い出した」鳴海が立ち上がると、取り出したハンカチで早紀が顔を拭ってくれた。
「何を?」
「何で戻ってきたのかを。マフラーだ」
「マフラー?」すみれが自分の首に巻かれたマフラーを握る。
「いや、違うマフラーだ。車のマフラーだよ」すみれの頭を撫でた。

 フォレスターの後部に回ったら物置の屋根から落ちた雪が塞いでいた。キーを借りて前進させ、マフラーの確認をした。



「よし、いいぞ!」
「詰まってた?」
「いや、マフラーは大丈夫だ。あの状態でアイドリングをしたら危ないところだった」

「ありがとう。それより居眠り運転って、疲れが出てるんじゃないの?」
「ちょっとの間だろうけど、長い夢を見た」
 すみれは足に抱きつき、足踏みをしながら歌を歌い始めた。

 歩こう 歩こう わたしは元気ぃー 歩くの大好きー どんどん行こう♪
「パパも歩いてー」言われて、すみれがしがみついていない左足だけで足踏みを始めた。暖かい。確かな温もりを太ももに感じる。



 坂道ぃ トンネルぅ 草っぱら 一本橋に でこぼこジャリ道ぃ
「パパも歌って―」
 くもの巣くぐって くだりみち♪

「あ、そうだわ、実家から電話があったのよ」
「電話? どっちの実家?」
「あたしの実家」早紀が自分の鼻先を指さす。

「で、何だって?」
「で、いつまで足踏みしてるつもり?」
「ん?」すみれはとっくに足から離れていた。

 いねむり……パパがいねむり……じっか。すみれがブツブツと復唱している。この子はこうやって言葉を獲得してきた。

「じっかって、なぁに?」
「すみれにとっては、この家が実家になるんだよ」
「おぉー」
 分かったのか分かっていないのか、それでも大きく頷いている。

「本家のおばあちゃんがね、もう体がいうことをきかなくなってきたから、今年は靖国に行きたいって言ってるらしいの。で、東京で暮らしたことのあるあたしたちに白羽の矢が立ったらしんだけど。もちろん、連れて行って欲しいってことで」

「靖国って、靖国神社?」
「そう。おばあちゃんのお兄さんが特攻で亡くなったのよ」
「特攻で? もしかして……亡くなったお兄さんって、杉浦って姓?」
「ううん。忘れちゃったけど、その土地特有なのか、かなり変わった姓だったから違うわね。誰? 杉浦って」
「いや、それはいいんだ」

「しりゃは? しりゃひゃのや?」
「し・ら・は・の・矢だよ」鳴海はすみれに笑いかけた。
 しらはのや……しらはの、や……。
「なに?」

「今夜教えてあげるよ」
「おぉー」
 その今夜は本当に来るのだろうか。いや、来る。これは夢ではない。紛れもなく現実だ。

 誰かが時間を戻してくれたのだ。それは杉浦だろうか、佐智だろうか、それとも、敵艦空母に突撃して砕け散った杉浦の愛機、一式二型の隼だろうか。
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